団藤保晴の
「インターネットで読み解く!」

学力・読解力低下で知る危うい国家戦略 [ブログ時評03] (2004/12/12)

(「ブログ時評」に同文掲載。TBなどはそちらに)

 経済協力開発機構(OECD)による主要41カ国・地域の生徒の2003年学習到達度調査結果が12月7日に公表され、前回2000年に比べて数学的活用力が1位から6位、読解力は8位から14位に落ちた。文部科学省は「我が国の学力は世界トップレベルとはいえない状況」と言い出した。日本人生徒に白紙提出が続出した読解力の今回問題は公表されなかったが、前回分は読むことができ、落書きについて対立する二人の手紙から言い分をくみ取って記述する構成になっている。

 「極東ブログ」の「日本学生の読解力低下が問題ではなく文化差異が問題だ」は、問題の手紙文を前にして「私は、ちょっと文化的な目眩感を感じた」「私は、どっちかというとかなり欧米的な高等教育を受けたし周りに非日本人の学友もそれなりにいた。で、あいつらは、そう、こんなふうに言うのだ。そう、こういうふうに自分の意見をがなりたてるのだ」と気付く。日本人にはどうでもいいだろうと思えることでも、議論を始めたら執拗である。

 私がドイツに取材に行ったとき、通訳の人が「この人たちは同じような中身を、言い方を変えて前後3回言わないと気が済まないんですよ」と嘆息した。しかし、国際的にビジネスしようとすれば、議論とはそんな面倒を嫌っていられないものだろう。「極東ブログ」も日本人には不向きとは認めつつ「どうしたらいい? 結論はついている。こうした読解力を高める以外に日本人が今後の世界を生きていく道なんかないよ、である」とする。

 教育現場にいた経験がある人たちには、読解力低下は周知の事実である。「くろねこ@国語塾」の「日本の高校生の読解力低下」は「某予備校の現代文講師を1年ほどやっていました」「『“自尊心”を外来語で言ってくれ』と当てると『“外来語”って何?』などと返ってきて驚愕したことも数知れず。おいおい18歳超してて理系クラス、しかも偏差値高いはずやのにどーなってんねんと疑問に思ったものです。基本的な『語彙力』が足りなくなっている気もします」と明かす。

 「それ以上に、読解力は『ひと粘りする忍耐力』という側面があります。 また子どもの『粘り』=『読解力』が無い理由として、世の中総じて『感情』が先に立ちすぎている感じがします。世の中には感情論が溢れ、少し論理的に考えればさして問題でないことや解決するにはたった一つの方法しか無いことに、引きずり回され過ぎている。筋道立てて周りにも目を配りながら論理的に考えることを封印して『自分が快か不快か』だけで感情を撒き散らしていると、起こった出来事に対しての理解力・判断力が失われてしまいます」

 「キレやすい子どもたち」、社会性に乏しくなった子どもたちの姿が読解力問題の背景にあるのだ。テスト対象は、義務教育修了15歳の生徒から無作為で選ばれている。この生徒達は、まだ学校週5日制が完全実施される前に当たる。次回学習到達度調査がある3年後にはどうなるのか、非常に悲観的な声を多数聞いた。

 それではどうしたら良いのか。塾講師などの経験から導いているのが「Motto」の「読解力(1)」。現状の問題点を「・文章の内容がわからない。・思ったことを表現できない。・自分ひとりで考えられない」の3点と指摘する。「これは実際に私が家庭教師や塾講師をやって、100人くらいの生徒をみて調査した結果」。だから例えばゲームをして面白いことがあっても、うまく説明できないような子への対策として「子供たちとのコミュニケーションを保ちつつ、こちらでは無理に内容を理解しようとしない。うまく説明させる」ように辛抱強く、し向けるのだという。

 大人が子どもに聞きまくって、頭に浮かぶイメージを言葉にさせる。学校任せでは本当は駄目なのだろう。現在、米国在住の大学生による「目標へのプロローグ」の「第23回:日本人の学力低下」が、これと似通った親の行動を伝えているのも興味深い。

 「現在六歳アメリカ人の男の子の宿題とか覗いてるんですが、親が積極的に『子供と一緒に勉強または子供が何を学んでいるのか常にチェックする』と言った日本によく見られる学校・塾依存体制から一歩先に進んでます。例えば、『ジャックとマメの木』の本を読んで、『マメの木が伸びた時のジャックの気持ちを表現してみてください』とか『話のその後がどうなったのか子供と一緒に考えてみてください』などなど本当に『学校・親・子供のトライアングル』が形成されているのには驚きました」

 教科内容3割削減の新学習指導要領、ゆとり教育導入には、子を持つ親の立場からは賛否がある。「☆jasmintea7 日記☆」の「学力低下問題について」は、やむなし派である。「現在息子が通ってる高校も総合高校ですので国語、数学、英語も2、3年では必須になっていません。じゃ、何をやってるのかと言うと個々の選択にもよりますが『農業実習』『プログラミング関係』『福祉関係』『郷土の歴史』『環境問題』等などです。美術や体育、音楽も細かなジャンルに分類されています。(たとえばゴルフ、油絵、陶芸など)」「これでは絶対に基礎教科の学力は落ちますね。でも、それは詰め込み教育の弊害が多くなった時点で上記目的への転換だったのですから仕方ないと思います」

 これに対して「tsurezure-diary」の「心のデフレスパイラル@小学校」学校への不信感を訴える。「うちにも小学生がいますが、とにかく入学以来毎日学校が嫌で、給食食べるために通っているようなもんです。嫌でたまらない理由は、授業参観してよくわかりました。クラス全体が落ち着きがない。先生が話をしている途中でタメ口で茶々を入れる。親も親で、授業中であっても平気で後ろでおしゃべり、しかも携帯鳴るし」「親自身が何で勉強する必要があるのか、ということを子どもに明確に説明できなきゃどうして子どもがそれを優先事項だと思えるのでしょうか?世の中の大人たちが、一生懸命勉強したって将来たかが知れてると身をもって示しちゃってるのに、学校への信頼感なんて子どもがもてるわけないじゃん」

 新学習指導要領に先立つ13年前に、小学校に生活科が取り入れられた。今回導入の総合的学習の先駆であり、月1回の学校週5日制も導入されて6日制が前提の教科内容が消化不良を起こすようにもなる。「落ちこぼれ」ほか、この時代から様々な問題が積み重なってきたのである。

 「nanayaのひとりごと」の「学力低下の原因はどこにある?」は自らの大変さを語る。「何がどう難解だったか。わが子が小2の時の学習内容。小学校段階で一番内容的に集中して大変な学年であった。算数は毎週のように単元が変わる。しかも脈絡のない単元の構成で、時間を習ったかと思えば、次の週は距離について、次は液体の容量、そして次は2桁3桁の数の計算など。九九が入ってくるのもこの年次であった。漢字もおそろしく多い。復習する間もなく、次の新しい内容に移行する。子どもも教師もパニックになりそうだった」「『生活科』が始まったのもこの頃。教師の力量で素晴らしい授業が期待できる半面、無駄な時間だと言い切った教師もいた。私も学習会に参加して、問題点の多さを思い知らされた。まさにこのときは低学年攻撃型指導要領だと思った」

 「鴎のキャナリン(眠る知性) 」の「小学生の低学力」も辛辣である。「『生活科』ができてから、小学生の基礎学力低下が始まった。『理科』『社会』がなくなり、保育園のお遊びタイムのようになった。その上に『ゆとりの時間』で学校は『遊びに行くところ』になった。『影』の学習が3年生になった頃。『かげってなあに?』って、普通の子に普通に聞かれた時、影を知ってる子が30数名中、3人しかいないことを知った時の驚き」「3年生というと早い子は生理になる子もいる。母親になれる身体をもって、影を知らないのである。子どもは、正直。本当にそう思った 」

 調査の結果が抜きん出ている国が北欧フィンランド。公立中教員を退職して嘱託で教壇に立つ「風のたより」の「OECDの第2回学習到達度調査(PISA)の結果が公表された」は日本の教育現場との差をこう書く。

 「『総合的な学習』については、前回も今回もトップに君臨するフィンランドの実践を真似て、僕もいろいろな授業の参考にさせてもらった。フィンランドが成功していることひとつをみても、この考え方そのものが大筋で間違っていないことは確かなのだと思う。だが、教育行政のスタンスが日本とフィンランドではまったく違う。フィンランドは、教育の地方分権を推し進め、教師の資格をより厳しく(『修士』以上に)し、サポート体制に十分な予算を投じている。日本は、教育の中央集権に執着しつづけ、教師の待遇は劣悪に放置し、『思いつき』は押しつけるが金は出さない」「何か、とんでもない間違いが放置されている。『日の丸・君が代』には血道を上げるくせに、国民の文化水準をどう高めていくか、子どもたちが『賢く』成長するために何が必要なのか、といったことには何の定見もプランもない」

 人口520万人と日本なら兵庫県くらいのフィンランド。世界最大の携帯電話メーカー、ノキアがあることでも知られる。ハイテクで生きる、この小国が教育政策に失敗したら致命的だ。一方、超大国アメリカの学習到達度調査成績は低迷しており、関係者は危機感を口にするが、それほど焦っているとも見えない。一部のエリートは育つだろうし、アジアから優秀な頭脳を大量導入すれば済む。現にそうして研究開発は成り立っている。なら、日本はどうか。一部のエリートでやっていける国か。

 皆さんが論じられている通り、学力低下には文部科学省官僚の政策的錯誤が大きいと考えている。それは「勝ち組」さえも裏切るほど場当たりである。長くなるので私の過去の連載第120回「負け組の生きる力・勝ち組の奈落」の参照を勧めたい。



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