第273回「福島原発事故の全電源喪失安全審査に重大過失」 (2011/08/06)

(「BM時評」に同文掲載。コメントなどはそちらに)

 中国網日本語版のコラム《日本の新幹線:何よりも重要な「停止」》で当たり前のことが妙に感心されています。しかし、技術力を持ちながら福島第一原発は安全に停止できなかった訳で、中国高速鉄道事故を念頭に感心されても妙に面はゆいものがあります。この鉄道事故で中国メディアは政府の説明に対して国民に代わって怒りを表したのに、日本のマスメディアは原発事故で政府・東電の言い訳をずるずると垂れ流していた印象が強く、一度も怒っていないから尚更です。全電源喪失についての安全審査に重大過失があっても在京メディアに怒りは見えません。

 47newsの《原発安全審査、根拠不明の基準 電源喪失で安全委》は非常に決定的な情報なのに、どうしてこうも淡々としているのでしょうか。「原発の新設や、既設原発の設備を変更する際の安全審査で、国側が30年以上、なぜそう決まったかの根拠の定かでない基準を当てはめて審査していたことが、3日に開かれた原子力安全委員会(班目春樹委員長)の小委員会で明らかになった」「福島第1原発で事故拡大の原因となった電源喪失について、電力会社側は電源が30分間喪失しても安全を確保できるとする審査の申請書を提出、国はそのまま通していた」

 長時間の全電源喪失を考えなくてよいとする安全審査指針は、福島原発事故の進展に決定的な役割を果たしました。津波に非常用発電機が襲われ、運転停止直後の崩壊熱除去が出来なくなった誤算に加えて、発熱のため原子炉格納容器で上がった圧力を大気中に放出して破壊を免れるベント操作も電源が生きている前提で電動設計されていました。原子炉が高温高圧になった暗闇の建屋内を、人間が弁を開けに行くことなど想定されていなかったのです。電源が無くてもベントが円滑に出来て1、3号機の建屋爆発、2号機の格納容器爆発が防げていれば、事故の規模は大幅に小さくなっていました。

 誰がどのような根拠で電源喪失30分までの原則を考え出したか、極めて注目されると考えていたのに「なぜそう決まったかの根拠が定かでない」で済ませるとは、職業的ジャーナリストとして、子どもの使い以下です。国より東電の方が技術力があって主導権を握っていたことは容易に想像されますが、法律の建前は国がする安全審査で原発の安全は担保されます。国側に重大な瑕疵(かし)あり、つまり根本的な技術問題について当然なすべき注意・検討義務が果たされなかった過失状態が30年以上にわたって続いていたのならば、事故全体の責任は国が取るべきでしょう。メディアはここで怒らないでいつ怒るのか、です。

 「今度は本物、高速鉄道事故で中国メディア反乱」で描いたように、中国メディアは今回、政府が強制してくる枠組みを飛び出しました。社会主義国ではない日本では報道規制など存在していないはずですが、在京メディア各社の振る舞いは規制があるかのようです。政府が設定した議論の土俵に丸々乗ってしまい、自分の頭で考えない習慣が身に付いてしまっています。霞ヶ関依存症候群と呼ぶべきかと考えます。

 【参照】インターネットで読み解く!「在京メディア」関連エントリー

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