代理出産と転送事故、産科医療はどこへ [ブログ時評67]

 タレントの向井亜紀さん夫婦が米国の代理母に産んでもらった双子の出生届を品川区が認めるよう東京高裁が決定し、これに刺激されて諏訪マタニティークリニックの根津八紘院長が「子宮癌のために子宮をなくしてしまった娘のために実母が代理出産」など国内5例を公表した。折しも奈良県南部の大淀町立病院で出産途中に意識不明に陥った妊婦の転送を19病院が受け入れず、6時間後に大阪・吹田の国立循環器病センターで手術を受け死亡した事故が明るみに出た。通常のお産ですら、全国的な産科医不足で十分なサービスが難しくなっている日本の産科医療は、どこへ行くのか。

 高裁決定は一般論として代理出産を認めているのではない。「向井亜紀抗告審決定」(Matimulog)が決定文のリンク先を挙げて「報道でははっきりしなかったが、この決定はネバダ州裁判所の親子関係確認裁判を外国裁判所の裁判として民訴法118条に基づいて承認したものであった」と指摘している。子供が産まれたら役所に出生届をする。この際に医師の出生証明が必要になるが、ネバダ州裁判所が親子関係を認めて発行させた「ネバダ州出生証明書」で足りるとの決定。品川区は「分娩の事実が認められないから」と不受理にしていた。

 根津院長の記者会見は「その後の代理出産」で全文が読める。出産した祖母の子供として届け出、娘夫婦の養子にして育てている。「50歳代後半の母親の出産は、更年期を過ぎた体と年齢的な心配もありましたが、母親の子供のためならばという熱い思いの下、ある程度の危険を覚悟の上でのスタートでした」「卵巣の機能が無くなっている上に胎盤の娩出により一度に女性ホルモンが出なくなる状態となり、更年期障害が一気に再来した」「幸いなことに投薬にて1年程で落ち着き、その他の健康状態も今のところ特に異常は見られておりません」「親子愛の下で行われることからして、子供の引き渡し拒否や補償等も無く、一番問題の起こりにくい関係の下に成り立つ代理出産と考えます」。院長はむしろ、ここに理想型を見ている。

 代理出産で生じる人間関係や費用、多胎であった場合に代理母が堕胎を希望する問題などは、大野和基氏がインタビューした「独占告白 注目の出産の一部始終を語った!向井亜紀の代理母」に実例として見られる。自分からインターネットで宣伝したのだが、家のローンを払い終わって、もう代理母をするつもりはない。「私の子供たちは全て自然分娩でした。だから、アキの子供は、それと分けるために帝王切開にしたのです」と話すあたりに当事者が抱える心理の綾が浮かび上がっていた。

 2003年に厚労省・生殖補助医療部会で「代理出産は罰則付きで禁止」の報告書がまとまっているが、相次ぐ事例を前にブログでは同情する声が数多くあった。政府も塩崎官房長官が法整備を検討する考えを示した。

 弁護士さんが書かれているという「『代理出産』『代理母』のこと」(『日常生活を愛する人は?』)が傾聴すべき主張をしている。「第1に、法律上違法なことをした結果としての妊娠、出生でも、生まれてきた子どもには何の罪もない。だから、子どもの不利益は何とかして避けてあげなければならない。(その観点から、非嫡出児の相続権が嫡出児の相続権の半分なのは全くケシカランと思っています)」「第2に、親のしたことが社会的に許されないことは勿論ありえるし、親が処罰されても不思議はない。(非嫡出児の相続権を嫡出児と平等にしたとしても、その不倫した片方が、相手方の配偶者に慰謝料支払い義務があるのと同じ)」「出産という行為は危険なものであり、いかなる理由があっても、これを他の女性にさせることを許すことがあっては、ならないからです」

 いま直面している産科医療の危機的状況はこのシリーズ「医療崩壊が産科から始まってしまった [ブログ時評59]」で検証した。産科医の疲労困憊はどこでも凄まじく、産科医のなり手が減るばかりでなく、産科を諦めて婦人科医としてだけ働く医師も増えている。手間の掛かる不妊治療が、この流れで盛んになっているかもしれない。

 10月下旬、県立奈良病院の産婦人科医5人が「報酬に見合わない過酷な勤務を強いられた」として過去2年間で1億円余の超過勤務手当と医療設備改善を要求する、象徴的な動きが表面化した。産科で高次の救急救命体制を持たない奈良県は、行政が手抜きをしてきた県の一つで、全国規模で危機の今となって整備は容易でない。

 大学での医師の養成はもちろん、診療体制、健康保険、報酬支払いシステムなど幅広い資源を投入して、医療は成り立っている。不足がはっきりした資源総量を増やす必要があるのは間違いないが、医療崩壊を食い止めようとするなら、通常のお産にこそ医療資源を優先投入しなければならない。国が取り組むべき政策なのに、今年になって地方国立大医学部定員をわずかに増やす程度の無策である。