第557回「やはりノーベル賞大隅さんの警鐘を無視した政府」
2017年版の科学技術白書を読んでみると、ノーベル賞受賞で大隅さんが発した日本の科学研究への警鐘を政府は予想通り無視したと断ぜざるを得ません。その後の内外からの政策批判にも聞く耳を持たずメディアも同調です。科学技術白書は《特集 2016年ノーベル賞受賞、及び学術研究・基礎研究の振興に向けた我が国の取組》との大特集までして「素朴な疑問に根付いた知的好奇心」から発した大隅さんの仕事を研究関連データを跡付けて称賛、さらに「日本の基礎科学力の揺らぎを生じさせている危機的な課題」にまで踏み込みます。しかし、具体策として挙げられている政策は従来のままであり、それが科学技術白書自身が「トップ10%論文の順位で比較すると、この10年の間に、日本は4位から10位に低下している」と分析している危機の原因になっている問題に触れようとしません。
大隅さんの警鐘は昨年10月に第542回「ノーベル賞・大隅さんの警鐘は政府に通じまい」で紹介しました。当時も安倍首相以下、的はずれぶりは鮮明でした。《政府が「選択と集中」のさじ加減が出来るとの不遜さをがノーベル賞学者の憂いの対象になっているのに、国立大運営費交付金削減を毎年1%ずつ積み増ししてきた失政への反省など何処にもありません》 科学技術白書は大隅さんの研究「オートファジー(自食作用)」に政府の科研費が総額17.8億円と大きな支援をしてきたと胸を張ります。このグラフはノーベル賞に至る大研究が国によってどうサポートされたかを知る標本です。大隅さんは東大助教授だった1988年に顕微鏡下で酵母細胞のオートファジーを発見しましたが、3年間は論文にならず科研費も細っています。東大でも認められず教授になれる見込みがなく、岡崎の基礎生物学研究所に招かれて集まった若手と単細胞の酵母から多細胞へ対象を拡張、成果を出してから特別推進研究採択などで大きな研究費が付いたのです。
認められず苦しい時期に支えてくれた研究費はどこから来たのか、科学技術白書もこう認めています。《東京大学在籍中には、上記の科学研究費助成事業と併せ、国立学校特別会計における「教官当積算校費」等によって研究が進められてきた。このことは、研究者の自由な発想に基づく学術研究を支援する上での基盤的経費の重要性をも示すものである》
現実は2004年の国立大学法人移行以後、毎年削り取られて、今やその自由な研究費がほぼゼロになっています。研究費どころか、教員数削減に多くの大学が走っています。ノーベル賞受賞を機に国立大学理学部長会議が声明「未来への投資」を出しました。
《国立大学の基盤経費として措置されている運営費交付金は、独創的な研究のシーズを広く探索するための原資となります。大隅先生の研究で言えば、顕微鏡を使って動く粒を観察する過程に当たります。この時期の研究は、研究者自身にとってもどのように展開するかわかりませんので、競争的資金で支援されることはありません。ましてや産業界からの支援はあり得ません。しかし、大隅先生の研究からもわかるように、この時期の研究が決定的に重要です。この10年間以上にわたり毎年1%ずつ行われてきた運営費交付金の削減が基礎研究の体力を奪っていることは明らかです。このままでは、10年後、20年後に日本からノーベル賞が出なくなることを懸念します》 上の図「被引用度が高い論文数の国際的なシェア」で国立大学法人移行前の2002-2004年と10年後、2012-2014年の比較を科学技術白書がしています。他の論文から引用が多い重要論文のシェアが10年で4位7.2%から10位5.0%に劇的に落ちています。いまやオーストラリアやスペイン以下です。
「日本の科学力は失速」、危機的状況にあるとの指摘を英ネイチャー誌が3月特集でしたばかりです。第554回「科学技術立国崩壊の共犯に堕したマスメディア」で全分野での論文数シェアのグラフを掲げました。論文数全体でも最盛期に比べて半減し、国立大学法人運営費交付金の削減とぴったり歩調を合わせています。
科学技術白書の端々には現在の政策へ違和感が滲んでいます。校費研究費の重要さを認めた上記の引用部分もそうです。けれども現実にはマスメディアから異論が出るわけでもなく国立大学法人運営費交付金の毎年1%削減積み増しが政策としてビルトインされたままです。ノーベル賞学者が放つ警鐘も理解しない愚かな政府と世界の二大科学誌ネイチャーの指摘さえ無視する大政翼賛メディア、恐ろしく情けない国になったと考えます。
大隅さんの警鐘は昨年10月に第542回「ノーベル賞・大隅さんの警鐘は政府に通じまい」で紹介しました。当時も安倍首相以下、的はずれぶりは鮮明でした。《政府が「選択と集中」のさじ加減が出来るとの不遜さをがノーベル賞学者の憂いの対象になっているのに、国立大運営費交付金削減を毎年1%ずつ積み増ししてきた失政への反省など何処にもありません》 科学技術白書は大隅さんの研究「オートファジー(自食作用)」に政府の科研費が総額17.8億円と大きな支援をしてきたと胸を張ります。このグラフはノーベル賞に至る大研究が国によってどうサポートされたかを知る標本です。大隅さんは東大助教授だった1988年に顕微鏡下で酵母細胞のオートファジーを発見しましたが、3年間は論文にならず科研費も細っています。東大でも認められず教授になれる見込みがなく、岡崎の基礎生物学研究所に招かれて集まった若手と単細胞の酵母から多細胞へ対象を拡張、成果を出してから特別推進研究採択などで大きな研究費が付いたのです。
認められず苦しい時期に支えてくれた研究費はどこから来たのか、科学技術白書もこう認めています。《東京大学在籍中には、上記の科学研究費助成事業と併せ、国立学校特別会計における「教官当積算校費」等によって研究が進められてきた。このことは、研究者の自由な発想に基づく学術研究を支援する上での基盤的経費の重要性をも示すものである》
現実は2004年の国立大学法人移行以後、毎年削り取られて、今やその自由な研究費がほぼゼロになっています。研究費どころか、教員数削減に多くの大学が走っています。ノーベル賞受賞を機に国立大学理学部長会議が声明「未来への投資」を出しました。
《国立大学の基盤経費として措置されている運営費交付金は、独創的な研究のシーズを広く探索するための原資となります。大隅先生の研究で言えば、顕微鏡を使って動く粒を観察する過程に当たります。この時期の研究は、研究者自身にとってもどのように展開するかわかりませんので、競争的資金で支援されることはありません。ましてや産業界からの支援はあり得ません。しかし、大隅先生の研究からもわかるように、この時期の研究が決定的に重要です。この10年間以上にわたり毎年1%ずつ行われてきた運営費交付金の削減が基礎研究の体力を奪っていることは明らかです。このままでは、10年後、20年後に日本からノーベル賞が出なくなることを懸念します》 上の図「被引用度が高い論文数の国際的なシェア」で国立大学法人移行前の2002-2004年と10年後、2012-2014年の比較を科学技術白書がしています。他の論文から引用が多い重要論文のシェアが10年で4位7.2%から10位5.0%に劇的に落ちています。いまやオーストラリアやスペイン以下です。
「日本の科学力は失速」、危機的状況にあるとの指摘を英ネイチャー誌が3月特集でしたばかりです。第554回「科学技術立国崩壊の共犯に堕したマスメディア」で全分野での論文数シェアのグラフを掲げました。論文数全体でも最盛期に比べて半減し、国立大学法人運営費交付金の削減とぴったり歩調を合わせています。
科学技術白書の端々には現在の政策へ違和感が滲んでいます。校費研究費の重要さを認めた上記の引用部分もそうです。けれども現実にはマスメディアから異論が出るわけでもなく国立大学法人運営費交付金の毎年1%削減積み増しが政策としてビルトインされたままです。ノーベル賞学者が放つ警鐘も理解しない愚かな政府と世界の二大科学誌ネイチャーの指摘さえ無視する大政翼賛メディア、恐ろしく情けない国になったと考えます。