読者共作3「医療情報の大衆疎外が改まる日は」
【1】入手困難な良質の医療情報・・・・猪原教之
【2】知らせぬことに利から脱せよ・・・団藤保晴
□■入手困難な良質の医療情報・・・猪原教之
ここ数年、医療問題への関心が大いに高まっている。セカンド・オピニオンやインフォームド・コンセントということばが徐々に定着。医療費負担が増えるというニュースにやきもきし、薬漬け医療・医療過誤の問題に国民は敏感になっている。健康意識の高まりは、からだに関する番組がNHKの番組枠の拡大にも見て取れるし、「おもいッきりテレビで放映されました」というスーパーのPOP広告が珍しくもなくなったことにも現れている。
生活習慣病対策とかウォーキングのすすめなどのように、「予防」を呼びかける啓蒙的な情報を消費者が積極的に求め、それが答えられている現状は好ましい。が、特定の病気について最新の情報を入手するにはどうすればよいか、また家族が突然倒れたようなとき具体的にはどうすればいいの、ということを考えてみると多くの国民はとまどってしまうはずである。
東京大学先端科学技術研究センターのロバート・ケネラー教授は「インターネットにもっと日本語の医療情報を」で「ごく一部の例外を除いては、政府の医療関係機関も医師による団体や民間企業も、一般の人向けでありながら質の高い医療情報をインターネットで提供しているとはいえない」という。
たとえば脳梗塞(こうそく)について見てみよう。NHKの「きょうの健康〜脳卒中 ここが知りたい」(2000年8月17日放送)では血栓溶解療法を開始するには「発作後3時間以内が勝負」とわかるが、これを深く理解しようとすれば愛媛大学医学部脳神経外科・植田敏浩氏のサイト「脳卒中の治療最前線」を参考にせざるを得ない。
実はこのtPAという薬による脳梗塞治療については日本では未承認。しかも治療が有効かどうかの判定が難しいので治療が受けられる病院は限られるとのことである。しかも、そういう病院に運良く搬送されても患者の肉親はごく短い時間で医者の説明を理解し、同意をする必要に迫られる。良質な情報提供が望まれる典型例だと思う。
●政府の対応
この血栓溶解療法について米国では、民間に劣らず政府が消費者向けホームページMEDLINEplusを使い、ともすれば難しくなる話をわかりすくしようという努力がなされている。
一方、厚生労働省が全く何もしていないというわけではない。クスリに関する国民の関心がようやく認知されたのか、今年9月27日に「医薬品情報提供のあり方に関する懇談会・最終報告(要旨)」がまとまった。『患者1人1人の病状や体質等を踏まえた「生きた情報」が提供され、国民と医療関係者との対話を通じた適切な医療を実現するため、それぞれの医薬品情報の提供主体が、患者のための医薬品情報の重要性をより一層認識していくことが望まれる』という精神を最低線として、医療情報提供については「国民にわかりやすい役立つ情報」の提供を望むばかりである。
●国民にわかりやすい役立つ情報を得るための課題
医療は人の生命・身体に関わるサービスであると同時に極めて専門性の高いサービスなので広告規制がある。今年4月1日に一部規制が緩和されたが、今なお制限される内容が多い。ただインターネット上ではこの広告規制があてはまらないとされているので、民間からの医療情報が今後増えることが予想される。
情報が正しいかどうか真偽が疑わしいとなれば由々しき問題である。このため3つの流れが予測できよう。
まずは第三者評価にゆだねる方法である。日本インターネット医療協議会が定めた「医療情報発信者ガイドライン」に従っているかどうかを目安にする方法があろう。あるいは医療機関が日本医療機能評価機構
の認定を得ているかを確認することも考えられる。ただし、情報の真偽を直接見極める手段としては不十分であろう。
次は専門知識をわかりやすく解説する医療ジャーナリストを養成することである。かつては医療問題が露見すると社会部主導で闇に隠れた仕組みが明らかにされてきた。最近では新聞各社が大型企画を競い、インターネットで無料閲覧が可能な記事を提供してくれてくれるようになった。今後は質の高い医療情報をさまざまな角度からわかりやすく伝えると同時に、地元のこの病院にはこういう強みがあるという特色を浮き彫りにした記事を望みたい。銀座内科診療所の九鬼伸夫・院長が「ネット医療記者クラブを」で「何度かマスコミの医療取材につきあったが、あまりに話しが通じなくて」とぼやいたのはそんな昔のことではない。医療提供者が示している積極性に物おじすることなく踏み込んだ取材を期待したい。
最後に、英語情報の翻訳である。メドック・プロジェクトのように専門家も参加してボランディアで行われる場合もあるだろうし、メルクマニュアル医学情報[家庭版]のようにビジネスで取り組むケースが今後も増えよう。
ケネラー教授は言う。「もし、日本の医療関係者や政府が提供しなければ、海外からの提供者が現れるのはそんなに遠くない将来かもしれない。既にそこにある情報を翻訳さえすればよいのだから」
医療経済学が日本に根付いて間もないこともあり、適正な判断が難しいことはあろう。だが、これだけはいえる。医療を権力争いのおもちゃにされることを国民が決して望みはしない。ただあたりまえのことを願うだけだ。
「日本の政府と医療関係者は今や一致団結して医療情報を提供する場をインターネットに構築するべきである」
教授の主張は傾聴に値する。
猪原教之
翻訳者。HP「全力投球の英語学習」運営者。
メルマガ「ホワイトハウスの英語」発行人。
□■知らせぬことに利から脱せよ・・・団藤保晴
厚生労働省「第7回保健医療情報システム検討会」に出された「最終提言事務局原案たたき台」と長い「お断り」が付いた「保健医療分野の情報化にむけてのグランドデザイン 」は「IT化で5年後に医療がどう変わる」との観点を打ち出している。「医療機関に行く前に」はこう述べる。
「現在は、医療機関を選択するための適切な情報が十分提供されているとは言い難い」「医療機関ごとの診療実績等のデータ分析や、医療機関相互の比較を客観的に行う環境が整ってくる」「診療記録等の一元的電子管理が進めば客観的分析は容易になることから、広告規制の緩和、公的な情報提供の整備、情報開示ルールの定着等と相まって、医療機関に関する比較可能な情報提供が進むものと考えられる」とし、「主要疾病についての正確な医療情報がインターネットを利用して自宅において手軽に手に入れられるようにな」るという。
これらが可能になるには、医療機関の手の内をすべて明かさせねばならない。そうでなければデータの蓄積など不可能である。医療の世界の現実を知るほど無謀にも思える「夢」だが、実現できると考えられるなら、ぜひとも手を着けてもらいたい。
その大変な難関をどう克服するのか。「情報化にむけてのアクションプラン」は「医療提供者に対して医療の情報化の目的は、単なるカルテの電子化や省力化のみでなく、豊富な診療データの共有や蓄積、分析が可能というIT化の特徴を生かした、より良い医療を行うため環境整備であるとの意識改革を促す」と、説得するという。なんと真正面からぶつかる気のようだ。
この正論が通じるか、はなはだ危ぶむ。これも11月末に公表されたばかりの「2000年の医療施設(動態)調査・病院報告の概況」を子細に見れば、いや、一見すれば、日本の医療のありようは何十年と変わっていないと知れる。
「結果の概要1 施設数・病床数」にある「図3 都道府県別にみた病院の人口10万対病床数」の塗り分け地図を見てほしい。病床数分布が関東、中部で薄く、その他が厚いパターンを覚えていただく。次は「4 病院の平均在院日数 」で「図8 都道府県別にみた病院の平均在院日数 」の塗り分け地図。あまりにも見事にふたつの地図は一致している。パソコンの窓をふたつにし並べ確認していただきたい。
この国の医療は患者のためというより、存在しているベッドをいっぱいにするために行われていて、もう何十年も変わっていないのである。地域医療計画で病床数の総量規制が行われているが、圧縮効果を上げていない。逆に、立ちゆかなくなった病院も既得権益として確保した病床数があるので、高額で身売りできる可能性を生んでいる。
厚生労働省は治療の必要性が薄いのに6ヶ月以上、入院している「社会的入院者」5万人について来年度以降、治療費を健康保険で払わないようにする方針を打ち出した。本人負担にして、健康保険から介護保険の制度下に移ってもらう目論見だ。しかし、それは焼け石に水ではないか。ベッドが空いている限り、新たな患者が「作られる」のを防げようか。
ここに至れば、何でも受け入れる愚かな患者から、疑問を持つ賢い患者に変わる人が増えなければ保険財政の破局も救えないことが理解していただけよう。個人の生命を守る意味と同時に、医療情報には限られた医療資源を互いに賢く使ってこの社会を維持する効果も求められる。保健医療情報システム検討会の資料にはそこまでは書かれていないが、望む気持ちは垣間見える。問題は誰がどうやって実現するかだ。