第151回「日本の自動車産業は世界を幸せにしない」(改)

   [This column in English]
 [注:「日本の自動車産業は世界を幸せにしない [ブログ時評18] 」と「米自動車産業の支援はどこまで本物か [ブログ時評21]」とを一つの記事にまとめ、英訳版のテキストにしたものです。]


 米国自動車産業の二強、ゼネラル・モーターズ(GM)とフォードが業績不振にあえいでいる。2005年1〜3月期でトヨタ、日産が10%を超す販売台数増なのに二強は数%の販売減になり、GMは8億5000万ドルの大赤字転落が予想され、フォードも大幅減益という。北米や中国で攻勢に出ている日本の自動車産業は2005年に海外生産が1000万台に達して、国内生産と肩を並べそうだ。国内と海外が半々になっても国内の自動車産業では目立った空洞化現象は起きていない。驚くべき強さではあるが、その強さが日本の社会、ひいては世界を幸せにしない予感が高まるのはどうしたことか。


◆米国車の巻き返しは中途半端

 昨年来の原油高騰により、湯水のように使っていた米国でもガソリン代は無視できなくなった。ガソリンをがぶ飲みするピックアップトラックは日本勢が最近まで米ビッグスリーに遠慮していた分野であり、ここを牙城に稼いでいた二強がつまづいた。もっと本質的には、トヨタを始めとした日本勢に対し新車開発や品質面の競争力を失っていた。ガソリン代上昇は引き金に過ぎず、遅かれ早かれ起きる事態だった。

 1999年に国内2番手だった日産が経営危機に陥ってフランス・ルノーの傘下に入り、他社も退潮傾向になった。私は第68回「日本の自動車産業が開いた禁断」を書いて、ジャスト・イン・タイムなどを組み合わせ、極力、無駄を省いたリーン生産方式に頼っているだけでは、日本勢の優位を保てなくなったと指摘した。実際にビッグスリーはリーン生産方式を自分のものにしつつあった。「日本車の優位は失われた」と思ったのだが、実情は中途半端な追い上げに終わったようである。

 明治大の黒田兼一教授による現地報告「GM、UAW、そしてランシング---工場リストラ現場を訪ねた」は、リーン生産方式導入を巡って各工場ごとに経営陣とUAW労組がぶつかり、日本のように一律でない、ばらばらな労働形態が生まれたことを伝えている。「構内に入った途端、Kanbanカンバン、Kaizenカイゼン、Pokayokeポカヨケ、Seiri-Seiton-Seiketsuセイリ・セイトン・セイケツ、Andonアンドン、こういう文字が飛び込んでくる。『ここはGMではない。トヨタの元町工場だ!』と錯覚を覚える」。こんな工場が存在する一方、「チームで協力すること、いろいろな仕事ができるようになること、チームの会合に出席すること、このような意味での『チーム・コンセプトを受容することと引き替えに大幅賃上げを勝ち取ったのさ』」と組合側が割り切っている工場もある。形だけQCサークルが出来たとしても日本とは異質なものだろう。

 1999年に指摘した問題はリーン生産方式だけではない。デザイン力だって開発力だって欧米メーカーが本気になったら心配があった。しかし、内外情勢調査会での張富士夫・トヨタ社長の講演「グローバル時代のトヨタの経営戦略」を読めば、これも本気で心配したのは日本車の側だったと知れる。

 「グローバル化の中で戦略にも通じる一番大切なことは、現地化ではないかと思います」「カムリはアメリカから販売の親方が日本に来て、フェンダーをもっと膨らませろと言った通りに変えたんです。大変よく売れました。アメリカ人に聞くと『マッチョだ』と言う。カムリの『フェンダーを、ムキムキってしたのがいいんだ』と。絶対に日本では分からないと思ったものです」「今ではヨーロッパ、アメリカ、東京、豊田それぞれの地域からデザイン案を出し、コンペをすることで決めています」


◆手放しで喜ばない日本社会

 努力は確実に実を結んでいる。米国の消費者情報誌コンシューマー・リポーツが3月初めに発表した自動車総合ランキングで、10部門中の9部門まで日本車がトップを占めた。ホンダが家庭向けセダンなど4部門、トヨタが高級セダンなど3部門、富士重工が小型SUVなど2部門を獲得した。

 翻って米国側に何があったか。元経済誌記者の「王者GMの落日」はこうまとめている。「GMは、スケールメリットを生かしたコストダウンを実践するためのパートナーを欲した」「切磋琢磨してお互いに高めていこうという思想を持たなかった。共同開発車に目立った成果が見られないことが、その証左といえるだろう」。部品の購買についても「部品メーカーを巻き込んだ銭単位の原価低減に永続的に取り組むトヨタと、グループでの共同購買に寄りかかり『数』の力で部品メーカーに強引な値引きを迫るGMとでは、どちらが企業体質の強化につながるかは明らかである」

 しかし、日本では「3期連続の増収増益、日本企業として初めて1兆円を超える連結純利益を挙げたトヨタだが、そのトヨタ労組がベア要求の見送りをしたという、ついこの間のニュースは、サラリーマンにはショックだった。『業績向上でも給料は上がらないシステムが定着した』と嘆く向きもある」と、ある社会保険労務士は「成果主義とベア」で書いている。

 その代償にトヨタの一時金(ボーナス)は組合員平均244万円の満額回答だったが、好業績の従業員、社会への還元が十分か、疑問が大きい。トヨタに習って自動車社大手が高い一時金で春闘を妥結させる結果、稼ぎ頭の産業がベアをしないのだから他の産業はベアが出来なくなった。一時金増額という形態も消費に回るより貯蓄に向かってしまい、国内で有効な内需を生み出して早く景気回復を本格化したい数年来の経済課題に反している。自動車産業の強さが従業員にも、日本の社会にも安心感を与えていないのだ。


◆一時的ながら米国車支援へ

 従業員健康保険や年金の負担が日欧メーカーの2倍以上もあって、GMの競争力を奪う高コストの原因になっている。過去の従業員を含めて膨大な人々がGMという大樹に頼っている。もし本当の危機が来た時の米国社会への影響は想像が出来ない。

 トヨタ自動車会長でもある奥田碩・経団連会長が、業績不振に陥ったGM、フォードなど米自動車産業への支援を口にしたのが4月25日。日本の業界からは反発の声すら上がって単なるアドバルーンとも見られた。しかし、両社の長期債格付けは予想外の速さで投資不適格のいわゆるジャンク債に落ち、5月半ばにGMとトヨタの首脳が会談することになった。

 トヨタ首脳が考えているのは、米業界に「一息つかせる」短期的な支援でしかなかろう。日産が危機になった際、もしトヨタが人を出していたら、豪腕として名を上げたゴーン社長にも優る業績回復を成し遂げたに違いない。日産の体質が実は絞ればいくらでも絞れる「たっぷり濡れ雑巾」状態であることは、同じ業界のトップとして知らぬはずがない。しかし、人を出して経営改革したらトヨタを二つ作ることになってしまう。GMにも、フォードにもそれはしないはずだ。

 燃費が悪くて売れない米国車への技術支援はともかく、値上げも示唆した奥田発言には「自動車販売の不振」(経済まねきねこ)が指摘するように「米国消費者にとって値上げの理由が正当とも思えないもので恣意的に収益を犠牲にしたとも批判される可能性があり、米国消費者からの反発で訴訟問題が多発するリスクがありそう」との問題もある。

 ブログの世界で別の見方も存在する。ウォール・ストリート・ジャーナルの「トヨタ、収益よりマーケットシェア優先か?」を引きながら論じている「BLUE LIONの視点」である。「GMを自動車メーカー世界トップの座から引きずりおろすことを狙っているが、これについて株主から疑問の声が上がっている」――「まさにその通りである。投資家は拡大よりも利益率に拘る」「シェア争いのみに終始している点もマヌケな発言でなかろうか」

 実際に投資家から異議申し立てが出ている。トヨタの株価は昨年7月に最高値を付けて以来、下がり続けている。2006年に世界生産台数を850万台まで増やし、トップGMを追い落とす計画が昨年11月に発表されたが、世界的には生産設備過剰状態であり、投資家にはチャーミングには見えなかった。収益性を上げよとの圧力はトヨタ以外の日産、ホンダなどにも同じように及ぶ。日本の薄利体質に疑問が付いている。

 歴史を考えると、自動車はある程度、豊かな利潤を前提に栄える産業のように思える。国内に乗用車メーカーだけで8社もあって競争が激しく、薄利体質の日本自動車産業。それが世界を席巻してリーン生産方式で各国各地固有の労働文化を崩壊させてきた。現地生産が進んで、もう貿易摩擦と受け取られることはなくなったと自動車業界が考えているとしたら、もう一歩進めて、自分も相手も豊かになるべき時期に至ったのだと考え直して欲しい。