第86回「『神の国』総選挙と無党派層の行方」

 総選挙が始まった。この連載第30回「政治・選挙制度改革が変えたもの」で96年総選挙を取り上げ、結びに「惰性で政党に追従しない世代を生み出したことこそ、政治・選挙制度改革の逆説的な成果だったと思う」と書いてから、2年半になる。その後、98年7月の参院選は投票時間延長と不在者投票の制限緩和もあって、投票率が前回よりも14ポイントも上昇、自民党が惨敗した。今回の総選挙で、再び無党派層は行動するだろうか。投票率が上がるなら、「択一」となる小選挙区制ならではの劇的な変化も考えられる。いまネットにある資料から考えられることをまとめておきたい。

◆2000年選挙で投票率は上向くか

 東京都選管が98年参院選の後で実施した「選挙に関する世論調査の概要」は、投票率上昇の原因について聞いている。

 「『今の政治に怒りをもっている人が多いから』が53.6%と過半数を占めている。次いで『投票時間の延長や不在者投票の事由の緩和など、投票しやすい環境が整ったから』が48.2%と5割弱であげられている。以下、『投票をすることで世の中を変えようと思う人が増えたから』が34.4%、『マスコミが投票率向上に関する報道を盛んに行っていたから』(21.8%)、『政治に関心や興味を持つ人が増えたから』(21.5%)という順であげられている」

 投票の動機の方は「『今の政治を変えたいと思ったから』が43.3%で最も多く、僅差で『国の政治をよくするためには、投票することが大切だと思ったから』(43.1%)が続」くという。

 96年総選挙の投票率は史上最低で59%だった。そこまでで最低だった93年総選挙の67%から見ても落ち込み方は尋常ではない。ほとんどの政党が連立の形で政権に参加し、意味がある政策を何も実現しなかったか、あるいは党の存在意義を失う路線転換を安易にしてしまう有様に、有権者は政党離れを起こしていた。投票率があそこまで落ち込んだことは、裏を返すと従来の「しがらみ」から解き放たれた有権者が増大していたことになる。98年参院選で有権者は政党に回帰しているのではないが、投票によって行動を起こせることは知った。

 今回の総選挙に向けて各メディアが世論調査を実施していて、それを時系列で並べると面白い結果が読み取れる。

 テレビ朝日が、5月13日・14日の時点で行った世論調査では、「必ず投票に行く」と答えた割合は59%であり、過去の投票率との相関度からみて実際の投票率は57%程度とする。これなら前回並に止まる。

 森首相の「神の国」発言が飛び出したのは、その直後5月15日夜だった。

 5月20日と21日実施の読売新聞・全国世論調査では、「今回、投票に『必ず行く』とした割合(68%)は、読売新聞が同じ質問の調査を始めた一九八五年以来の最高値となった。前回衆院選一か月前の調査(九六年九月)の52%と比べ、16ポイントも高く」なってしまった。

 「神の国」発言から首相官邸のホームページへのアクセスが急増していることも、読売新聞は6月10日付で伝えている。「『神の国』発言が飛び出した翌日の五月十六日には四十万八千六百八十件を記録、この日を境に、二十万台から三十万台に増えた」

 「神の国」発言は一過性のものとして忘れてしまいたい雰囲気が与党側にはあるが、基調のトーンを変えてしまったことは確かだろう。森羅万象に神宿ると言いたかったと、公示後に首相は言って回るが、発言を撤回しなかった意味を大半の人は理解しているはずだ。

 実は、この「神の国」発言問題と全く同時期に、寓意に満ちたストーリーが高知県体協をめぐって進行していた。2002年国体の高知開催を控えて、県体協は新会長に弘瀬勝氏を選んだ。その弘瀬氏が広域暴力団組長(故人)を「人生の師と仰ぐ」と発言、組長と一緒に写った写真を体協役員に配ったのだ。

 青少年を育てる県スポーツ界のトップがとった行動に、元NHK記者の橋本大二郎知事が重大問題だと指摘、公開の席で二人が応酬する。

 「私は暴力団を啓蒙しようとするものではない。信じていることを言っているだけだ」

 「何が問題か、お分かりになっていないことが問題だ」

 森首相の記者会見での弁明と同じ構図であることに気付かれよう。ヤクザの任侠道と天皇制を頂点にする右翼思想には交錯するところがあるだけに、この対比はブラックジョークになっている。高知県では橋本知事が県民が広く発言して欲しいと呼びかけ、沸き起こる非難の中、体協役員の総辞職に向け進んでいる。森内閣の支持率は6月になっても落ち続けている。

 なお、高知県庁の「高知県体育協会の会長人事について意見募集」に、問題提起をした知事記者会見が掲示されている。

◆どの党に、誰に、なぜ投票するのか

 政党への支持率は変わったろうか。毎日新聞が5月20日・21日に行った電話世論調査は4月の調査との比較で、自民が31%から26%に落ちる一方、民主が11%から14%へ、共産が4%から6%へとそれぞれ伸ばしている。

 「将来どうなるのかという不安。そこから政治への不満が高まっていく。ところが政党や政治家の多くは、嘘ばっかり言って、このような不安や不満に全然こたえようとしない」「不信が強まっていくのは当然です」「だんだん生活に余裕がなくなって」「国民の要求や不満も、従来以上に切実なものになっている」「今回の選択はやむにやまれぬ選択であって、共産党への投票は、“溺れる者がつかむ最後の藁”だったのではないかと思います」と、五十嵐仁氏は96年総選挙での指摘と同じ趣旨を「参議院選挙結果と日本の政治」で述べている。

 構造的な風がずっと吹いている共産党に対して、98年参院選で民主党が得た勝利は、89年「消費税」参院選で社会党が得たような、反自民の「野党第一党効果」になると分析する。

 今回の選挙の結果も、おそらく近いものになるのだろう。私が第30回「政治・選挙制度改革が変えたもの」で共産について書いたこともあの通りだろう。民主は、自民批判の受け皿として風を受け、護憲の党という意味で、死に体になりかけていた社民党にも多少の追い風にはなろう。

 ところで、「神の国」発言がなかったとしても、私が、若者も選挙に目を向けざるを得なくなっていると考えている。小渕内閣の不支持率は死去直前には40%にもなっていて、その上昇カーブの延長に森内閣の不支持率急上昇があるように見えるからだ。

 理由のひとつに、今度の通常国会で成立した年金改革がある。抜本改革の時期に来ていると言われ続けて、またしても官僚の言いなりに、連立与党は小手先の手直しをしてしまった。

 給付も負担も減らす小改革の結果でも、世代間の格差は厳然として残る。生涯の保険料納付に対して年金の受取額を比べた表が「公的年金制度の改正と世代間格差問題」にある。  一部を抜き出してみたが、20代、30代の若年層にとって不満でならない数字だろう。しかし、今回の年金改革でもっと問題なのは、これで将来ともに大丈夫です、とならなかった点である。厚生省の甘めの人口予測もあり、常に改革は後手に回り続けている。しばらくしたら、また手直し必至なのだ。安心して将来を託せないとの思いを、若い世代でなくとも持ち始めている。

 景気回復のためと称してばらまき続けている公共事業にも、不安が広がりつつある。国の借金は膨らみ続け、99年度末の国債残高は335兆円に達し、2000年度末には364兆円にもなる。

 「Japan Mail Media」No.066から、この大借金国家を敢えて家計にたとえている糸瀬茂・宮城大学事業構想学部教授の表現を引用すると「すでに3350万円もの借金を抱えている家計が、年収が500万円しかないのに850万円を支出しているという状態に等しい」「850万円の内の210万円は借金の返済ですが、それを差し引いても収入を上回る支出を続けているわけですから、結局銀行から300万円近くを新たに借りなければなりません。そして来年の借金は3640万円に膨らんでしまいます」

 景気が回復したら財政再建を考えるという与党側の主張に、糸瀬教授は「思い出していただきたいのは、バブルピークの90年ですら、『税収は60兆円しかなかった』という現実です」と指摘している。つまり、お父さんの会社が好況で儲けまくった時にボーナスをはずんでもらっていても600万円の年収しかなかったのだ。850万円支出する体質を漫然と続けていられようか。

 庶民に、自分の老後の懐具合と、国家財政の財布の中とが密接に絡んでいると薄々分からせた時期に総選挙は打たれた。その意味でも注目である。この原稿を書き終えようとしていたら、大学生から「リアルタイム財政赤字カウンタ」を、是非紹介してもらいたいとのメールを受け取った。「現在の日本の財政がどういう状態にあるのか、多くの人が理解し、危機感を持つことを期待します。私は現在22歳です。今の国の借金を返していかなくてはならない世代です。これ以上の負担が増えるのは耐えられません」

 しかしながら、実際の投票にあたって私にもおすすめの政党は無い。民主党も準備不足と申し上げるしかない。ただ、官僚に頼らずに自分の頭でものを考える人物を選んでいただきたいとの思いはある。それを積み重ねて、米国のように政権が変われば官庁の局長級以上は入れ替えてしまう人材の厚さを持たなくて、来世紀どうしよう。