青色LED和解で理系冷遇は変わるか [ブログ時評07]

 青色発光ダイオード(LED)開発者、中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授は、勤務していた日亜化学工業(徳島)との間で発明対価を8億4千万円として和解した。一審の東京地裁で200億円の巨額判決を得たのに、控訴審・東京高裁の裁判官は和解を強く勧めて、大幅減額に落ち着いた。和解後に開いた記者会見で中村教授が日本社会への失望を表明し「理系を目指す人には是非、実力が収入に反映される米国に来るよう勧めたい」と言い放った。中村教授のキャラクターへの好悪も重なって、ネット上で不満・納得・賛否の意見が交錯している。

 一審判決当時から多くのマスメディアの報道が的確でなかったことが、事態激変の理解を難しくしている。こうした民事の訴訟では裁判官は原告、被告双方からの主張をよく聞いて、どちらかに乗るしかないのだ。もし「本当に正しいのはこうだ」と内心思っていても、双方とも主張してくれなければ判決に使えない。私の連載第143回「巨額な発明対価判決が映すもの」で描いたように、日亜化学側は監査法人の鑑定で青色LED開発により利益を上げたどころか14億円以上の損失を出していると主張した。そっと「こうも考えられる」と別に穏当な計算も出していれば良かったのに、無茶な主張で突っ走った。裁判官はやむなく中村教授側の主張をなるべくマイルドにして採用したと考えられる。

 敗れた日亜化学側は控訴審では当然、普通の常識的な理解が得られる主張に切り替えたのに、中村教授側は一審が最高600億円まで認定可能とした点に飛びついて無理な主張をしたようだ。裁判官は判決を書くなら日亜化学側に立つしかなくなるが、それでは億を切るような少額になるので裁判の対象でなかった中村教授の発明全部を一括対象にし、今後、別の訴訟は起こせなくなる利点で日亜側を説得、金額にも色を付けたと考えられる。

 野球に例えれば、敵の失策で先制点を挙げたのに終盤、自らの大暴投で同点に追いつかれた――この流れを中村教授も十分、理解できていないから記者会見での不満爆発があったと思う。また、産業界などからのコメントでも裁判不信の声が出ている。一審判決時に続いて知財関係方面から素人のようなコメントが出るのでは、一般ブロガーなら理解しにくくて当然かもしれない。

 さて8億円余。普通のサラリーマンには十分に巨額である。それでも「志す理系人は米国に来い」という。果たして、そうか。「BENLI」の「ギャンブルしなかった中村さん」は欧米企業内の報奨制度を取り上げながら、中村教授の呼びかけに錯覚があるのではないかと説く。「ドイツでもフランスでも、中村氏は6億円を超える補償金をもらうことは難しかったのではないかという気がします」とし、米国なら「ベンチャーキャピタルから出資を募って自分で会社を興し、そこで発明を完成させようと考える人も多そうだし、すぐれた発明を行ったという実績をひっさげて他社に高給で引き抜かれるというのもありなので、優秀な研究者・技術者が金銭的に豊かになる方法はいくらでもある」。それに対して中村教授は米国に行きながら米国流のリスクを負う生き方はしていないのだとする。

 米国社会の仕組みがそんなに良いか、考えている「13Hz!」の「青色LED訴訟、中村教授が『理系を目指す人は、米国に来るよう勧めたい』」はこう指摘する。日本では開発が失敗した際の損失などは会社が背負う。「一般的には雇用までもが保障され、研究開発に失敗したからといって研究者をクビにしたりはしない」また「本来、上級の研究者ならば、その研究がどのように『会社に利益をもたらすか』をプレゼンテーションし、まず開発の許可を得て、その上で予算取りを行わなければならない」「だが、日本ではこのプレゼンテーションは極めて簡単にすまされ、研究者が研究に打ち込めるようにするのが普通だ」

 これに対して年俸制の米国式は失敗すれば失職の危険を負い、経営者を説得して予算を取らねばならない。「欧米スタイルの雇用には賛成だ。でも、その一方で『金は程々でいい。ただ、研究に没頭したい』という研究者達の幸福を奪う結果になることも、知っているつもりだ」

 こうしたリスクから逃れている実情から、実は理系職場の中でも、民間企業の研究職は相対的に低い立場にあると知れる資料がある。第143回「巨額な発明対価判決が映すもの」でも取り上げた上智大経済学部出島研究室の「データを探しに」である。人事院「民間給与の実態−平成8年職種別民間給与実態調査の結果」から月額ベースで理系と文系の幹部職給与を比較している。  ボーナスを含めるとこの差はかなり拡大すると考えられる。最近まで金融業界や商社などでは高額な賞与が出ていて、製造業のそれとは比較にならなかった。生涯賃金で理系と文系には5000万円の差があると言われる理系冷遇の、さらに下層に研究者は位置していたのだ。

 イチローやマツイの年俸との比較で「8億円でも少ない」とする意見はロマンの問題だから、もっと現実的になろう。今度の和解で「会社が上げた利益の5%までが発明者の貢献度である」とする流れが出来ようとしている。「junhara's blog」の「発明貢献度なぜ5%?」は「なぜ5%なのか、どこにも説明がない。出版の場合、印税は平均10%である。新聞社にいる著者の場合、書き下ろしで10%、企業内の機能をどれくらい利用したかしないか、で印税の率は変わる。記事として掲載された文章をどの程度加工しているか、社の取材機能をどの程度利用したかによって、変わる。ケースバイケースで決まるがルールがないわけではない」と良い点に目を付けている。

 新聞社の仕事で書いた記事をそのまま本にした場合、印税の半分は会社が持っていくのが一般的だろう。会社がリスク丸抱えで仕事をした場合には執筆者利益は5%という実情を、裁判所も知っている可能性が高い。民事訴訟の判決では裁判官は原告、被告どちらかに乗るしかないが、和解勧告では「このあたりが妥当でしょう」と示せるのだ。そのように考えると、青色LED和解は会社によっては数万円の報奨金しか出ないような極端な冷遇から、民間企業の研究者を文系の仕事と同じ土俵に引っ張り上げたとも見える。ただ、5%を掛けるべき会社の上げた利益額については算定方法にコンセンサスは出来ていない。