日本の映画界にもっと市場原理を [ブログ時評09]
日本映画製作者連盟が発表した2004年の映画興行収入は2年連続で過去最高を更新、2109億円になった。これでも、200億円を記録したアニメ「ハウルの動く城」の一部しか算入されていない数字だという。入場者数は1億7千万人で、全盛期1958年の11億2700万人には比べるべくもないが、確かに復調していると感じさせる足取りを、左に掲げたグラフからも読み取っていただけよう。グラフが語っている通り、日本映画業界のどん底は1996年にあった。その翌1997年、私の連載「インターネットで読み解く!」が「INTERNET WATCH」で始まり、19回目の「日本映画は窮地を脱したか」は、こんな書き出しだった。
「97年は、衰退基調と言われてきた日本映画にとって、特筆ものの『事件』が連続した年として記憶されるだろう。5月のカンヌ映画祭で、今村昌平監督が『うなぎ』で2度目のグランプリ、河瀬直美監督が『萌の朱雀』で新人賞を得た。この夏公開の宮崎駿監督『もののけ姫』が邦画新記録の興行収入72億円、観客数877万人を8月末に達成して、なお客足が衰えずロングランしている。9月にはカンヌ、ベルリンと並ぶもう1つの世界三大映画祭ベネチアで、北野武(ビートたけし)監督の『HANA-BI』がグランプリを獲得した。ある意味でもっと刺激的だったのは、周防正行監督の『Shall we ダンス?』が米国で7月にロードショー公開され、好評を得て全米に上映館が拡大、『チャートでは18位にランクインされ、驚異的にいい数字をあげた』と、監督自身が帰国後に語ったことだ」
こんなグッドニュースが続いたから映画ビジネスの基調が変わる――そんなことはあり得ない。どん底から8年、日本の映画界に大きな変化をもたらしたのは、一つのサイトに幾つものスクリーンを持つシネマコンプレックス「シネコン」の増殖だと総括せざるを得ない。2004年の全国スクリーン数2825の63%に当たる1766を、215カ所にあるシネコンが占めるに至った。そして、1996年はこんな年だった。それまで都市郊外にばかり展開していたシネコンが都市中心部に打って出た。先兵は福岡市博多区にオープンしたアメリカ大手映画興行会社AMCの「AMCキャナルシティ13」による「福岡戦争」である。
20代の筆者が書く論文「映画産業論」の「V 変わる映画業界」はこう表現している。「AMCが誕生した96年5月1日から12月31日までの8ヶ月間の興行成績は、観客動員数60万1000人、興行収入8億6000万円。福岡市内の映画館はAMCの13スクリーンを含めて26スクリーンあり、この期間の総動員数は139万4000人、興行収入19億9000万円。ちなみにAMCがオープンしてない前年同時期の福岡市13館の総動員数は108万2000人、興収15億9000万円で、福岡市内全体では前年比で25%しか増加していないのである。映画館が2倍に増えたので、興行収入も2倍に増えるというわけにはいかなかったのである。既存館はAMCに観客を相当数奪われてしまったと考えられる。既存館は前年比で軒並み30%近くの減少をみせており、明らかにAMCに観客が移動したことを表している。結果として、今までの映画ファンが馴染みの映画館に通うのをやめて、新しいシネマコンプレックスに行くことになったのである」
日本の映画興行の世界は長く護送船団方式で守られてきた。系列の配給会社がいつからいつまでと指定してフイルムを届け、映画館主は黙って上映するだけ。大した経営努力もしないで、そこそこの収入が得られた。上映している映画がヒットして客が押し掛けたとしても、当初から決まったスケジュール通り、次の映画を掛けて平然としていた。これを「ブロックブッキング」と呼ぶ。
反対語が「フリーブッキング」であり、日本の10倍、米国に3万もある映画スクリーンは自由競争で運営される。映画配給側は個別の館主に「この映画はうける」とセールスして回らねばならないが、ヒットすると判れば数千スクリーンが一斉に同じ映画を掛ける。日本のシネコンも系列支配から離れた上に、ヒット映画には同一サイトで3つも4つもスクリーンを使うことで需給バランスに応えるシステムを作った。2時間座るには貧弱だった座席や設備の改善などもシネコンは果たした。ブロックブッキングも一部が崩壊した。
日本が復調気配とは言え、日米の映画業界には大きな差がある。その歴史的解説は「日本映画は窮地を脱したか」でも引用した神戸大学大学院・山下勝氏の「アメリカ映画産業史2」(当時。現在は米国のWaybackMachineで読める)に詳しい。メジャーの一時的な衰退を補って余りあった「俺たちに明日はない」「卒業」「イージーライダー」といった作品群につながるインディペンデント作品の隆盛から大作志向へ転じたのに加え、米国ではテレビ局にも独占禁止法の網が掛けられ、一定以上の番組外注が義務づけられたために、テレビドラマはもっぱらハリウッドが製作することになったのである。米国ドラマには日本の安手なテレビドラマと違う味わいがある理由が納得いただけよう。
テレビドラマ製作が独禁法で規制される事態は、残念ながら日本では考えられない。しかし、独立系の製作者たちが、必ずしも報われているとは言えぬまでも良い仕事を続け、一部はハリウッドでリメイクされ始めた。あの「Shall we ダンス?」もリメイクが出来上がり、試写を見た方の「Shall we Dance?」など、評判記があちこちに書かれている。
もっと映画は見られて良いのに、阻んでいるのは入場料の高止まりだろう。「京の昼寝〜♪」の「その後の『東京タワー』〜☆」は「映画『東京タワー』が、映画業界の常識を覆す記録を作ったそうです。 1月の15日に公開が始まって以来、2度のレディースディの観客動員数が、公開初日と2日目の記録を上回っていることがわかったそうです」と伝えている。1000円という手頃な値段なら、もっともっと客は呼べるのだ。
「U 映画業界の現状」に各国の比較表があり、米、英では500円前後で映画が見られている。冒頭のグラフをもう一度見ていただくと、1970年代初めに日本では客足の落ち込みに耐えられずに料金を500円から1000円台へと上げていき興行収入は確保したものの、結果としてコアな映画ファンしか残らなかった様子が読みとれる。年間の平均映画鑑賞回数が5回もある米国では、DVD普及などの影響で客足に陰りが見えるそうだが、落ち込んでいた日本なら画質・雰囲気の良さをアピールし、リーズナブルな値段設定さえあれば勢いは続こう。
日本映画興行収入ランクの上位はアニメと純愛ものばかりとも言われる。しかし、ランクに顔を出さない佳作がいくつも作られている。ちょうど「映画:『誰も知らない』米で好評」とのニュースも飛び込んできた。雑誌「ニューヨーカー」が2ページの批評を書いたそうだ。「海を見ていた」の「映画ファンド」が書いているように「個人向け映画ファンドの募集」が始まっている。若い才能が世界に出ていく可能性が高い場所であることも指摘したい。エンカレッジするためにも、もっと大胆に市場原理を、と訴えたい。
「97年は、衰退基調と言われてきた日本映画にとって、特筆ものの『事件』が連続した年として記憶されるだろう。5月のカンヌ映画祭で、今村昌平監督が『うなぎ』で2度目のグランプリ、河瀬直美監督が『萌の朱雀』で新人賞を得た。この夏公開の宮崎駿監督『もののけ姫』が邦画新記録の興行収入72億円、観客数877万人を8月末に達成して、なお客足が衰えずロングランしている。9月にはカンヌ、ベルリンと並ぶもう1つの世界三大映画祭ベネチアで、北野武(ビートたけし)監督の『HANA-BI』がグランプリを獲得した。ある意味でもっと刺激的だったのは、周防正行監督の『Shall we ダンス?』が米国で7月にロードショー公開され、好評を得て全米に上映館が拡大、『チャートでは18位にランクインされ、驚異的にいい数字をあげた』と、監督自身が帰国後に語ったことだ」
こんなグッドニュースが続いたから映画ビジネスの基調が変わる――そんなことはあり得ない。どん底から8年、日本の映画界に大きな変化をもたらしたのは、一つのサイトに幾つものスクリーンを持つシネマコンプレックス「シネコン」の増殖だと総括せざるを得ない。2004年の全国スクリーン数2825の63%に当たる1766を、215カ所にあるシネコンが占めるに至った。そして、1996年はこんな年だった。それまで都市郊外にばかり展開していたシネコンが都市中心部に打って出た。先兵は福岡市博多区にオープンしたアメリカ大手映画興行会社AMCの「AMCキャナルシティ13」による「福岡戦争」である。
20代の筆者が書く論文「映画産業論」の「V 変わる映画業界」はこう表現している。「AMCが誕生した96年5月1日から12月31日までの8ヶ月間の興行成績は、観客動員数60万1000人、興行収入8億6000万円。福岡市内の映画館はAMCの13スクリーンを含めて26スクリーンあり、この期間の総動員数は139万4000人、興行収入19億9000万円。ちなみにAMCがオープンしてない前年同時期の福岡市13館の総動員数は108万2000人、興収15億9000万円で、福岡市内全体では前年比で25%しか増加していないのである。映画館が2倍に増えたので、興行収入も2倍に増えるというわけにはいかなかったのである。既存館はAMCに観客を相当数奪われてしまったと考えられる。既存館は前年比で軒並み30%近くの減少をみせており、明らかにAMCに観客が移動したことを表している。結果として、今までの映画ファンが馴染みの映画館に通うのをやめて、新しいシネマコンプレックスに行くことになったのである」
日本の映画興行の世界は長く護送船団方式で守られてきた。系列の配給会社がいつからいつまでと指定してフイルムを届け、映画館主は黙って上映するだけ。大した経営努力もしないで、そこそこの収入が得られた。上映している映画がヒットして客が押し掛けたとしても、当初から決まったスケジュール通り、次の映画を掛けて平然としていた。これを「ブロックブッキング」と呼ぶ。
反対語が「フリーブッキング」であり、日本の10倍、米国に3万もある映画スクリーンは自由競争で運営される。映画配給側は個別の館主に「この映画はうける」とセールスして回らねばならないが、ヒットすると判れば数千スクリーンが一斉に同じ映画を掛ける。日本のシネコンも系列支配から離れた上に、ヒット映画には同一サイトで3つも4つもスクリーンを使うことで需給バランスに応えるシステムを作った。2時間座るには貧弱だった座席や設備の改善などもシネコンは果たした。ブロックブッキングも一部が崩壊した。
日本が復調気配とは言え、日米の映画業界には大きな差がある。その歴史的解説は「日本映画は窮地を脱したか」でも引用した神戸大学大学院・山下勝氏の「アメリカ映画産業史2」(当時。現在は米国のWaybackMachineで読める)に詳しい。メジャーの一時的な衰退を補って余りあった「俺たちに明日はない」「卒業」「イージーライダー」といった作品群につながるインディペンデント作品の隆盛から大作志向へ転じたのに加え、米国ではテレビ局にも独占禁止法の網が掛けられ、一定以上の番組外注が義務づけられたために、テレビドラマはもっぱらハリウッドが製作することになったのである。米国ドラマには日本の安手なテレビドラマと違う味わいがある理由が納得いただけよう。
テレビドラマ製作が独禁法で規制される事態は、残念ながら日本では考えられない。しかし、独立系の製作者たちが、必ずしも報われているとは言えぬまでも良い仕事を続け、一部はハリウッドでリメイクされ始めた。あの「Shall we ダンス?」もリメイクが出来上がり、試写を見た方の「Shall we Dance?」など、評判記があちこちに書かれている。
もっと映画は見られて良いのに、阻んでいるのは入場料の高止まりだろう。「京の昼寝〜♪」の「その後の『東京タワー』〜☆」は「映画『東京タワー』が、映画業界の常識を覆す記録を作ったそうです。 1月の15日に公開が始まって以来、2度のレディースディの観客動員数が、公開初日と2日目の記録を上回っていることがわかったそうです」と伝えている。1000円という手頃な値段なら、もっともっと客は呼べるのだ。
「U 映画業界の現状」に各国の比較表があり、米、英では500円前後で映画が見られている。冒頭のグラフをもう一度見ていただくと、1970年代初めに日本では客足の落ち込みに耐えられずに料金を500円から1000円台へと上げていき興行収入は確保したものの、結果としてコアな映画ファンしか残らなかった様子が読みとれる。年間の平均映画鑑賞回数が5回もある米国では、DVD普及などの影響で客足に陰りが見えるそうだが、落ち込んでいた日本なら画質・雰囲気の良さをアピールし、リーズナブルな値段設定さえあれば勢いは続こう。
日本映画興行収入ランクの上位はアニメと純愛ものばかりとも言われる。しかし、ランクに顔を出さない佳作がいくつも作られている。ちょうど「映画:『誰も知らない』米で好評」とのニュースも飛び込んできた。雑誌「ニューヨーカー」が2ページの批評を書いたそうだ。「海を見ていた」の「映画ファンド」が書いているように「個人向け映画ファンドの募集」が始まっている。若い才能が世界に出ていく可能性が高い場所であることも指摘したい。エンカレッジするためにも、もっと大胆に市場原理を、と訴えたい。