団藤保晴の
「インターネットで読み解く!」

食文化に背を向けたビール業界の悲劇 [ブログ時評25] (2005/06/12)

(「ブログ時評」に同文掲載。TBなどはそちらに)

 いわゆる「第三のビール」にキリンとアサヒも参入して、ビールと発泡酒を合わせた出荷量の相当部分を占めるようになった。4月で19.4%、5月で16.1%に達した。1−3月期ではビールが55.6%、発泡酒が36.2%、「第三」が8.2%だったことと比べると、発泡酒から「第三」へのシフトが大半ながら、4月はビールも食われた形だ。ビールから発泡酒へ、そしてその先へとの移動傾向は今後も続く。ビール業界が自ら築いてきた食文化を誇りに思っていたら、こんな愚かな泥沼に落ちることも無かっただろう。

 ビールの成り立ちを知っていると、目の前で起きていることは途方も無く奇妙に思える。ビールは本来、大麦を発芽させた麦芽で造られる。パンや麺類に使う消化の良い小麦と違って、大麦は飼料など用途が限定される日陰者の作物である。ドイツがビール原料を大麦に限っているのは、その昔、貴重な小麦をビールなんかに使われては困ると考えたとの説があるくらいだ。大麦に代わって「第三のビール」の原料になっている大豆やエンドウマメの方が原料としては高価に違いない。高い原料でビールもどきを造る――奇怪な逆転の原因は、麦芽の使用率に応じて酒税が上がる現代日本のビール類税法にある。

 ビールもどきでも安ければ売れるのは、ゆったり味わうのではなく、食事の最初に「とりあえずビール」という飲み方に問題があるとみる「代用ビールに怒る」(松浦晋也のL/D)は「なぜ我々は、十分に豊かになった日本で、大豆ペプチドなどを使った代用ビールを飲まねばならないのだろうか。税法が味覚文化を破壊するという面で見るならば、かつての日本酒がたどった道を、ビールも進んでいるように思える」と弾劾している。

 アサヒのスーパードライ登場が異変の始まりだった。苦味を嫌い、コクを嫌う若い世代に合う味作りが大成功を収めたことで、ビール業界は浮き足立って同じドライビールの方向に走り出した。その過程でコーンスターチなどを混入することが当然になり、芳醇さが失われていった。私は昨年夏、第148回「酒類の混沌――ビール・清酒の未来」で「この国でのビール類における味の変化は、本物のビールからどんどん離れるばかりであり」「『古典派』を標榜するビールだって、おかしな味に染まってしまった。ビール業界では守るべき本丸が既に怪しい」と書いた。

 爽快さを求めるならば、何もビールに似せる必要は無い。割り切って全く新しい新飲料を開拓すればよいのではないか。読売新聞の「この夏“第三のビール”が主流?」によると、業界関係者は「我々は第三のビールを、ビールの代用品とは考えていません。ビールテイストですが、全く新しいアルコール飲料なんです。飲んでいただけたら理解してもらえると信じています」と主張しているそうだ。私には自ら築いてきたビール文化を貶めているように見える。

 とは言え、もっと好意的に見てあげようとする人もいる。「お酒のはなし〜『その他雑酒2』で乾杯…?(その2)」(ねりみそ〜明日のビジネスのしたごしらえ)はこう庇う。「長い歴史のあるビールだから、何杯も続けて飲めるように深い付き合いができるのはある意味当たり前なのである。麦芽以外の材料を主に生まれたばかりの新しいビールにとっては、それはこれから長い時間をかけて獲得していかねばならない、人格の様なものなのだ。問題は、産み出したメーカにその商品をそこまで育んでいくつもりがあるかどうかということになるのだろう」



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