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時評「この国のメディアが持つ構造死角」 (99/10/28)

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 東海村の臨界事故報道では、外国のメディアに比べて国内メディアの感度の悪さが話題になっている。これに関連して、このコラムの読者に読んでいただきたい、マスメディアについての私の見方を、今回はお届けする。「インターネットで読み解く」には、ならないかもしれない。

◆在京メディアの意外に狭小な視界

 感度が悪かった原因のひとつは、事故の発生場所が大きな意味の首都圏とはいえ、外回りにある茨城だったことにある、と私は思う。私の勤める新聞社で言えば、東京周辺は社会部が管轄しているが、その外側は地域報道部が受け持っている。

 東京本社の地域報道部は、北関東から甲信越、東北まで広大なエリアをカバーしているのだが、私の会社に限らず東京の新聞を読んでいて、このエリアのニュースを読む機会があまりない。仙台七夕とかあるではないか。そう、そういう年中行事とか、毒物事件とかしか、東京で読む新聞紙面、あるいは全国への放送には入らない。

 こういうエピソードを紹介すると、理解しやすいだろう。

 毎日毎日の新聞を作っていく上で、一面とかで扱える大きな発生ものが無い場合がしばしば起きる。各部の出稿予定から、そういう見通しになると、紙面づくりの調整役である「整理部デスク」は、政治部、経済部、社会部、外報部、科学部と回って、手持ちのネタはないか聞いて回る。

 ダメだったら、今度は西日本にある本社、特に大阪本社の整理部に球を投げる。大阪の主要な出稿部は、大阪周辺を持つ社会部と北陸・近畿外周・中四国を受け持つ地域報道部、それに経済部、科学部など。こちらも整理部デスクが、各部デスクの引き出しを探して回る。

 この過程で、東京の地域報道部が顔を出す場面が無いことに気付かれよう。

 また、こんなこともある。東京の社会面は、東京社会部に限らず西の社会部・地域報道部からも出稿が多い。社会部デスクが何ページも作れる量を読んでは、さばいていく。当然、ふだんは東京優先になる。しかし、ニュースが薄い時もある。東京社会部が長いデスクなら手回しがよいだろうが、その時の社会部デスクが西の本社から転勤して来ている場合、馴染みのある「西」に声を掛けるのは当然である。

 結局、東京のニュースの構造は、霞ヶ関周辺か海外か、あるいは、たまたま「西」になってしまい、不思議なことに足元の「東」は置き去りになっている。

◆東西落差が原発報道に及ぼす歪み

 「東」のニュースが本紙面に出ない端的な例は、原発報道にある。まさか、と思われるかもしれないが、東京電力と関西電力との原発では、事故が起きた時の扱いに大きな落差がある。数字で示そう。新聞記事データベースはニフティでも手軽に引ける。これは本紙の総合面や社会面などに出た記事を集めていて、地方版は入らない。私の新聞について「原発」「事故」「東京電力」で件数を出すと293件、ところが「原発」「事故」「関西電力」は765件もある。

 原子力取材が長い私の経験上、両者に事故についての差はあまり無い。2倍半も違うのは異常だ。

 差があるのは新聞の方で、関西電力の原発トラブルはまず大小を問わず本紙総合面に載せて置いて、進展に応じて記事を追加するのが、「西」のやり方。「東」では発生時点では価値がはっきりしにくく、東京周辺を外れている原発トラブルは地方版でよい、となる。発生時に本紙総合面か社会面に出ていない記事の続報は、以後も載りにくくなりがちである。その結果、東京電力の原発でのかなり重要な意味がある事故まで、福島、新潟などの地方版だけに終わる例が多い。

 原発関係のトラブルについては、中央官庁が常に過小な評価をする。好意的に見れば、よく分からない段階では「分からない」と言うしかないのかも知れないが、在京メディアは官庁記者クラブからの「裏情報」を価値判断に加えている。これも、感度の悪さにつながっているはずである。

 それに対して「西」はまずトラブルが起きたら騒ぎ、そして、当事者の発表を疑う姿勢を取る。

◆情報過疎・過多と版どころ主義

 ジャーナリストとしてみれば「西」のスタンスを推したくなるが、これは情報過疎の「西」にいればこそである。情報過多の東京にいると、降りかかるニュースの売り込み攻勢をさばくのに一生懸命になりがち。なにせ、この国のメディアは、他社にはいずれも載っているのに自分のところだけに無い「特落ち」を極端に嫌う。「特ダネ」を書いても「特落ち」を出すようではダメとみなされる。同一人物の記者が東西を異動すると、取材の行動パターンが違ってくる。

 しかし、「西」が理想郷のように受け取られると困る。今や、どの地方も一番顔を向けているのが東京であることに異論は出まい。ところが、新聞発行の拠点が大阪にあるために、架空の中心「大阪」を地方の読者に押しつけてしまいがちだ。

 さらに、東西とも同じ構造の「版どころ主義」がある。新聞の輸送時間が決め手になって、工場がある場所から同心円状に同じ時間帯に印刷された新聞が配られる地帯が生まれる。本紙の総合面や社会面は、印刷される時間帯によって、大幅に造り替えられる。同心円地帯からのニュースを目立つように編集する。あるニュースが社会面に出たとしても、同心円地帯だけに限られる場合がよくある。その「版」の地域を重視する、ご当地優先が「版どころ主義」。本紙の各面にそこのニュースを多用することで、擬似的にそこの地方紙になろうと仕組んでいるとも言える。

 北陸と中四国にだけ、あるいはもっと狭い地域だけに流れるニュースがある。近畿圏だけというのもまた多い。ニフティなどで引ける記事データベースに収容されるのは、本社所在地の東京、大阪、名古屋、福岡で印刷された最終版が優先されるから、専門の読み手からしても各同心円地帯に配られたニュースの全容は見えにくい。

 それ以上に、同心円地帯の読者にとって、配られた新聞が本当に読みたかったニュースの集まりなのか、大きな疑問がある。

 この連載で文明論的な第25回「インターネット検索とこのコラム」で、現代の読者が持つ問題意識「知のピーク」は、新聞がかつて社会全体にふんわりと被せていた膜を随所で突き破っていると書いた。全体としての知の水準が新聞を超えているのではないが、個々人が関心を持つ特定の問題意識では、本当にあちこちで凌駕されている。

 地方のニュースだって現在の新聞編集常識と違う扱いをすれば、広く読まれる可能性がある。卑近な例で恐縮だが、10年前、科学部から一時、京都支局員として出て、毎週の京都版経済面に「うちのヒット商品」と題し、京都ベンチャー企業群のヒット商品開発ストーリーを連載した。これは会社の法人著作権を侵さない形でニフティの同報メールを通じ、全国数百人の方に配って好評だった。「パソコン通信のいろいろなログは捨てたが、これだけ残している」と年賀状で書かれた方もいた。

 東京や海外のニュースも結構だが、市民のいろいろな問題意識に合ったニュースはむしろ地方に転がっている。それを精選して届けるシステムを作るべきだと、実は以前から社内で主張している。形容矛盾に聞こえるかもしれないが「全国地方版」である。これが作れるのは、どの地方のニュースも同じ水準で追いかけ続けている全国紙しかない。

 地方紙がかつての過剰に地元ネタを振った、泥臭い作りを改め、共同通信が配信する全国ニュースで一面から作っている今、全国紙は大都市圏以外では苦戦している。全国紙が優位を発揮できる場面を考え直さねばならない。私個人は、そのポテンシャルは存在していると考えているが、実現の蓋然性はいまのところ心許ない。



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