第212回「復讐は両親にも!? 秋葉原事件被告の心の闇」

 無差別大量殺傷の秋葉原事件。27日の公判で加藤智大被告の肉声が初めて出てきました。そして、同時に明らかにされた両親への出張尋問内容を知ると、被告の心の闇、疎外感は深く、人生の節目節目にもっと普通の生き方ができる生育環境だったら違っていたろうと思わずにいられません。

 事件があった2年前、青森に住む両親が自ら記者会見をして謝罪したことに違和感がありました。子が25歳にもなれば、もう親離れはとうに済んでいます。何をいまさらという感覚でした。しかし、今回、この親子が明かした葛藤ぶりは意外と言える深刻さであり、事件の本質と絡んでいました。

 金融機関に勤める父親と母親、それに弟が家庭環境です。青森出身者であるため地元紙の東奥日報が特別に手厚い「秋葉原 無差別殺傷事件」を設けています。28日付で公判証言をまとめている「仮想の自分 冗舌に/加藤被告」は「事件を起こした原因の一つとして『私の考え方』を挙げ、『行動をして、相手に物事を気付かせること』と説明した」「その考え方は、母からの影響をうかがわせた。小さいころから理由もないまま頭ごなしにしかられたり、怒られたり。厳しい『行動』で真意を分からせる手法を、自分も他人に対して行ったことを紹介した」と伝えます。

 きちんと説明しないまま、辞めることで不満を知ってくれ――というのが被告が転々とした職場で繰り返してきた行動です。

 証言には「『母に風呂に沈められた』と被告」で「『九九ができないと、風呂に沈められた』。(食べるのが遅かったので)『床やチラシの上のご飯を食べるように言われ、必死で食べた』などと幼少期の母親との関係を述べた」とあります。「両親『事件の理由分からない』」ではこうです。「母親は被告に有名国立大学に進んでほしいと小学生時代から付きっきりで勉強を教えていたが、しつけの一環として屋根裏に閉じ込めるなど厳しく当たるようになった。父親は『わたしが子育てするから黙っていて』と言われたため、異常と思っていたが口を出さなくなった」

 家族に対しても不満を説明する能力を欠いていたが故に、大きな節目で「手痛い」判断をしていたようです。「加藤被告が進学やめた理由に言及」には「『母と、大学に行ったら車を買ってもらう約束をしていたけど、自分の行きたい大学に変更、ランクを下げたら買ってやらないと言われ、大学進学をやめた』と述べ、その理由を『母親に対して、約束を守ってほしいという意志を示したということ』と話した」とあります。

 47newsの「《資料》秋葉原殺傷・加藤智大被告の供述要旨 『掲示板だけに依存』」には「大学進学をやめ、自動車関係の短大に行くことにした。母親にはあきらめられていたと思う。挫折とは思っていない。勉強をしていないからついていけないのは当たり前。短大には失礼だが、無駄な2年。整備士の資格は取るつもりだったが、父親の口座に振り込まれた奨学金を父親が使ったので、アピールとして取ることをやめた」ともあります。

 母や父にアンフェアだと訴えられないまま、ずるずると進路を切り下げて行った不幸。事件の2カ月前、4月3日に「加藤容疑者のものとみられる携帯サイトの書き込み(原文のまま)」に「午後4時20分 親の話が出ましたのでついでに書いておきますと、もし一人だけ殺していいなら母親を もう一人追加していいなら父親を」とまで出したのを見れば、職場で積み重なった鬱憤やネット掲示板のトラブル問題だけで事件を解読するのが無理であることは明らかでしょう。

 検察の「冒頭陳述」は「『大きな事件』を起こして警察に捕まれば、自分の人生は終わりだと思ったが、『もう生きていても仕方がない』と自暴自棄になり、捕まった後のことはどうでもいいと思った。それよりも自分を無視した者たちに『復讐』することの方が重要だった」と指摘しました。人生を無惨に終わらせることで分かってもらいたかった復讐の心、その相手方に両親が含まれていた不幸な事件でした。29日にも公判廷の被告証言は続くそうです。

 【参照】秋葉原事件で思い起こす『隔離が生む暴力』