オーマイニュースの可能性ほぼ消滅か [ブログ時評63]
8月28日にオープンしたオーマイニュース日本版は、初日にトップアクセスを記録した『嫌韓流』批判記事「インターネット上ではびこる浅はかなナショナリズム〜この国の未来を支える若者の論理は…」が2ちゃんねらーによる心にもない「釣り記事」だったと判明する一方、多くの「左寄り」市民発の記事がコメント欄で2ちゃんねらー等の集中砲火を浴び「炎上」している。9月2日にはオーマイニュース編集部とブロガーの対話集会が早稲田大で開かれて、開設に至る内幕が明らかになった。
「ブロガーXオーマイニュース『市民メディアの可能性』」レポート(1)(BigBang)が伝える鳥越俊太郎編集長の発言「僕はJanJanもライブドアニュースも見たことが無いのでわかりません。(会場凍る)」が最も衝撃的なデータである。市民参加型メディアとして先行している存在を全く勉強せずに、韓国の成功経験だけで市民メディアを立ち上げてしまったとは……。「会場凍る」に出席したブロガーら100人の顔が見えるようだ。
「『ブロガー×オーマイニュース〜市民メディアの可能性』にいってきた」(未熟者隊長の四輪連絡帳)はこう批判する。「ネットをするしないじゃなく、普通、物事を始めるときは、その周辺の環境を調べて、体験してから始めないか?」「さらに、『市民記者の原稿だから・・・』みたいな発言多々あった。だから質の悪い記事を出してもいいという?読者にとって市民だろうが、プロだろうが、匿名だろうが、実名だろが、オケラだって、カエルダッテ・・・・関係無い。読者にとって重要なのは『おもしろい』『斬新な』『しらない』テレビ番組じゃないけども『へぇ』をいえる記事かどうかのはず」「『市民記者』に代表される新しい価値は、オーマイさん家の都合なだけで、読者にはどうでもいいことになる。そのあたりも全く分かっていないようだった」
オープン1週間の記事を私もなるべく多く読んでみた。大多数は独り善がりの書き方しか出来ておらず、ネットの良さを生かして根拠になる文書やデータにリンクを張る程度の努力も無い。市民記者以外に依頼したと思われる記事についても同傾向だから、新聞記者経験者はいてもプロの編集者は皆無なのだろう。編集部の校閲力は商業メディアの水準には全く届かず、びっくりするような誤変換が転がっている。「英霊を静かに眠らせよ 〜鈴木邦男コラム」の「首相の『男の維持』が原因で、アジア外交は目茶苦茶だ」が好例。これは「男の意地」だろう。従って次のような結論が出ても不思議ではない。
「続・オーマイニュース考」(Talleyrandの備忘録)は厳しい。「市民参加型メディアを謳い文句にしていたはずだ。それにもかかわらず、自分の所属団体の運動をそのまま記事にしたものを掲載していていいのだろうか(ここではどれだとは指摘しないが)。現在、掲載されている記事すべてがそうだとは言わないが、編集部のセンスを疑わざるを得ない。普通の新聞ならどんなにがんばっても、読者の声欄行きだろう」「オーマイニュースが、『既存メディアとは一線を画すんです。これでいいんです』というのなら、まあそれでいいが。しかし、そうであるならば、オーマイニュースのメジャー化はなくなるし、市民運動に熱心な皆様のコミュニティに堕してしまうだけである」
もちろん、まだ見放していない人もいる。「オーマイニュースについて(2):私案」(H-Yamaguchi.net)は存在理由を打ち出せる提案をしている。「マスメディアで見かけないものが1つあるのではないかと思う。それは、『右翼』と『左翼』の、きちんとかみ合った議論だ。そんなものはどこにでもあると思われるかもしれないが、意外に少ないのではないか、というのが私の考えだ。マスメディアなどでは、たいてい両者は同席しない。同席しても、互いの意見をいうばかりで議論がかみ合わない。『朝まで生テレビ』などでも、両者(と思しき人々)は大声で同時に怒鳴りあうだけで、ちっとも議論にならない」「これこそ、他のメディアには出ていない内容ではないか。つまり、『右翼』シンパの市民記者と、『左翼』シンパの市民記者が、記事を通してバトルする、これこそがオーマイニュース日本版の目玉にすべきテーマではないか。相手を罵倒するのではなく、事実を積み重ねることによる言論バトル。『責任ある言論』だから、暴言などはチェックしてはじく。これなら、マスメディアの議論に不満な向きにも、2ちゃんねるやブログの議論に不満な向きにも、価値のある議論の場と考えていただけるのではないだろうか」
記事の投稿で筆者実名主義を通す限りは無理と思われる。「ネット右翼」と目される人たちは実生活では右翼的言動をしないことが知られつつある。
「第67号:オーマイニュースの明日はどっちだ!? シンポジウム報告」(「まるぽ」にうす)も「うまくやればいけるんじゃないか」とみる。「『炎上』をどうとらえるかというのも見方次第だ」「オーマイニュース編集次長の平野日出木氏は、オーマイニュースの役割について、完成された書き手が完成された記事を書くだけでなく、さまざまな人が言論を世の中に発表するという、『回転するプラットフォーム』を提供するものだとしている。いわば『輪転機』だというのだ。さまざまな質の記事があり、輪転機を通ったからといって、すべての記事が残るとは限らない、それでいいというものだ。なるほど、ひとつの見識である」「だとすれば、コメント欄の『炎上』も『回転している』と考えればいいわけで、それほど心配すべきことではないということになる」
当のオーマイニュース編集部が至ってお気楽なのには驚く。「ブロガーXオーマイニュース『市民メディアの可能性』」レポート(2)(BigBang)は平野編集次長の発言としてこう伝える。「例の田中さんの、釣られちゃった記事ね(会場から笑)あれは初日で60,000行きました。まああれは我々も楽しませてくれたというか(爆笑)そうか、左よりの甘い言葉を散りばめた記事は釣りかもしれないとか、そういう読み方をするようになっちゃって(笑)作られていないかと要チェックとか(会場笑) いいのがあっても釣りじゃないかとか」「目標としては市民記者年内5000人、PV(ページビュー)で月1500万ですね。月400万PVいかないと広告が入らない。今はなんとか(話題になったので)そのペースは越えている」
つまり、編集部はノルマのアクセス数が稼げれば中身はあまり気にならない様子なのだ。しかし、「NoranaiNewsオーマイニュースにノラナイニュース」が9月1日に「昨日のアクセス数は約9000(ユニーク)でした」と報告している。ここは掲載拒否された記事を2ちゃんねらー達が集めて、採用傾向を知ろうとするウェブで、実数で9千人もが来ているなら、その何倍かが1日に何度もオーマイニュースに行くことを考えると、アクセスの非常に大きな部分は2ちゃんねらーが占めている可能性が高い。「ネットウォッチ@2ch掲示板」など、彼らの間に「もう飽きた」との声が見え始めており、やがて潮は引いてしまおう。広告が取れないアクセス水準に落ち込むのは目に見えている。
【関連】市民記者サイトは高い敷居を持つべし [ブログ時評30]
「ブロガーXオーマイニュース『市民メディアの可能性』」レポート(1)(BigBang)が伝える鳥越俊太郎編集長の発言「僕はJanJanもライブドアニュースも見たことが無いのでわかりません。(会場凍る)」が最も衝撃的なデータである。市民参加型メディアとして先行している存在を全く勉強せずに、韓国の成功経験だけで市民メディアを立ち上げてしまったとは……。「会場凍る」に出席したブロガーら100人の顔が見えるようだ。
「『ブロガー×オーマイニュース〜市民メディアの可能性』にいってきた」(未熟者隊長の四輪連絡帳)はこう批判する。「ネットをするしないじゃなく、普通、物事を始めるときは、その周辺の環境を調べて、体験してから始めないか?」「さらに、『市民記者の原稿だから・・・』みたいな発言多々あった。だから質の悪い記事を出してもいいという?読者にとって市民だろうが、プロだろうが、匿名だろうが、実名だろが、オケラだって、カエルダッテ・・・・関係無い。読者にとって重要なのは『おもしろい』『斬新な』『しらない』テレビ番組じゃないけども『へぇ』をいえる記事かどうかのはず」「『市民記者』に代表される新しい価値は、オーマイさん家の都合なだけで、読者にはどうでもいいことになる。そのあたりも全く分かっていないようだった」
オープン1週間の記事を私もなるべく多く読んでみた。大多数は独り善がりの書き方しか出来ておらず、ネットの良さを生かして根拠になる文書やデータにリンクを張る程度の努力も無い。市民記者以外に依頼したと思われる記事についても同傾向だから、新聞記者経験者はいてもプロの編集者は皆無なのだろう。編集部の校閲力は商業メディアの水準には全く届かず、びっくりするような誤変換が転がっている。「英霊を静かに眠らせよ 〜鈴木邦男コラム」の「首相の『男の維持』が原因で、アジア外交は目茶苦茶だ」が好例。これは「男の意地」だろう。従って次のような結論が出ても不思議ではない。
「続・オーマイニュース考」(Talleyrandの備忘録)は厳しい。「市民参加型メディアを謳い文句にしていたはずだ。それにもかかわらず、自分の所属団体の運動をそのまま記事にしたものを掲載していていいのだろうか(ここではどれだとは指摘しないが)。現在、掲載されている記事すべてがそうだとは言わないが、編集部のセンスを疑わざるを得ない。普通の新聞ならどんなにがんばっても、読者の声欄行きだろう」「オーマイニュースが、『既存メディアとは一線を画すんです。これでいいんです』というのなら、まあそれでいいが。しかし、そうであるならば、オーマイニュースのメジャー化はなくなるし、市民運動に熱心な皆様のコミュニティに堕してしまうだけである」
もちろん、まだ見放していない人もいる。「オーマイニュースについて(2):私案」(H-Yamaguchi.net)は存在理由を打ち出せる提案をしている。「マスメディアで見かけないものが1つあるのではないかと思う。それは、『右翼』と『左翼』の、きちんとかみ合った議論だ。そんなものはどこにでもあると思われるかもしれないが、意外に少ないのではないか、というのが私の考えだ。マスメディアなどでは、たいてい両者は同席しない。同席しても、互いの意見をいうばかりで議論がかみ合わない。『朝まで生テレビ』などでも、両者(と思しき人々)は大声で同時に怒鳴りあうだけで、ちっとも議論にならない」「これこそ、他のメディアには出ていない内容ではないか。つまり、『右翼』シンパの市民記者と、『左翼』シンパの市民記者が、記事を通してバトルする、これこそがオーマイニュース日本版の目玉にすべきテーマではないか。相手を罵倒するのではなく、事実を積み重ねることによる言論バトル。『責任ある言論』だから、暴言などはチェックしてはじく。これなら、マスメディアの議論に不満な向きにも、2ちゃんねるやブログの議論に不満な向きにも、価値のある議論の場と考えていただけるのではないだろうか」
記事の投稿で筆者実名主義を通す限りは無理と思われる。「ネット右翼」と目される人たちは実生活では右翼的言動をしないことが知られつつある。
「第67号:オーマイニュースの明日はどっちだ!? シンポジウム報告」(「まるぽ」にうす)も「うまくやればいけるんじゃないか」とみる。「『炎上』をどうとらえるかというのも見方次第だ」「オーマイニュース編集次長の平野日出木氏は、オーマイニュースの役割について、完成された書き手が完成された記事を書くだけでなく、さまざまな人が言論を世の中に発表するという、『回転するプラットフォーム』を提供するものだとしている。いわば『輪転機』だというのだ。さまざまな質の記事があり、輪転機を通ったからといって、すべての記事が残るとは限らない、それでいいというものだ。なるほど、ひとつの見識である」「だとすれば、コメント欄の『炎上』も『回転している』と考えればいいわけで、それほど心配すべきことではないということになる」
当のオーマイニュース編集部が至ってお気楽なのには驚く。「ブロガーXオーマイニュース『市民メディアの可能性』」レポート(2)(BigBang)は平野編集次長の発言としてこう伝える。「例の田中さんの、釣られちゃった記事ね(会場から笑)あれは初日で60,000行きました。まああれは我々も楽しませてくれたというか(爆笑)そうか、左よりの甘い言葉を散りばめた記事は釣りかもしれないとか、そういう読み方をするようになっちゃって(笑)作られていないかと要チェックとか(会場笑) いいのがあっても釣りじゃないかとか」「目標としては市民記者年内5000人、PV(ページビュー)で月1500万ですね。月400万PVいかないと広告が入らない。今はなんとか(話題になったので)そのペースは越えている」
つまり、編集部はノルマのアクセス数が稼げれば中身はあまり気にならない様子なのだ。しかし、「NoranaiNewsオーマイニュースにノラナイニュース」が9月1日に「昨日のアクセス数は約9000(ユニーク)でした」と報告している。ここは掲載拒否された記事を2ちゃんねらー達が集めて、採用傾向を知ろうとするウェブで、実数で9千人もが来ているなら、その何倍かが1日に何度もオーマイニュースに行くことを考えると、アクセスの非常に大きな部分は2ちゃんねらーが占めている可能性が高い。「ネットウォッチ@2ch掲示板」など、彼らの間に「もう飽きた」との声が見え始めており、やがて潮は引いてしまおう。広告が取れないアクセス水準に落ち込むのは目に見えている。
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