事故時迷走の焦点は菅批判よりも悲惨な司令塔 [BM時評]

 27日、日米両方から福島原発事故当時に菅直人首相がとった行動に批判が相次ぎましたが、茶飲み話もよいところで本質的な問題点から外れています。国内の司令塔である保安院や原子力安全委が、水素爆発の危険を予期できない「専門家」しか揃えていなかった悲惨さこそ問われるべきです。

 朝日新聞の《首相がベント指示、「米ではありえぬ」 元NRC委員長》は《昨年の原発事故の際、原子炉から気体を出す「ベント」を、当時の菅直人首相が指示した。メザーブ氏はこれを念頭に「米国では考えられない。大統領が決めることではない」と明言。記者会見でも「米国では電力会社が決め、NRCが許可をする。日本の政治家のほうが知識があるのかもしれない」と皮肉った》と伝えました。

 また読売新聞の《菅首相が介入、原発事故の混乱拡大…民間事故調》は《官邸の対応を「専門知識・経験を欠いた少数の政治家が中心となり、場当たり的な対応を続けた」と総括し、特に菅氏の行動について、「政府トップが現場対応に介入することに伴うリスクについては、重い教訓として共有されるべきだ」と結論付けた》としました。

 これでは首相が介入しなければ順調に進んだと言っているようなものです。政治家が迷走しないような、しっかりした司令塔だったのか、それこそが問題の本質です。

 全電源喪失で電源車を急行させても接続すべき電源盤が地下にあって水没していることに頭が回らない保安院、「軽水炉で水素爆発はない」と言い切っていた原子力安全委員長――専門家を名乗るならば冗談も休み休みお願いしますと申し上げるレベルです。これに「恐ろしいほどのプロ精神欠如:福島原発事故調報告」で描いた東電の恐るべき日常的不作為が加わるのですから救いようがありません。《最初に爆発した1号機で電源喪失後に残る最後の安全装置「非常用復水器(IC)」について「1号機の全運転員はIC作動の経験がなかった」との報告にはまさかと思い、目が点になりました》

 事故の責任を問わないことがいつの間にか当然視されています。これが事態をねじ曲げています。責任がある人、対処が駄目だった人には早急に退場していただきましょう。菅氏は既に退場している一方で、退場すべき人がごろごろ居残って指示を出しているのは醜悪です。

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