第126回「東電事件でエネルギー政策は破綻へ」 (2002/10/31)

 もはや「東電不正事件」と呼ぶしかなくなった。東京電力の原子力発電所で多数の異常隠しがあった「不祥事」から発展、10月25日に福島第一原発1号機定期検査で格納容器の気密試験に偽装工作があったと断定された。経済産業省原子力安全・保安院は極めて悪質と、原子炉等規制法に基づき1年間の原子炉停止処分にする方針を決めた。1991年と92年の定検での不正であり、電気事業法違反(定期検査妨害)は既に時効になっているため刑事告発はしない。しかし、停止処分で済ませる問題と経済産業省が考えているとしたら、大きな錯誤である。安全確保への信頼が完全に失われた以上、原発は新規に造れなくなった――そこまで踏み込んで、信頼回復には何をすべきか懸命に考えるべきだ。停止による損失200億円は、結局は利用者の国民が負担する。それよりもエネルギー政策の破綻が目の前に見えてきているではないか。


◆責任不明確は北朝鮮拉致と同じ構図

 異常隠しから始まった東電不正事件で一貫しているのは、誰が何故どうして、そんな行動をしたのか、全く説明されない点である。「これくらいの傷なら問題は少ないと考えたのでは」と言われるだけ。当事者は現在では反省しています――そうですか。このオブラートに包まれた感覚は、北朝鮮による拉致事件と同じである。

 北朝鮮は責任者である誰それを処罰したと日本側に通告したものの、どの幹部レベルまでが関係していたのか、その人物像、どう処罰されて、今どうしているのか示さない。特務機関関係者だから、ひょっとすると特別休暇でももらって、のんびり別荘暮らしでもしているかもしれない。そう勘ぐりたくなる。

 東電の場合、異常隠し段階の社内調査は個人名を明かさないとの前提で進められた。だから当事者は特定の個人ではなく、現在でも「無用に原発を止めて会社に損害を与えたくなかった、会社思いの一群の社員」なのである。刑事罰がある事件を起こした現在でも、そこから脱していない。

 もしも時効になっていないなら司直が強制捜査に入る事件である。起訴され有罪になれば当然、懲戒解雇が待っている。日本ハムの牛肉偽装事件と何ら変わらない。電気事業法のような法律が刑事罰を持つ理由は単純である。勤めている会社の事情を考える以前に、社会の作ったルールを守って下さいね、ということだ。どちらが大事か、はっきりさせるために、国家は刑事罰を科す。時効3年が過ぎたから放置できるのか。

 異常隠し発覚段階で社長、相談役らが総退陣する処分が出されたが、あれが原発の信頼回復に役立つとは思わない。もう老害に近い世代が退場しただけであり、東電社員の意識を変える役には立たない。依然として日本の社会より東電が大事と思う「東電ムラ」の社員ばかりだと、世間はみている。今回明らかになったように、法律を破ることを厭わない体質の人たちに、国土の破滅にも繋がる原発の安全を委託できるはずがない。

 監督するはずの原子力安全・保安院からも、今回、笑い出しそうになるコメントが出た。日経新聞によると、梶田直揮・原子力発電検査課長は「そもそも現在の検査手法は、意図的な偽装工作を想定していない」と述べた。では、いったい何を検査に行っていたのか。接待付き「ご確認」役など国民は期待していない。あらゆる検査は「ザル」だったと自白したのと同じだ。これからは、立ち会う検査官を現在の1人から3、4人に増やして監視するのだという。原発の巨大システムをフルに使って会社ぐるみで本気でデータ偽装に走るとしたら、わずか3、4人で見破れるとお思いか。

 何を勘違いしているのか、格納容器の気密試験だけが問題であるかのごときコメントもある。あの不正があった以上、あらゆる安全確認に国民は不信・不安を持たざるを得ない。全ての不信の払拭、それを担保する役所が原子力安全・保安院であることを自ら忘れているかのよう。信義誠実の原則「信義則」が失われた今、原発はご免だと思わないのは、あなた方だけではないか。

 私も原子力を論じるとき、今の技術で出来ることはしているとの前提で検討してきた。手抜き自由ならば、検討自体が無意味である。原発トラブル発生は90年代に入って際だって少なくなった。品質管理手法QCを活用するなどした成果だと思ってきたが、偽装工作の結果だとみることも出来るようになった。福島第一原発1号機の格納容器の気密試験だけにしか、不正がなかったと証明するのは、もはや不可能である。

 松浦祥次郎・原子力安全委員長は10月4日付の電気新聞で、梶田課長よりはるかに真っ当な指摘をしている。「自浄能力がなければ原子力はやめるべきだ。また、愚直に徹することができなければ、同じくやめるべきだ。やめた場合、電力供給は混乱するだろう。その責任が原子力関係者にあるとことも自覚しなければならない」と。

 今回の経緯をうけ安全委員会は小泉首相に対して再発防止の勧告をすることになり、原子力安全・保安院の検査能力増強が盛り込まれるという。しかし、米国原子力規制委員会(NRC)のような強力スタッフを持つことが最善であるとしても、そんな人材が国内のどこにいるのだ。問題意識を持って原発を見ることを怠ってきた国内の体制側は、決定的に人材を欠いている。


◆エネルギーの次の手、真剣に検討を

 原子力については「原子力発電の現状と今後の見通し」という見やすい一覧資料があるので参照して欲しい。トラブル発生の歴史的推移なども見やすい。これまで原発の新規立地は、ペースダウンするものの続けられるとの前提で考えられてきた。この一覧資料末尾でも2011年度までに13基の原発が運転開始になると想定されている。その多くは着工もしていないのだから、この逆風下で計画通りに進むと考えるのがおかしい。

 総合資源エネルギー調査会が昨年7月に出した報告「今後のエネルギー政策について」の「参考5」に「原子力発電所を今後増設しないケースの概要」があり、現実に何が起きるか考えさせる。第119回「京都議定書を批准しても対策は幻」で取り上げた二酸化炭素排出削減の国際的な約束を、想定されている原発3割増設無しで守るとしたらどうなるのかである。

 「2010年度において製造業の生産額が基準ケースに比して約19兆円と大幅に下落し」「特に、エネルギー多消費産業においては、エネルギー消費に伴う負担増が、大きいものでは総生産額の3%程度にもなり、利益を上回るような水準となる可能性あり」「家計消費も基準ケースに比して約12兆円減少」

 「経済成長率は、2008年度〜2010年度はほぼゼロ成長となり」「基準ケースに比して2010年度まで年平均▲約0.4%下落し、2005年度〜2010年度は▲0.7%下落する」

 成長に必要なエネルギーが供給されないために、ほぼゼロ成長の時代が来るそうだ。お断りしておくが、このシナリオはある方向の想定を重ねて得られたものだから、そのまま鵜呑みにする必要はない。エネルギー多消費産業を国外に出すなど産業構造を変えることも出来るだろうし、経済の必然性はそう働くだろう。省エネ技術の進展でも変わってくるし、風力など新エネルギーにもここで考えられている以上の可能性がある。

 残り時間が少ない2002年の段階に至って一部の人たちが、密室にこもって考えたシナリオしか存在しないのが問題である。前提条件や様々な根拠データをオープンにして、国民的な議論にする必要がある。総合資源エネルギー調査会報告には拙速な取りまとめに対する反対意見も添付されており、その言い分は極めて正当だと思う。

 次の手を真剣に考えるべきだと主張するのには根拠がある。

 異常隠しから始まった一連の報道の中に、新たな異常発見がいくつもある。福島第一原発での原子炉制御棒駆動配管についてのものが特に気になる。多数のひび割れが発見され、中には貫通しているケースまであった。内容以上に、発見の仕方が非常に悪い。従来は塗装部分の管を検査せず、付近の検査で代用していたが、今回の騒ぎで調べてみたら割れていたという。情けない話。

 これでは形だけのQC、アリバイ作りのQCが蔓延していると考えざるを得ない。電力業界のQCとはこの程度のものだったのか。沸騰水型原子炉(BWR)では、制御棒は原子炉下部から内部圧力に逆らって上方向に挿入される。異常発生時にもし挿入できなければ核暴走に向かってしまう。上から制御棒が落ちる構造の加圧水型原子炉(PWR)との、修羅場での一番の違いだ。それだけに日頃から最も気を使って管理すべき場所である。

 頭を使って原発を管理していない上に、運転して利益をあげることが至上命題の東電と、やはり頭を使っていない監督官庁、原子力安全・保安院の組み合わせが原子力の現場実態だった。これでは他にも何が潜んでいるか分からない。起きるはずがない事故、JCO臨界事故の二の舞が大いにあり得ると考えた方がよい。



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