第142回「巨大なドル買いと米国・双子の赤字」

 政府は明るさが見えた景気回復が為替相場の円高で腰砕けにならないよう、1月1ヶ月間だけで7兆円もの円売りドル買い介入を実施した。2003年の年間ドル買いも20兆円を超えており、介入資金枠が底をついたが、2004年は財務省の外為会計資金枠を140兆円まで増やして泥沼の介入を続ける構えである。昨年の米貿易赤字は52兆円、2004年度の米財政赤字は53兆円を超すと見込まれる。この「双子の赤字」拡大に加え、日本政府も巨額な財政赤字に陥っており、従来までの円売りドル買いとは違った事態が進行している可能性がある。経済専門家の意見は大きく分かれているので、あまり先入観念を持たずに、考え方を整理してみたい。


◆ドル買い資金は米国債に化ける

 いま進んでいるドル買いの巨大さは、いかばかりか。毎日新聞の「為替介入Q&A 『円高阻止』で外貨準備高急増 評価損6兆円超、欧米から批判も」にあるグラフで確認して欲しい。過去最高だった99年でさえ年間7兆6千億円に過ぎなかった。

 国内では日銀が資金を供給しているから、通貨供給量に響きそうな感じもするが、買ったドルは国内に戻すことなく大半を米国債購入に充ててしまう。外貨準備高が名目的に積み上がっていくばかりで、当面の国民の暮らしには何の損得もない。しかし、米国や対ドル為替相場を固定している中国などドル圏への輸出企業が国内に多く、円高の進行が遅れることで収益悪化が防げる。

 ここまでは教科書的なまとめだ。次に株式投資を支援しているゴールデンチャート・エー・エム・エス社の「機関投資家の見るマーケット〜米国は、経済の原理に沿わない論理矛盾の政策を選択〜」を見たい。ドル安が進むことで、従来から米国債を持っていた投資家は損をすることになるはずだった。昨年春以降「米国の投資家は、日本からの介入(13兆円)で、それまで保有していた米国債券を、損することなく売り抜けることができ、得られた資金の次の運用に6兆円が日本株に投入され、日本株は急騰劇を演じた」。この結果、4月の安値時には236兆円しかなかった日本の株式時価総額が、9月には307兆円にも膨らんだ。ドル安で米国債が減価した分の痛手が顕在化するのは遠い先の話。株式時価が膨らむことで、存亡の危機にあった銀行業界をはじめ多くの企業は一息ついた。

 ところが、ブッシュ共和党政権が再選を目指して支持基盤である製造業等の要望に応え、ドル安政策に転じたことで先行きが見えなくなった。円高に終わりが無い様相になった。米国は企業部門、貯蓄意識が薄い家計部門の赤字に加え、政府まで50兆円を超す赤字を出している。「外国から資金を供給して欲しいと叫んでいるのが、今の米国経済だが、諸外国からの米国への資金環流は、ドル買いで、ドル高要因となる。ところが、ブッシュ政権の採るドル安政策は、ドル価値の下落を通じて米国から資金を逃がす方針であり、『ドル債を買い、ドル債を売ってくれ』と言っているに等しい。経済原理沿わない論理矛盾の政策展開で危険な兆候だ」と断じている。

 ドル安にはっきりと向かっている時に普通の投資家は米国債を買わない。資産価値が下がると確約されているモノを買わないのだ。とは言え米国政府にしても、誰かが米国債を買ってくれないと景気を引っ張っている大型減税だって続けられない。その有り難い米国債買い手が日本政府という図式になっている。買い手がいなくなれば債券安から長期金利の大幅上昇で買い手を探す――経済の自律的な調整機能が働いてしまう。景気維持は冷水を浴びてしまおう。

 私の連載第64回「財政赤字・日米のここまでこれから」で見たように、クリントン政権下での財政規律建て直しで黒字にまで持ち直した時期から僅かな時が経ただけなのに、大赤字転落。米国財政赤字は9.11以降の国家安全保障費増大のせいだとする言い訳がある。が、「NET EYE5 プロの視点〜ブッシュ財政赤字、身内からも批判」で紹介されているように、共和党の伝統を逸脱してまで政府も議会も一緒になって異例の「大きな政府」、ばらまき財政に走っている。ここに来て歳出削減を言い始めたものの、この先イラク復興にいくら掛かるか分からないのだ。


◆破局の先送りと貧困国の窮乏化

 米国では生産性の上昇が顕著で、相対的に低い日欧と差があるから資金が集まっていると論じる人がいる。国内でも21世紀政策研究所理事長・田中直毅さんの「『生産性上昇の衝撃』に見舞われた米国、ドル暴落は起きない」はこう述べる。

 「今後、年率4%程度の改善が続くのではとの『生産性上昇の衝撃』は、米国の物価や金融政策の根底的見直しに直結し始めている。製造企業も非製造企業も米国の企業は、総じて価格引き上げに依存しなくても増益を続けられるのだ」。国境を越えたアウトソーシングの展開「いわゆる空洞化は製造業のみならず非製造業でも生じ」「もう『逆転』はありえない。米国のソフトウェア関連企業の買収をインドなどのアウトソーシング受託会社が行い、国際分業の形態の精緻化が今後は本格化する。そしてアウトソーシングを進めた米国企業は、値下げを通じて顧客満足度を高める手法に磨きをかけることになろう」

 一方、米国の景気を支える個人消費の強さ、借金をしてまでの消費は、我々日本人からは異常とも感じられる。少し古いが、2000年の三和総合研究所(現・UFJ総研)「米国の経常赤字および過剰消費体質について」はこう指摘する。「『過剰』な消費は借金の増大と表裏の関係にある」「90年代は借金主導で消費が増加する傾向が強まっている。だが、家計のバランスシートをみると、必ずしも負債は過大ではない。金融資産を中心にする資産の増加に比べれば、負債の増加はわずかである」。バランスシートのグラフが示している事実は、1980年と2000年を比べれば、負債を引いた純資産は5倍にも増えた。

 そういう経験を日本人も一度している。あのバブル期である。不動産価値は右肩上がりで増え続けるはずであり、それを担保にした借金には銀行はいくらでも金を積んだ。米国でも戦後ベビーブーマーが間もなく退職期になる現在、年金資金は肥大して株式相場上昇の基盤を提供している。「金融資産を中心にする資産の増加」は、米国内である程度は自立的な循環が形成されている可能性がある。ただ、それがいつまでも続くことかと問われれば「あれも夢なら、これも夢」が「信用性の増幅」で成立している現代資本主義の本質だと申し上げるしかない。国境を越えた投機の波が襲うとき国際協調でも支え切れない。

 しかし、もしドル暴落が起きても、米国の強みは額面がドルである点は不変だから、受け取るドル額は同じなのである。減価した分の痛手は、海外の投資家や日本政府のような公的機関が負ってくれる。85年のプラザ合意でドルは一気に半分の価値まで落ち、借金が半分になったようにである。

 そして、見逃せないのは次の視点である。北沢洋子さんのDebtNet通信Vol.2No.27(2002/8/22)「米国はHIPC?―貧困国が繁栄国に資金援助」はJubilee Plusのアン・ペチファー代表の論文である。

 米国民の高い消費を埋め合わせている「米国の赤字は、(1)東アジア、とくに日本、中国、シンガポールの勤勉な貯蓄からカバーされている。(2)フランスやスイスなどの国から借り入れている。もっとひどいことには、米国の赤字は、(1)貧しい国から逃避してくる資本によってカバーされている。(2)ドル高の時に、ドル保有を強制された国からカバーされている」そして、いつか米国の赤字が続けられなくなり、『調整』が起きるとき「最も大きなコストを支払うのは、これらの国の貧しい人々である。いくらかの国では資本の流入が減るだろう」

 いま現在も貧しい国の発展に使われるべき資本が米国に流れ、破局の時にも最も悲惨な目に遭うのも、こうした力が弱い貧困国なのである。持続可能な成長、地球環境問題へも対処可能な成長に切り替えねばならない21世紀に、米国への資金の偏在は何の展望も生まず、逆に国際的な不公平感や憎悪を拡大するだけに終わりかねない。それこそがテロの温床ではないのか。

 ただ、経済専門家には楽観的に見ている人もいる。「景気の見方・読み方」の「為替の介入について」は「最後に、頭の体操として、少し変わった見方をしてみましょう」と提起する。「日本の輸出企業と政府を連結決算で見てみると、日本という商店が米国という消費者にツケでモノを売っているということになります。米国が日本からモノを輸入するが、代金が払えないので借りておくというわけです。日本から見れば米国は『ツケで大量にモノを買ってくれる得意客』です」「日本の経常収支黒字は未来永劫続くわけではありません。高齢化が進むと30年先には間違いなく経常収支が赤字になるでしょう。その時にツケを払ってもらえばよいわけですから、それまでの間は思う存分貸しておけばよいのではないでしょうか」

 円高と対米協調に縛られた日本政府にドルを買うしか打つ手は無く、「出来れば、そうあれかし」と願っているだろうが……。



《補遺》2/20の日経新聞夕刊は「2003年の米国債保有残高の純増額のうち、日本が買い増した額が全体の44.3%の1671億ドル(17兆5500億円)に達したことが米財務省の調べでわかった」と報じた。日本を含めた海外勢の購入が77.5%にも上り、2002年の42.9%から急増、米国内消化が22.5%というのはなんと言っても異常である。
 純増額3775億ドルに占める各国の比率は、日本以外では英国8.6%、中国8.2%、カリブ海諸国5.2%、香港2.6%、台湾2.4%、ドイツ2.0%となっている。2003年末に海外が保有する米国債残高は1兆5311億ドルであり、改めて巨額さを痛感する。