第7回「縄文の人々と日本人の起源」

 この5月末、鹿児島県国分市でテクノパーク建設予定地になっていた上野原遺跡から、9,500年前の集落跡が出土した。住居46軒に集石遺構39基の規模は国内で最古・最大級。青森県・三内丸山遺跡の雄大なスケールは従来の縄文時代観に破壊的な衝撃を与えたが、上野原はさらに3,500年も古い。鹿児島県知事はさっそく「遺跡を保存する」と表明した。列島のほぼ両端の地点から出発して、列島先住の縄文人と、現代の我々との関係を考えるのが今回のテーマだ。

◆それは氷河期の終了から始まった

 京都にある国際日本文化研究センターを中心に「地球環境の変動と文明の盛衰」と呼ぶ学際的なプロジェクトがあった。発掘資料や古文書の恣意的な解釈が多い考古学ものには、一面トップの発掘記事を書いた経験がある者としても、いまひとつ馴染めない。地層に残された花粉の種類・量などから地球の気候を検証し、環境変動を軸にして歴史を分析するこのプロジェクトは、とても魅力的な仕事に思えた。その取材資料をベースに私なりに手を加えたものが、下のグラフと年表である。

 氷河期の終了とともに気温の上昇が進んだ。9,500年前の鹿児島に大規模な定住が見つかったのは、列島南部がようやく新石器時代人が多数住める豊かな環境になったことの証である。列島南端だからといって、直ちに南方の海からやって来たことにはならない。当時の日本海は湖、つまり列島は大陸と陸続きだった。どこからか来た人々が鹿児島を住み良い場所として選んだのだ。

 気温上昇は氷河を溶かし、海面の上昇につながった。やがて日本海が形成され、我々になじみの列島の気候風土が姿を見せる。ところが、縄文前期・中期には現在の気温を通り越して、平均気温が2度ほど高い状態にまで上昇する。最近、心配されている地球温暖化現象を本当に見せてくれた時代である。海面は上昇して5メートルも高くなった。「縄文海進」と呼ばれる状況を実感するには、国土地理院がシミュレートしたムービーがよい。

 海面が高くなっただけではない。植生にも大きな影響があった。札幌の気候が東京並みになったと思っていただこう。ナラなどの暖温帯落葉樹林が西日本から東日本にまで拡大していく。クリを大きな食糧源とした三内丸山の人たちが、今なら考えにくい青森に大規模な集落を営めた。縄文早期には2万人程度と考えられた人口も26万人にまで膨れ上がった。人口は圧倒的に東日本に集まっていて、西日本は1万人くらいと考えられている。西日本は温暖になりすぎ、常緑の照葉樹林が覆ってしまったからだ。東北地方が一大中心だった当時の文化を考えるには、たとえば「縄文文化の推移」など。

◆人口膨張シミュレーション

 しかし、この巨大な建物・遺構を伴う大集落は「三内丸山遺跡の不思議」にある通り、4,000年前になると急速に姿を消す。上のグラフを見ていただくとお分かりのように、気温は下降に転じ、現在よりも寒い時期になる。海面は陸地から遠のき、海の恵みと山の恵みとを併せ享受した時代は終わる。縄文人は森がもたらす資源豊かだった八ヶ岳の周辺に集まる。「八ヶ岳西南麓に縄文王国を見る」などに紹介されている。かつてのような豊かな時代は再び訪れることなく、縄文は末期の人口7万5千人程度に落ち込んで、弥生にバトンを渡す。

 この人口が1,000年ほど後の古墳時代には、540万人にもなったと推定されている。約70倍の膨張である。稲作が伝わって食糧事情が改善されたのは確かだが、人口年増加率0.4%は世界各地で人口学者が推計している農耕初期の増加率の何倍も高い。この間に大陸から渡来した人々がいた。渡来人の存在を計算に入れて、埴原和郎・東大名誉教授が試みた人口膨張シミュレーションは学界にショックを与えた。純粋の人口増加は年0.2%とすると、1,000年間に渡来人口が150万人必要になり、7世紀初頭の人口構成は縄文系56万人に対して渡来系480万人だという。基礎にした数字に誤差を見込むとしても、渡来系の相当な優位は動くまい。発掘の人骨からみて、背が低く、顔の上下が短くて幅広め、鼻が高い縄文人に対して、北アジアからとみられる渡来系は身長があって、のっぺりタイプの面長だったようだ。最も混血が進んだ近畿から東の北海道アイヌまで、混血度合によって国内にはさまざまな地域差が生じた。

 '96年秋に佐賀医大で、人類学会と民族学会の連合大会があった。国立遺伝研などのグループが、遺伝子分析の手法による「ミトコンドリアDNA多型からみた日本人の成立−東アジア5人類集団の比較解析」を発表している。「注目すべきことは、琉球人やアイヌでは大陸由来の特異性をもつ割合は20%以下であるのに対し、本土日本人の5O%が、中国人や韓国人が多数を占める大陸由来の特異性をもっていることである」「これらの結果は、現代日本人の起源についての縄文・弥生混血説と合い入れるものである。さらに本土日本人の遺伝子プールの約65%は、弥生時代以後に大陸からもたらされたことが示唆された」。その琉球人、沖縄の人々やアイヌこそ、渡来系と混血の少なかった縄文人の系列なのだ。

◆ウイルスの語る故郷

 南西日本の人たちの体に特異なウイルスが存在することが発見されたのは、'80年代初めのことだった。成人T細胞白血病を引き起こす。白血病は血液の癌だから、長らく予測されながらなかなか存在を証明できなかった「人に癌を起こすウイルス」の実質第1号として、医学界の大トピックになった。実はこのウイルスと同じものをカリブ海の黒人も持っており、日米の医学者がほぼ同時に見つけ出した。そのため、表記の仕方に2通りあって、「ATLV」とも「HTLV-1」とも書く。

 そして仲間にはあのエイズウイルスがいる。人の免疫系の重要な中核になっているT細胞白血球を、エイズウイルスは集中攻撃して免疫不全を引き起こすのに対して、この成人T細胞白血病ウイルスは異常増殖させて白血病にしてしまう。破壊と増殖と全く逆の作用をする。

 感染の仕方もまるで違う。エイズのように激しい感染力も、病気を起こす力も無い。母から子へ母乳を通じて伝えられるため、母系遺伝と似ていて集団の外には勝手に出ない。九州南部や沖縄では何割もの人がこのウイルスを持っているが、圧倒的多数は発病することなく一生を終える。その後の調査でウイルス保有者は北海道や離島部にもかなり存在することがわかった。推定で全国で100万人、半数が南西日本にいる。

 このウイルスの分布が現在、縄文人の血を濃く残している地域と一致している。縄文人はウイルスと共存した集団だった。発見当初、日本とカリブ海と、途方もなく離れた地域にしか見つからなかったが、しだいに情報が増えている。再び人類学会と民族学会の連合大会。埼玉大などの「新判定基準に基づくパプアニューギニアにおけるHTLV-1の分布」は「マダンを中心に海を挟んで東西に広がる3つの州(西からエンガ、マダン、西ニューブリテン)では3.9〜4.2%の感染率を示した」と報告している。この感染率は南西日本のひとつ外回りの地域、本州や四国よりも高い。

 縄文人が故郷を出発した当時、南の赤道地域は東南アジアの島々をのみこんだ大陸の延長と、オーストラリアを含む大きな大陸に分かれていた。もしも、その母なる集団がどこかにまだ残っているなら、ウイルスが引き合わせてくれるに違いない。ウイルス発見報道の一番最初から付き合っている者として、インターネットでこんな報告に出合うと、胸ときめくものがある。

 ※2008/3/23に第157回「日本人の起源を読み解く@2008リンク集」を作成しました。ご利用下さい。