第35回「年金制度の疲労に見る社会の衰え」

 '97年末になって厚生省が公表した「21世紀の年金を選択する―年金改革・5つの選択肢―」が大きな波紋を広げている。5選択肢の第1案「現行制度の給付設計を維持する」なら「厚生年金の最終保険料率は、月収の34.3%(ボーナスを含む年収の26.4%)に上昇」と、目をむくような数字から始まって、「厚生年金の最終保険料率を、現状程度の月収の20%程度(ボーナスを含む年収の15%程度)にとどめる」案なら「平成37(2025)年度時点で支出総額を4割程度抑制することが必要」となり年金給付は大幅削減、果ては「厚生年金の廃止(民営化)案」まで、高齢化社会の入り口に立つこの国の人々に、痛く刺激的な提案である。加えて、厚生省は'98年1月から、企業が公的年金に上乗せするために設けている厚生年金基金の資産運用で、従来は一律「5.5%」と定めていた基準利率を撤廃した。ハイリスク・ハイリターンを狙ってもよくなり、各厚生基金の運用の巧拙によって、支給の年金額に差が生じることになる。低金利時代に合わせざるを得なくなった規制緩和だが、'96年から実施済みの運用先規制の緩和と併せて、巨大な資金運用者が市場に登場することになり、年金資金が経済を動かす米国の状況に一歩近づくと予想される。

◆年金制度問題の現状をみる

 厚生省が「5選択肢」を出した日に、年金審議会も「次期年金制度改正についての『論点整理』」をとりまとめ、公表していた。労働側のセンター「連合」は事務局長の「厚生省の年金改革の『選択肢』となるものに対する談話」を発表し「『選択肢』と称して提出されたものは、年金問題のこれからの論議に枠をはめることになる可能性が強いことから、連合推薦審議会委員は『論点整理』にもとづく議論経過を見定めた中で、審議会に提案するのが本来の道筋であり、その場合であっても『試算例』として提示すべき性格のものであることを強く主張し、反対の意見を述べた。使用者側委員・公益委員からも同調発言が多く出され、最後に、この『選択肢』は事務局の『試算例』として扱うこと、厚生省当局は今後の対応に十分注意すること、今後の審議会の一素材とすること、との会長の集約がされた」と、『選択肢』の一人歩きに歯止めを掛けたい意向である。

 しかし、その『論点整理』は迫力がない。たとえば「公的年金の基本的在り方について」項目なら、「公的年金の役割、機能についてどう考えるか。1階部分の基礎年金、2階部分の厚生年金のそれぞれについて、両者の関係も含めて役割、機能をどう考えるか」「公的年金は基礎年金を基本に1階建ての年金とするとともに、厚生年金は廃止し、積立方式による民間の企業年金又は個人年金に委ねるという提言があるが、どう考えるか」「世代間の給付と負担の均衡をどのように図っていくか」「公的年金の財政方式についてどう考えるか。賦課方式か積立方式か。両者の組合せ方についてどう考えるか」と、文字通り論点が並んでいるだけにすぎない。

 年金問題の現状について、慶応大の学生が「高齢化社会と年金」で手際よくレポートしてくれている。先の選択肢が問題にしている厚生年金ばかりでなく、国民年金と併せた1階部分である基礎年金にも破綻は近づいている。「まず財政から見てみます。はっきり言って、危ないです。基礎年金の収支は2000年以降マイナスとなり、収入に占める赤字の割合は、2025年に50%まで上昇する、また、国庫負担額も、2025年には5兆円を超えるという試算があります。しかしなぜ、このように年金財政は危なくなってしまったのでしょうか?それは、 i.日本の財源調達が修正積立方式によること。ii.昔の世代に過大な給与を施したこと。 が原因です」「年金創設当初は積立方式を建前としていましたが、積立金が年金給与に比して小さく、当年度の保険料のほとんどを当年度の年金給与に当てていることから、今では賦課方式とほとんど変わらなくなりました。このように、建前上『積み立て』の賦課方式を修正積立方式と呼びます。積立方式は、払った保険料分が支払われることを前提としているのに、この制度では、保険料が現在の給付に回っています。結果として、将来支払われるはずの保険料は事実上の財政赤字として負債化していくのです」

 こうして生まれた、見えない「債務」はGDP比で200%にも上るという。欧州諸国も日本と似た状況だが、米国だけは「年金に関してはGDP比で43%の債務を負っているに過ぎないことは特徴的です。アメリカがこのように債務額が小さいのは、人口の高齢化が低い水準で留まること、支給開始年齢を65歳から67歳に引き上げることを予定していること、既裁定年金のスライドが物価スライドだけであること、など給与総額が抑制されているとともに、保険料率について、75年間その水準を維持できる動態平準保険料を採用していることによります」と述べる。

 約2,000万人が対象の国民年金は厚生年金と違って給料天引きではなく、保険料の未収増大が著しい。すでに6分の1が免除、6分の1が未納であり、「保険」としては成り立たなくなりつつある。保険料が月額12,800円でこうだから、予定通り毎年500円ずつ引き上げられて20,000円を超すようになれば、さらに困難な状況に陥ろう。

 世代間の負担の不公平は、いろいろなところで議論されている。厚生省の「世代別にみた厚生年金の給付と負担の水準」にあるグラフが最も端的に表現していると思う。「負担については、段階保険料方式をとっていることにより、下図のように5歳世代(平成6年度生まれ)、25歳世代(昭和49年度生まれ)は最終保険料率(34.3%)が適用されるが、それ以前の世代は一生を通じて34.3%より低い保険料率が適用され」る。グラフの面積で負担の割合を考えるのが直観的だ。65歳世代(昭和9年度生まれ)が負担した総保険料の2倍が45歳世代(昭和29年度生まれ)であり、3倍が25歳世代(昭和49年度生まれ)、4倍が5歳世代(平成6年度生まれ)という感じ。給付については「可処分所得スライドの仕組みの下では、手取り総報酬に対する所得代替率でみて、65歳以降は世代ごとの格差は生じない」。

◆結婚できない、子供を育てられない社会

 公的年金は5年置きに「財政再計算」をして制度を見直すことになっている。次回は'99年であり、現在の年金論議もそこに目標がある。今回の年金論議に最も大きな影響を及ぼしたのは、高齢化の進展より、少子化の問題だと思う。国立社会保障・人口問題研究所が出した「日本の将来推計人口(平成9年1月推計)について」は、'92年段階の推計に比べると少子化が著しく、従って将来の労働力人口の目減りが際立っている。2050年の生産年齢人口(15〜64歳人口と定義)は5,490万人にしかならず、これは前回'92年の推計から1割も小さな数字だ。'95年が8,726万人だから、減少の大きさに驚かされる。1人の女性が2人ずつ子供を産めば人口は維持される。社会全体で均した数字を合計特殊出生率と呼ぶ。新しい推計の「中位」分は「合計特殊出生率は平成7(1995)年の1.42から平成12(2000)年の1.38まで低下した後は上昇に転じ、平成42(2030)年には1.61の水準に達して、以後一定となる」と予測している。先に挙げた米国は、日欧と違って合計特殊出生率が「2」を超えた状態にあり、将来世代も人口が維持されるから過大な負担を背負わされないわけだ。

 結婚した女性が生んでいる子供の数は、目立って減ってはいない。人口問題で女性の晩婚化がよく取り上げられるが、出生数への影響は小さい。核心は、この連載第1回「空前の生涯独身時代」で取り上げた「結婚しない男女」の増加にある。これが全体の出生率を大きく引き下げている。成熟した社会である欧州諸国を通り越し、引き離すまでに、なぜ独身男女が増えるのか。都市生活では、独身でいる利便も確かに存在する。しかし、負の側面も考えざるを得ない。「3高」と呼ばれる、女性週刊誌好みのハードルの高さを不思議と感じない異様さ。働きながら子供を育てるには貧弱すぎる社会環境。改まらない男女間の仕事分配慣行。過度の進学競争による子供の教育にかかるお金の多額さ。先進工業国になる過程で重ねた歪みが、社会に生きる人間のいびつさ、社会の衰えとして噴き出している気がする。先日、米国の幼稚園がインターネットで園内の映像を流し続けるサービスを始め、気になった親は職場からいつでも我が子の様子を見られるというニュースを見た。幼稚園の生き残り作戦ではあるが、子供を育てることに感覚の違いを見た思いがする。

 人口推計が変わった影響について、厚生省は'97年4月に「新人口推計の厚生年金・国民年金への財政影響について」を発表した。厚生年金は34.3%まで保険料率を上げ、国民年金は月額24,300円まで保険料を上げる試算が示されている。表「厚生年金の財政見通し(新人口推計対応試算)」を見ていただくとしよう。この計算表は、保険料収入と運用益を合計した「収入合計」の足し算が合っていない気もするが、何かの欄外要素が存在するかもしれないので、数字はそのまま引用する。物価上昇率2.0%や賃金上昇率4.0%、運用利率5.5%が前提。注意して欲しいのは、「年度末積立金」が平成6年度価格で表示されていることと、「積立度合」は前年度末の積立金の当年度支出合計に対する割合で、余裕度を示す。

 2025年以降も毎年20兆円もの収支差引残を出し、積立度合がほぼ「3」以上を維持されるのも不思議だが、年度末積立金が130兆円から160兆円で維持されているのも奇妙である。厚生年金と国民年金の積立金は資金運用部への預託が義務づけられ、'96年度末で126兆円が財政投融資資金として運用され、大半が国債の購入に回っている。この計算表の意図はどうあれ、膨大な国債発行残を持つ、国の借金財政を維持する枠組みを表現しているものでしかないと、私には見える。

◆これからの年金制度をどう考えたらよいか

 経団連は'96年末に「透明で持続可能な年金制度の再構築を求める」を発表し、'94年の財政再計算に対し「その前提となる基礎率および財政見通しについては、極めて疑問が多い」と厳しい。最大30%までの保険料率は可能とする考え方そのものに否定的で、必要最低限の生活保障である基礎年金部分と、報酬比例部分を分けることを主張する。「報酬比例部分の目的は、現役時代の生活水準の一定割合を確保することである。従って、その財源については、受益と負担の関係をより明確にし、当該個人の過去の報酬の一定割合の積み立てによるもの(報酬比例、積立方式)として、物価スライド、ネット所得スライドなどは排除する。その場合、合理的な給付水準について検討するとともに、積立不足の解消、負担増への対策についても検討しておく必要がある。さらに報酬比例部分の民営化、将来的には企業年金への統合等の可能性についても検討する」。何より、厚生省の情報開示が十分でないことに苛立っている。優秀なはずの官僚機構が、優秀でなかったのだから。

 民間からは、自前のモデル計算を盛った日本総研の「公的年金制度の見直しの視点」が注目される。「この試算が示唆するもうひとつの重要な点は、少子化や運用の低迷等、現行計画が前提としてきた条件に大幅な狂いが生じている割には、物価・賃金上昇の沈静化等、年金財政にプラスに作用する要素もあるため、公的年金制度は喧伝されるほど破綻的な状況に陥っているわけではないことである」と冷静に分析する。しかし、「公的部門全体の財政事情は現行計画が策定された94年度当時と比べて、大幅に悪化しており、年金分野で国民が追加的に負担し得る余地は大幅に狭まっていること。ちなみに、厚生年金の最終保険料率を30%程度にとどめおくとしても、各種構造改革が不首尾に終われば、2025年度の国民負担率は70%にも達する恐れがある」「厚生年金制度を通じて国民が抱える年金純債務は、95年度末で328兆円(割引現在価値ベース)にも達すること。このことは、同年度末の政府公式債務(410兆円)の8割に相当する巨額な債務が簿外に別途存在していることを意味している」の2点で、将来世代の負担能力を超える設計になっていると指摘する。そして、社会保障として考える分野と、物価スライドなどを排除した保険の原理を貫徹する分野を峻別するよう求めている。「本文」は長大だが詳細な検討が読める。

 欧米各国の事情については、外務省の海外調査報告「社会保障分野」に、各種スライド制の手直しや、長期間にわたって制度維持が可能な動態平準保険料採用などの動きが紹介されている。

 少し毛色の違う、社会主義者の立場で論じているのは「年金は大丈夫か」だろう。世代間の不公平について「現行制度を固定したままでは現状以上に年金保険料率を上げるか給付を減らすかしなければ、年金財政が破綻することもまた事実である。では、この差はどこへ消えていくというのであろうか。つまり、これまでに退職した人々への年金がかなりその積み立て額だけと比較すれば多かったことが後世代の負担を大きくする理由となっている。しかし、これまでの退職者の年金水準は高齢者の生活保障という観点からは必要な事だったのであり、その負担を実質勤労者だけになる年金加入者にのみ負担させるのは理不尽であろう。逆にいえば、これまでの国庫負担がまったく不足していたために、現在の問題が起きているのである」と主張する。国のなすべき社会保障を、年金制度に押しつけてきた「つけ」が回っただけなのだとする見方は間違っていない。取るべき具体策は「基礎年金の給付水準を現役労働者の手取り平均賃金の五〇%程度に引き上げる。報酬比例部分は中位の総受給額がほぼ変わらないように縮小する。最高の厚生年金保険料率は少なくとも二二%程度に抑制し、中位の所得の労働者にとって民間の終身年金の方が有利になるような料率にはしないこと。現在のような国庫負担の形式(拠出金や給付への定率の国庫負担)をやめ、財政計画により、不足部分を国家責任において拠出するように改める」だとする。

 経団連などの発想を「小さな政府志向」とすれば、こちらは「大きな政府志向」だろう。いずれの場合も、現在の見通しが利かない状況を作り出した官僚たち任せには、もう出来ない。とにかく情報を全てさらけ出してもらわないと、本当の実情は見えてこない。あちこち歩き回って、つじつまが合わない気がしても解明するデータが絶対的に不足している。