第148回「酒類の混沌――ビール・清酒の未来」

 2003年(平成15年)、清酒が遂に焼酎に追い越された。インターネットのオークションで数万円の値が付く偽物まで現れた芋焼酎ブームに続いて黒糖焼酎ブームまで起き、品不足にうれしい悲鳴の焼酎業界。これにに比べて伝統の清酒業界は毎年6%減の、じり貧一途に見える。酒類の異変はこれだけに止まらず、ビール業界でビールでも発泡酒でもない「第三のビール」が幅を利かせ始めた。そして、酒類は出荷総量で減少に転じることがはっきりしてきた。


◆お酒の甘さ、深さとは何か考えた

 前書きとは、まるで違う趣向から話を始めたい。酒類ディスカウント店で原料がコーン100%のバーボンを見つけた。値段は千円ほど。店の表示は実は誤りで、バーボンウイスキーはコーンの割合が51%から80%でなければならない。その他原料はライ麦と小麦で造る。スコッチ好きの私は、一方でバーボンの持つ独特の甘さが気になっていた。ライウイスキーの甘さは知っているが、それだけで説明しきれない甘さがバーボンにある。コーンの役割は何だろう。

 コーン100%ウイスキーそのままで、確かに甘さがある。でも単調な甘さだ。手近にあるバーボンを少し足してみる。麦の芳醇さ、濃厚さが加わった瞬間、にわかに深みが出る。逆にバーボンに足して甘さが増すことも確かめた。スコッチにも混ぜたら、甘いというより、けっ飛ばしてくるようなボディ感を覚えた。この感覚も、コーン100%の状態では感じられなかった。

 こんな話をしたのは、少なくともビールやウイスキーといった洋酒の世界では麦の持つ芳醇さは欠くべからざる座標軸だと言いたいからだ。麦芽使用量を減らして酒税ランクを下げた発泡酒といえども麦芽の呪縛から逃れ得なかった。ところが、「第三のビール」はその禁を犯した。赤字だったサッポロビールの経営を劇的に好転させた第三のビール、ドラフトワンは積極的に麦から離れてしまった。

 同社の「ドラフトワン誕生秘話」にこうある。「『麦』はビールの『うまみ』を出す一方で『コク』や『重たい味』の一因にもなります。今回目指すかつてないスッキリ感を追求していくと、『麦』すら使わないという発想もあるのではないかと思いました」

 試行錯誤の末に主原料として、エンドウたんぱくに行き着き、発泡酒より低い税率で「画期的な新価格」に到達した。もう飲まれた方も多いはず。正直なところ、こうまで味が違う物をビールに似せて製品化すると、既に壊れつつある日本の酒文化にさらに追い打ちを掛けることにならないか。

 これに比べて、サントリーが出している第三のビールはビールや発泡酒に麦焼酎を加える手法で、ある意味で穏当だ。清酒に醸造用アルコールを加えるような手法だから、清酒業界で言う「アル添酒」のキレ味が出て当然である。酒税の分類ではリキュール類にして安くし、すっきり味を狙っている。

 北海道新聞の「もっと知りたい 酒税」にビール類に騒ぎを起こす酒税上の区分と税率が要領よくまとめられている。

 大手のアサヒ、キリン両社は直ちに「第三のビール」に参入する意思はないと言っているが、いつまで耐えられるだろうか。この国でのビール類における味の変化は、本物のビールからどんどん離れるばかりであり、私が連載第89回「ビールから離れつつある発泡酒」で予言した通りに進んでいる。若い世代を中心にした嗜好に合わせれば、苦味は要らない、コクも不要だ――「古典派」を標榜するビールだって、おかしな味に染まってしまった。ビール業界では守るべき本丸が既に怪しい。


◆転落一途に何の手も打てない清酒業界

 醸界タイムスホームページの「平成15CY酒類課税出荷数量<国税局分と税関分の合計>」に酒類数量の状況が詳しい。ここでは手を加えて状況をつかみやすくした。  前々年比増減の列をたどってもらうと、何がどう争われているのか見えやすい。増えているものから取り上げよう。芋焼酎など本格焼酎と呼ぶものには乙類が多く、目覚ましい隆盛である。甲類はお金が無い学生時代に北海道で各駅停車の旅をしていて、車窓で昼間から竹輪をかじって飲んでいる地元のおじさん達から勧められた味だ。ちょっとアルコールぽいけど、すっきり度と無条件に意識を無くさせてくれる酔い口は格別。ビールから大市場を奪った発泡酒は雑酒に入り、チューハイの仲間はリキュール類に分類される。スピリッツ類も増えている。カクテルブーム再来とか言われているからか。

 清酒が減った分は10万キロリットルなのに、焼酎が増えた分は15万キロリットルもある。ウイスキーやワインの減少分まで取り込んでいるのは明白だろう。それでも計算は合わない。焼酎には脂肪に化けるような糖類は含まれない。この健康志向が売り物になっている。発泡酒が増えた分ではビールの減少幅の半分しか説明できないので、2003年は冷夏だったとは言え、焼酎は糖類が多いビールの弱みを突いて大きく浸食しているはずだ。

 さて全盛期の30年前に比べ、出荷が半分に落ちてしまった清酒である。しかもどこまで落ちていくのか、底が見えない。恐るべき危機なのだが、醸界タイムスの特集記事「見えるか、清酒復権への道筋」を読んでも、これという歯止めを見つけにくい。各地でみんな一生懸命やっている――それだけでは、どうにもならない現実に早く気付いて欲しい。

 京大の伏木亨さんがかつて、MSNジャーナルに連載されていた「ニッポン食事情咄 第4回:日本酒の運命は離乳食にある」で「日本酒酒造メーカーの最後の奥の手。起死回生の一発。清酒業界、酒蔵が一斉に赤ちゃん用の離乳食を売り出すのだ。それも、純和風、和食の味の離乳食だ。清酒の肴に合う魚の生臭味も隠し味に入れておく」と提案していた。

 低脂肪の和食は日本人の健康を守る砦であり、高脂肪食の誘惑に勝つ鍵は、和風だしの旨さを子どもの時から味覚に刷り込むこと、というのが伏木さんの持論である。和食と絶対の相性を持っている清酒も、消えてもらっては困る存在なのだ。

 第112回「食塩摂取と高血圧の常識を疑う」で「食文化を考えずに栄養だけ論じていいのか」と、和風だしを最も見事に引き立たせる塩分について書いた。清酒が消えていくことは、家庭の食卓から低脂肪の和食が消えていくことと裏表の関係にあると私は思う。

 業界で前々から言われている課題、低アルコール清酒を主力製品にするくらいの意気込みで自己改革しないと、本当にマイナーな酒になってしまおう。月桂冠大倉記念館名誉館長の栗山一秀氏が「日本酒の明日を語る」で「何百もある清酒のうまみ成分の分子は、それぞれがアルコール分子と手をつなぎ、アルコールが中心となって風味のバランスが保たれています。問題は、中心であるアルコール分が少なくなってしまうと、このアルコールに代わって柱となるべきものがいまだに見つからないことです」と語っているように、確かに低アル清酒は難しい。商品が出たと思うと消えている。

 それでも、アルコール度数が20度、25度以上と高い焼酎が成功したのは、薄めても風味や旨さが楽しめるからだ。本格的な低アルコール化に成功しさえすれば、日本酒の吟醸香や甘みは若い女性にも受け入れられるはず。アルコール度数15度と、きついオジサンの酒から脱皮できよう。回復不能な落ち込みになる前に業界全体が本気にならねば。