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第19回「日本映画は窮地を脱したか」 (97/09/11)

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 '97年は、衰退基調と言われてきた日本映画にとって、特筆ものの「事件」が連続した年として記憶されるだろう。5月のカンヌ映画祭で、今村昌平監督が「うなぎ」で2度目のグランプリ、河瀬直美監督が「萌の朱雀」で新人賞を得た。この夏公開の宮崎駿監督「もののけ姫」が邦画新記録の興行収入72億円、観客数877万人を8月末に達成して、なお客足が衰えずロングランしている。9月にはカンヌ、ベルリンと並ぶもう1つの世界三大映画祭ベネチアで、北野武(ビートたけし)監督の「HANA-BI」がグランプリを獲得した。ある意味でもっと刺激的だったのは、周防正行監督の「Shall we ダンス?」が米国で7月にロードショー公開され、好評を得て全米に上映館が拡大、「チャートでは18位にランクインされ、驚異的にいい数字をあげた」と、監督自身が帰国後に語ったことだ。米国ロードショー公開は黒澤明、伊丹十三に次ぐものという。日本映画の何かが変わったと思わせる、こんな兆候が出そろった今、インターネット上のデータを日米対比を軸に読み直してみた。

◆米国での興行システム

 「Shall we ダンス?」は最初の週はわずか5館で上映されただけだったが、翌週には15都市、さらに40都市へと広がった。最高の18位になった少し後、8月24日現在の状況を「MOVIEWEB」のランクで再現してみたい。この週、「Shall we ダンス?」は22位(前週20位、前々週19位)。この週の興行収入は50万ドル。興行収入の累計1億ドル突破が映画屋にとっては夢の数字であるが、「Shall we ダンス?」はそれには遠く及ばないものの上映7週間で累計440万ドルを稼いでいる。米国では外国映画は吹き替え上映が普通なのに、字幕付きで上映して、この数字を出しているのは立派だ。

 ランキングには初登場で上位入りの作品がいくつも並んでいて、まるでポップミュージックのヒットチャートと同じ性質であることが読みとれる。この連載16回目で触れた「ロストワールド」は3カ月上映された後で、さすがに24位まで下げている。この映画は公開第1週には、なんと全米3,000スクリーンで上映された。日本国内の映画館はわずかに回復して1,800を超えたとされているから、人口の割合を考えたとして、「ロストワールド」全米上映の密度は国内の映画館全部が一斉にやったようなものである。

 米国内だけですでに2億ドル以上、270億円も稼ぎ出せる構造について、東海丸万証券のレポート「97年夏の米国映画産業事情」に詳しい。「劇場のスクリーン数は、昨年7%成長、合計29,700に達した以降も、増加ペースが加速している。AMC社は96年に314を追加、今年も700を計画して30%増加させ、カナダのシネプレックス・オデオン社も、来年末までに400を新設し北米合計を20%増加させる方針。新設の大半はマルチプレックス劇場、最大スクリーン数25で観客の選択を拡げる」「総製作本数は、今年度分は未定ながら、昨年は471本と前年より増加、封切り本数が92年の480本から411本に落ち込んだ3年間の傾向を反転させた。業界関係者は、今でも、過剰生産がこの産業の最悪の問題という。作品が多すぎるため、劇場経営者の拡張意欲にも拘わらず公開スペースが限られ、各社が同一公開窓口に押し掛けて競争を繰り広げ、マーケッティングコストが嵩む」

 東宝松竹など大手配給会社の系列支配に縛られている国内と違って、映画館が独立している米国では「これはいい作品で客が入りますよ」とセールスして回らねばならない。逆に「これは客がつく作品だ」と映画館経営者に分かれば、あっという間に全米ロードショーに拡大していくのである。'96年の興行収入59億ドルに対して、テレビ放映で112億ドル、ホームビデオで152億ドルを稼ぎ出すから、興行での4倍近い収入が見込める。資金が決して十分でなくても、映画製作者側は夢を追い続ける。

 一方、国内の邦画上映館は年間計画でスケジュールは決まっていて、作品がヒットしようがしまいが消化していくだけ。「寅さん」シリーズのような必ず客が入る映画があるから何とか食いつないできた。「もののけ姫」のようなロングランは洋画系の映画館を使っているから可能になる。

◆戦後の日米映画産業

 米国映画界もすべてが順調だったのではない。戦後の歴史を神戸大学大学院・山下勝氏の「アメリカ映画産業史2」が活写している。'48年に連邦最高裁はハリウッドのメジャー各社に、系列映画館への支配などを禁止する命令を出した。「同意判決により、劇場を失ったメジャー各社は臆病風に吹かれる。つまり、映画を製作しても、それが確実に劇場で上映されるという保証を失ったのである。製作そのものにも消極的になっていく(製作本数の減少が顕著な例)。さらに、日本と同様に、テレビという新しいメディアの登場がハリウッド映画産業を不況のどん底へと導いたのであった。1950年の映画館入場者数は20億人を裕に越えていたが、1970年には10億人にも満たなくなっていた」「ところが、1960年代後半からある変化が起きた。にわかにハリウッド映画産業が活気づいてきたのである。その変化とは一体何であろうか。前述したとおり、メジャー各社は自主製作本数を減少させていた。しかし、それと同時にインディペンデント・プロデューサーによって製作された作品の本数が急増したのであった。インディペンデント・プロデューサーとは、メジャーには所属しない独立系プロデューサーであり、一般にインディペンデント作品とは彼らが製作した映画のことを言う。1960年代後半になって、ようやくこの中から稀有の名作が続々と誕生してきた」

 「俺たちに明日はない」「卒業」「イージーライダー」といった作品群が現れ、'72年の「ゴッドファーザー」へとつながっていく。「減り続けていたアメリカの映画館入場者数は1972年を境に、現在に至るまでずっと上昇し続けている。また業界関係者の中からも『ゴッド・ファーザー』以降、作品の質が変わってきているという声が出ている。まさにそのような意味では、起死回生の作品だったと言えよう」 そして、'77年の「スターウォーズ」大成功を足がかりに超大作製作へと転進する。その一方で、米国ではテレビ局にも独占禁止法の網が掛けられ、一定以上の番組外注が義務づけられたために、テレビドラマはもっぱらハリウッドが製作することになった。

 翻って、独占禁止の視点が無かった国内は、大手映画会社の系列支配が続き、その大手がテレビによって斜陽化し、自前の映画製作を控えるようになって、ますます自滅へと転げ落ちた。角川映画など外部資本の乱入時代もあったが、それも落ち着いたのが現在だろう。国内で起きたことも、山下氏の連作のひとつ「日本映画産業史」に詳しいが、「日本の十代における映画の嗜好性についての一考察」に、チャーミングなグラフがあるので、ぜひ紹介したい。7,500もあった映画館の激減ぶりから、邦画が洋画に圧倒されていく様が、卒業研究としてデザインされたらしくきれいに描かれている。欧州に比べると、日本は国内映画の興行収入比率が高い。しかし、それも「邦画の封切り本数が減っているのにも関わらず、興行・配給収入が伸び続けているのは(平均入場料の上昇も影響しているが)『前売り券制度』のおかげである。『前売り券制度』とは日本独自の制度で、『前売り券保証(企業・団体による大量購入)の多寡によって映画の配給を決める』と言う方法である。実際には『映画に投資した企業が大量の前売り券を引き受けて、関連の団体やら出入りの業者に割り当てていく』ため、配給側の収入は最低限保証されると言うわけだ」と手厳しい。

◆明日を切り開くには

 米国で'60年代後半に起きた状況に、今年の活況が似ているのなら面白いと思うが、取り巻いている客観情勢は相当に違う。

 「第1回研究会 映像ソフトの将来」で、米国、英国で映像製作をした白井隆氏は「ロンドンでも、ホンコンでも、アメリカの文明の力とどう関わるか物凄く意識して物語を創り、ファイナンスしている。日本にいるとこれが分からなくなる」「国際マ−ケットに出なければ、ソフト創りの生きる道はないと15年前に思いました。ホンダのように、世界の人に受け入れられるコンテクストを開発するんだという果てしない努力を経過しなければ、決して客はついてこない。つらい思いと楽しい思いを散々経験して、何が面白くて、何が素晴らしいかを解っている世界中に散らばっている大衆にうけいれられる訳がない」と述べている。

 再び「日本の十代における映画の嗜好性についての一考察」から取り上げると「人材の開発という点から見ても、アメリカで2000ある大学のうち約700校に映画学科があるのに、日本には専門学校を含めた私立の教育機関が二桁(しかも両手の指で)数えるほどしかない」。たとえばそのひとつに、今村監督が理事長をしている「日本映画学校」がある。

 新しい世代について「周防正行監督に嵐山光三郎さんがインタビュー」で、40歳の周防監督は「自分の経験からしか言えませんが、20年前に出てきた監督達より僕から下の世代の監督の方が明らかに個性的で力があるように思うんです。東宝とか松竹、東映とかに限ってみると結構寂しいですが、いろいろな才能がいろいろな所から出てきていると思います」「20年前に無理やりデビューさせられた人が結構いたんですが、デビューさせられてた時より、今の方がいい監督が出てきている。20年前は、日活ロマンポルノや旧映画体制のしっぽを引きずっていたんです。助監督なんてダサイことをやってたらすり減っちゃう。時には傲慢、鈍感さも大事。今出ている人は映画に対する恐さもないし、ストレートに自分の思いを出せているんではないですか」とみる。

 周防監督はもうひとつ興味のある発言をしている。「いくらアメリカ、ヨーロッパが近くなってもアメリカ人が出ているだけで、もう非日常です。だから映画に入ってゆき易いんです。日本映画で苦労するのは、日常的空間から非日常である映画という所まで、引っぱり込まなくてはならないということです。隣に座っている人とあまり違わない人がスクリーンに映り、さっきまで見ていた景色が、スクリーンに現われる映画がフィクションとして中々実感できないんです」

 私は映画は非日常ではなく、超現実なのだと思っている。「超」の度合いはその映画の文脈によって、ほんの少しでもいいし、とんでもない「超」もある。この夏、「スターウォーズ」三部作特別編を改めて見て、あのストーリーに現実感を与えている質感精度管理の徹底ぶりに脱帽した。宇宙開発事業団(NASDA)がNASAの敵でないのと同じ意味で、あの映画は日本では作れない。しかし、ほんの少しの「超」でよければ、米国と並ぶ工業国、米国以上に歪みが集積しやすいこの国には、世界の国から見て超現実的な事柄が、現実としてごろごろしていると思う。私の連載は意図しているわけではないが、たとえば第1回目など超現実的な匂いがしていないだろうか。世界に通用する映画を作るなら、資金問題は置くとして、素材面では意外に有利なポジションにいると思う。主人公が鉄に侵食される「鉄男」とその続編で海外に知られた「塚本晋也監督」ら、若手監督の作品にそれを感じさせるものがある。



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