第258回「在京メディアの真底堕落と熊取6人組への脚光」

 福島原発事故から2カ月にもなり、ようやく《福島第一、土壌汚染800平方キロ 琵琶湖の1.2倍》(朝日新聞)など事態の全貌を考えるデータが出始め、それが大騒ぎすべき時に騒がなかった在京メディアの真底からの堕落を実感させつつあります。逆に中央官庁に依拠しないオルタナティブ情報源として、大阪・熊取にある京大原子炉の研究者6人組が長年築いてきた原子力批判能力が脚光を浴びています。

 「半減期が約30年のセシウム137の蓄積濃度が1平方メートルあたり60万ベクレル以上に汚染された地域は約800平方キロメートル」「チェルノブイリ原発事故で、強制移住の対象になった55.5万ベクレル以上の地域の約10分の1にあたる」

 今になってこう平然と記述されると噴飯モノもいいところです。4月1日の「高汚染無視で飯舘村民を棄民する国とメディア」でこう指摘しました。国際原子力機関(IAEA)が福島原発の北西40キロ、飯舘村で1平方メートル当たりで2000万ベクレルという実にショッキングな汚染を検出、日本政府に通報したのに「『自分の手持ち測定データでは安全です』と言ってしまうお役所、毎日新聞に限らずこれに納得してしますマスメディアにはあきれ果てます。『どういう基準か分からないが』と書いた新聞までありました」。後者の新聞は朝日新聞です。この無視のせいで飯舘村民は1カ月半を経過してこれから避難するところです。

 私も半年前まで籍を置いていた商業新聞は、古典的左翼の物言いならば「ブルジョア新聞」と蔑視されますが、市民大衆の大地に根を下ろす重要な仕組みを持っていました。少し年上の新聞人にしか通用しない信条「読者への忠誠心」です。有料定期読者への配慮は、広告主への遠慮より確実に上回っており、この例のように市民の安全・健康に関わる問題では弱者を守る立場から「安全側に倒した」論調が当然とされてきました。

 これが破られています。一例として毎日新聞が5月4日なって掲載した《東日本大震災:福島第1原発事故 放射線、健康への影響は 正しく知って行動しよう》を挙げます。

 焦点は低線量被ばくの取り扱いです。「科学者の間では『○ミリシーベルト未満ならば健康影響がないという”しきい値”がある』『低線量でも直線的にがん発症率が増え、しきい値がない(LNT仮説)』などと見解が分かれている」と不確かさが強調され、国際放射線防護委員会(ICRP)が取っている低線量から発ガンは比例して増える考え方がスタンダードであることを隠しています。このスタンダードを前提に、もっと発ガンが増える厳しい考え方と、逆に閾値ありとする楽観論を両方、説明するのが放射線影響を説明する常道でした。低線量であっても被ばくする本人の選択を尊重するのです。

 毎日新聞は「政府は計画的避難で実際の避難までに1カ月の猶予を持たせた。これは、がん発生のリスクが高くなるという明確な証拠があるのは100ミリシーベルト以上で、『生活への影響も考慮すると、一刻を争って避難する状況ではない』というのが理由だ」と地の文で『100ミリシーベルト伝説』に賛成し、ネット上で一方の論者から喝采を浴びました。これと同様の一方的な放射線影響報道は他の新聞でも大勢を占めています。

 このような人間を無視した報道になる理由は、霞ヶ関周辺にしか情報源を持たない在京メディアの特質によります。中央官庁から漏れ出る情報を「特ダネ」として追い求める取材習慣に何十年と浸り、代替えになる情報源を持とうとしなかったのです。取材に行く相手すら中央官庁が挙げるリストに載っていなければ信用しない有り様です。

 大阪本社科学部で原子力を担当していたため、25年前のチェルノブイリ事故当時、熊取の京大原子炉実験所にはよく通いました。当時在籍していた6人に一昨年亡くなられた阪大講師の久米三四郎さんらを交えて、事故の検証、汚染の度合いや拡大、影響の検討会に加わりました。スウェーデンの研究機関にメールを送って汚染データを取り寄せたり、原発の南方キエフに文化取材に行った記者がフイルムケースに隠した川の中洲の砂粒を計測してもらい、意外に高い放射線量に驚いたりしました。当時、そこは「西の科技庁」と呼ばれ、原子力を批判するグループが霞ヶ関に対抗するための実証的なデータを得る拠点になっていました。

 4月4日の「飯舘村南部に広い高汚染地域:現地調査で確認」で今中哲二さんら飯舘村周辺放射能汚染調査チームの仕事ぶりを紹介して、当時を思い出さずにいられませんでした。熊取にいるもう一人の現役助教、小出裕章さんも福島原発の事故収拾をめぐり的確な発言を続け、講演など忙しく活動されています。勤務があるので放送メディアに出るにも電話によるコメントが主体ながら、「小出裕章(京大助教) 非公式まとめ」に言動が詳細に記録されています。なお、彼ら原子力安全研究グループのホームページは《Nucler Safety Research Group》です。

 熊取の6人について、週刊現代の《迫害され続けた京都大学の原発研究者(熊取6人組)たち〜危険性を訴えたら、監視・尾行された》などを糸口に見直しの機運があるようです。私は科学部を去った後も年に1回くらいは「安全ゼミ」で熊取に顔を出していましたが、マスメディアの記者は本当に数えるほどになっていました。在京メディアは上述のように、オルタナティブな情報源を確保する意味を理解していません。日本のジャーナリズムにとって不幸ですし、そもそもこうした体質の在京メディアにジャーナリズムを名乗る資格があるのか疑われます。

 早稲田大の瀬川至朗さんが《原発事故とメディア 「大本営発表」報道を克服できたのか》で「全国紙やNHKには、さまざまな工夫が見られ、良質の記事も散見された。しかし、総体として、政府や東京電力の発表をそのまま提示する『大本営発表』報道の域を出なかった」と断じています。「いざというときに、主体的かつ批判的に問題を読み解ける」専門ジャーナリストを育ててほしいと言われていますが、熊取の研究者と電話一本で普通に話せる記者を育て損なったのは毎日新聞で科学環境部長をされた、ご自身なのではありませんか。

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