日本の自動車産業は世界を幸せにしない [ブログ時評18]

 米国自動車産業の二強、ゼネラル・モーターズ(GM)とフォードが業績不振にあえいでいる。2005年1〜3月期でトヨタ、日産が10%を超す販売台数増なのに二強は数%の販売減になり、GMは8億5000万ドルの大赤字転落が予想され、フォードも大幅減益という。北米や中国で攻勢に出ている日本の自動車産業は2005年に海外生産が1000万台に達して、国内生産と肩を並べそうだ。国内と海外が半々になっても国内の自動車産業では目立った空洞化現象は起きていない。驚くべき強さではあるが、その強さが日本の社会、ひいては世界を幸せにしない予感が高まるのはどうしたことか。

 昨年来の原油高騰により、湯水のように使っていた米国でもガソリン代は無視できなくなった。ガソリンをがぶ飲みするピックアップトラックは日本勢が最近まで米ビッグスリーに遠慮していた分野であり、ここを牙城に稼いでいた二強がつまづいた。表面的にこう説明できても、真の原因は違う。トヨタを始めとした日本勢に対し新車開発や品質面の競争力を失っていた。ガソリン代上昇は引き金に過ぎず、遅かれ早かれ起きる事態だった。

 1999年に国内2番手だった日産が経営危機に陥ってフランス・ルノーの傘下に入り、他社も退潮傾向になった。第68回「日本の自動車産業が開いた禁断」を書いて、ジャスト・イン・タイムなどを組み合わせ、極力、無駄を省いたリーン生産方式に頼っているだけでは、日本勢の優位を保てなくなったと指摘した。実際にビッグスリーはリーン生産方式を自分のものにしつつあった。「日本車の優位は失われた」と思ったのだが、実情は中途半端な追い上げに終わったようである。

 明治大の黒田兼一さんによる現地報告「GM、UAW、そしてランシング---工場リストラ現場を訪ねた」は、リーン生産方式導入を巡って各工場ごとに経営陣とUAW労組がぶつかり、日本のように一律でない、ばらばらな労働形態が生まれたことを伝えている。「構内に入った途端、Kanbanカンバン、Kaizenカイゼン、Pokayokeポカヨケ、Seiri-Seiton-Seiketsuセイリ・セイトン・セイケツ、Andonアンドン、こういう文字が飛び込んでくる。『ここはGMではない。トヨタの元町工場だ!』と錯覚を覚える」。こんな工場が存在する一方、「チームで協力すること、いろいろな仕事ができるようになること、チームの会合に出席すること、このような意味での『チーム・コンセプトを受容することと引き替えに大幅賃上げを勝ち取ったのさ』」と組合側が割り切っている工場もある。これで形だけQCサークルが出来たとしても日本のそれとは異質なものだろう。

 1999年に指摘した問題はリーン生産方式だけではない。デザイン力だって開発力だって欧米メーカーが本気になったら心配があった。しかし、内外情勢調査会での張富士夫・トヨタ社長の講演「グローバル時代のトヨタの経営戦略」を読めば、これも本気で心配したのは日本車の側だったと知れる。

 「グローバル化の中で戦略にも通じる一番大切なことは、現地化ではないかと思います」「カムリはアメリカから販売の親方が日本に来て、フェンダーをもっと膨らませろと言った通りに変えたんです。大変よく売れました。アメリカ人に聞くと『マッチョだ』と言う。カムリの『フェンダーを、ムキムキってしたのがいいんだ』と。絶対に日本では分からないと思ったものです」「今ではヨーロッパ、アメリカ、東京、豊田それぞれの地域からデザイン案を出し、コンペをすることで決めています」

 努力は確実に実を結んでいる。米国の消費者情報誌コンシューマー・リポーツが3月初めに発表した自動車総合ランキングで、10部門中の9部門まで日本車がトップを占めた。ホンダが家庭向けセダンなど4部門、トヨタが高級セダンなど3部門、富士重工が小型SUVなど2部門を獲得した。

 翻って米国側に何があったか。「王者GMの落日」(元経済誌記者の雑言)はこうまとめている。「GMは、スケールメリットを生かしたコストダウンを実践するためのパートナーを欲した」「切磋琢磨してお互いに高めていこうという思想を持たなかった。共同開発車に目立った成果が見られないことが、その証左といえるだろう」。部品の購買についても「部品メーカーを巻き込んだ銭単位の原価低減に永続的に取り組むトヨタと、グループでの共同購買に寄りかかり『数』の力で部品メーカーに強引な値引きを迫るGMとでは、どちらが企業体質の強化につながるかは明らかである」

 そして、強い強いと手放しで喜んでいられない日本社会がある。

 「3期連続の増収増益、日本企業として初めて1兆円を超える連結純利益を挙げたトヨタだが、そのトヨタ労組がベア要求の見送りをしたという、ついこの間のニュースは、サラリーマンにはショックだった。『業績向上でも給料は上がらないシステムが定着した』と嘆く向きもある」と、「成果主義とベア」(実年社労士の人事・時事雑感日記)は書いている。

 その代償にトヨタの一時金(ボーナス)は組合員平均244万円の満額回答だったが、好業績の従業員、社会への還元が十分か、疑問が大きい。トヨタに習って自動車社大手が高い一時金で春闘を妥結させる結果、稼ぎ頭の産業がベアをしないのだから他の産業はベアが出来なくなった。一時金増額という形態も消費に回るより貯蓄に向かってしまい、国内で有効な内需を生み出して早く景気回復を本格化したい数年来の経済課題に反している。米国なら増えたボーナスは派手に使われるかもしれないが、国内では住宅ローンの返済原資になるなど生活給の面が大きく「業績次第でいつでも下げますよ」と言っている一時金がこの程度の増額では使えない。言い換えると、自動車産業の強さが従業員にも、日本の社会にも安心感を与えていないのだ。

 従業員健康保険や年金の負担が日欧メーカーの2倍以上もあって、GMの競争力を奪う高コストの原因になっている。つまり過去の従業員を含めて膨大な人々がGMという大樹に頼っている。今回の業績悪化でGMと金融部門の無担保債務2000億ドルが投資適格最低、ジャンク債寸前のランクに落ちる。返済期限が迫っている債務が少ないのが幸いしているものの、もし本当の危機が来た時の米国社会への影響は想像が出来ない。

 歴史を考えると、自動車はある程度、豊かな利潤を前提に栄える産業のように思える。国内に乗用車メーカーだけで8社もあって競争が激しく、薄利体質の日本自動車産業。それが世界を席巻してリーン生産方式で各国各地固有の労働文化を崩壊させてきた。現地生産が進んで、もう貿易摩擦と受け取られることはなくなったと自動車業界が考えているとしたら、もう一歩進めて、自分も相手も豊かになるべき時期に至ったのだと考え直して欲しい。