団藤保晴の
「インターネットで読み解く!」

第88回「読者と対話・日本の医療その病巣」 (2000/08/10)

 前回お届けした第87回「日本の医療その病巣を点検する」は、その後、MSNジャーナルにも転載されて、随分多くの方に読んでいただいた。医療の現場にいらっしゃる方を中心に読者の皆さんから、いつも以上に内容のある投書が多数届いている。ひとつひとつに返事をするよりも、編集して対話集に構成してみたい。皆さんのお名前は匿名の扱いとした。

◆看護の現場から生の声を聞いて欲しい

 現場にいらっしゃる看護婦さん、おふたりから寄せられたメッセージは、本当に切実なものだと思える。

 長野県の「看護婦になって14年」の方はこう言われる。

 「注射・転倒などヒヤリとした経験は今までに何度かあります。たまたま、事故にならずに済んでいますが」「看護婦の仕事はとてもせわしい限りです。自分の仕事だから」「愚痴を言っても仕方ないのですが」

 「記事の中に『一般病棟では日本の看護婦は1人で患者1.89人を担当しているのに、ドイツでは1.37人、英国は0.56人、米国に至っては0.42人でしかない』とありました。そのことについて、意見を言わせていただきたいと思います」

 「看護婦の病院配置を定めた厚生省の看護人数に対して忠実に現在、勤務している病院では守っております。しかし、厚生省のものでは看護婦と限定しておらず、看護助手も含んでの人数です。看護婦の資格のないもの」「看護助手とは名ばかり実際は病棟の事務員も含んで看護助手として届けての看護人数となっているのです」

 「看護婦の資格をもっていても」「看護部長・副部長・外来看護婦・手術場看護婦は病棟勤務でない」「その人数に、さらに無資格な看護助手を含めて」「看護人数として、看護婦一人あたりの患者数を決めている」

 「自分の病棟を例にあげると」「患者58人に対し」「有資格(看護婦)で現場で働くものは20人」「2〜3人夜勤。三交代制なので」「昼間患者と接しているものは、6〜7人(看護婦にも休日があるので)58人の患者を6〜7人で援助している」

 「看護婦1人あたり患者8〜9人だな」「と単純計算しないで下さいね。医師の回診介助・検査介助などで、さらに看護婦は減り4〜5人で58人を援助している」

 「仕事中、『余裕ないな』ぎりぎりの気持ちでいるときがあって患者さんが、親しみをこめて言った冗談を腹立たしく思うときもある」「私個人は仕事が好きで誇りに思っている。そんなときは『なんて嫌な自分なんだろう』と、気分が暗くなる」

 「仲間(看護婦)が(医療ミス)で報道されているのを聞くたびに、『気をつけなくちゃ』と思う反面、気の毒にと感じてしまう」「『医療ミス』された患者さんに対して」「本当に失礼な発言ですが」「『どうか、余裕のある気持ちで患者さんに接することができる病院』になるような社会になってほしい」

 「記事に書いて頂いた『人手不足による絶対的な忙しさが過誤の背景にあると考えて、間違いなかろう』」「この声が・・・社会を動かすものに成るように、こころから願うばかりです」


 地方の総合病院に勤めていらっしゃる看護婦さんも、ほとんど同じ経験を語っている。

 「ベッド数が1400ほどあり、私は主に老人の方(慢性期)を看ています。最近特に事故になりかねないニアミスが多くあります。なぜ増加してきたのかを考えると一番には、看護婦が忙しすぎると言う点です。一日中走り患者の要求をこなし、さらに医師や組織の方針をクリヤーしなくてはいけない」

 「ミスは絶対許されないというプレッシャーと患者には笑顔と、要求されることばかりで余裕がありません。そんな中でよい看護ができるわけがありませんし、ミスも多くなります」

 「患者は老人と言われる人たちで、家族に見放されている人も多く、そういう家族に限って感謝することより苦情を言う人が多いのです。白衣の天使とは名ばかりの仕事です」

 「医療費の圧迫が、病院経営を困難なものにし、それが私たち働くものの余裕を無くしているのです。したがって、してはいけないミスも多くなります。このことは自分たちだけの力だけでどうにもならないことがあります。良い看護を提供することよりミスをしない、自分を守ることだけで精一杯です。では、愚痴になりましたが」


 統計上の数字の意味を吟味しなければならないと、いつも思い、このコラムでも実践しているつもりだが、看護婦さんの忙しさの実態はとんでもないところに達している、そう感じさせるものだった。

 看護の人員数について、厚生省もこうした実態と離れた人数あわせを公認していると聞いたことがあるが、現場の方に具体的に指摘していただくとよく分かる。

 個人的な取材経験でも、ある個人病院の、親しくなった、とても腕の立つ院長から「入院している患者に関して、看護婦に指示したことの1割は忘れられると思うべきだ」と聞かされたことがある。ふとしたきっかけでこれに気付き、さらに調べてみると、実行した医療行為をカルテに記載する際にもう1割書き忘れることも発見したという。試みに、注射をしてからカルテに書くよう指示していたのを逆転して、カルテに書いてから注射するように変えてみたら、病院の経営収支が良くなった。カルテに書いていることしか医療費として請求しないのだから、「ひょっとすると、していない分まで請求することになっているのかも」と笑っていた。

 絶対的な忙しさがある以上、こうしたことは常に起きているのだろう。忙しさの中でも、病気の辛さで崩れがちな患者の精神を支えるためにも、看護婦さんは笑顔は見せていなければならない。

◆医師側からの指摘、事情を知る方の反論

 「医療サイドの人間です」という方からは、逆説的な指摘をいくつも頂戴した。

 私の書いた「磁気共鳴断層撮影など高度な機器による検査漬けにすれば、いくらでも稼げる」に対しては、こうである。

 「確かにMRIなどを病院に導入した元をとるために、必要もないと思われる患者にどんどん検査を受けさせていた病院をしっています」

 「だけど一方でMRIなどの侵襲性のない高度な検査機器があったとして、あなたが何らかの病気で診断を受ける場合、この高額の検査を受けないで診断を下して欲しいですか?」

 これに対しては、茨城で開業されていらっしゃる内科医の意見を聞いていただきたい。

 「一般的に言って、老人が増えれば医療費が増えるのは自然の成り行きではあろうと思います。何が必要で何が不要なのか、国民的コンセンサスが必要だと私は思っています」

 「例えば、御老人が『頭が痛い』といったから、すぐに全員に高額なMRI検査などを行ったらどうなるでしょう。医療費はすぐにパンクするでしょう」「では、検査しなかったらどうなるでしょうか。訴訟の危険が待ち受けてはいないでしょうか」「強い頭痛でなければ、いきなり検査などするべきではないという、大いなるコンセンサスがなければ、病院は検査するすることで、訴訟を免れるとともに、収入も上がることとなる訳です」

 臓器移植について、私が書いてきたこととも共通する問題である。可能だから技術を使う。それでいいのだろうか。人、設備、金をトータルにみて、限られた「医療資源」をどのように使うべきか、冷静に考えてみる必要がある。厚生省のしていることは、もっぱら医療費の操作である。第15回「医療費をめぐる攻防が本格化した」のおしまいで書いたように、考えることは他にもある。寝たきり老人をつくらないための健康づくり運動も要るし、喫煙率を劇的に引き下げるキャンペーンも実現すれば国民医療費抑制に確実に効く。


 私の「薬価差とは、健康保険の支払いで認められた薬の値段よりもずっと安く、薬を病院が仕入れられることから生まれた副収入だ」に対して「医療サイドの人間です」という方は、やはり次のように指摘する。

 「物を消費者に売って儲ける資本経済で仕入れと売価に差があるのは当たり前ではないですか」「調剤薬局では仕入れと売価に差があってもいいのに病院では差があったらいけないのは矛盾していませんか」「薬価差が副収入ということで非難されるなら仕入れと売価に差を儲けているすべての商売を非難すべきでしょう」

 「病院では薬を仕入れて患者に投与するまで保管管理の経費がかかります、薬剤師の人件費もかかります」

 これにも「薬剤師の立場で」という方から反論が寄せられている。

 前段の「資本主義」論について「薬局と病院を同じテーブルにしないでください。医師は選薬の自由があり、薬剤師は不良在庫の恐怖があります」と手厳しい。

 後段の「薬剤師の人件費」には暴露がある。

 「ごまかし論議です。病院薬剤師の給与が安い。パートタイムで大病院の薬剤部に潜り込んだ時、職員食堂の求人広告見てショックでした。看護婦の1/2だったんです」「院外処方にして、病棟投薬業務にすれば、経営の効率化は図れます。薬剤師が多いのは薬価差益が大きいときの名残です。薬価差益のほうが薬剤師の給与より高かったんです」

 病院と一般の商売とは違うことを改めて述べるまでもなかろう。国民皆保険のもとにあるこの国では、病院・医療関係者は公務員のような立場にある。私企業として全く勝手に振る舞えると考えてもらっては困る。

◆米国医療にある落差とこの国での破綻

 米国にお住まいの方から、私の書いた「米国では医師・看護婦ともずっと多くて医療費はGDP比で日本の2倍ほどもあり、それなりに水準の高い医療が実現している」との部分に、ご意見をいただいた。

 「アメリカの医療技術は研究の段階では最先端で優れていますが、一般の市民が受けられる医療水準が高いとは言いきれません。大多数の国民が国民の平均収入に近い日本と違い、アメリカは国民の”平均”収入が高いのに、国民自体の貧富の差が激しくいため、平均収入を得ている国民の数が大多数ではない様に、トップの医療は進んでいるが、一般レベルの医療の質が高いとは言えません」

 「保険の種類をみて、その保険の内容の善し悪しで、そのひとのもらえる医療の内容に差がでてきます。保険会社が支払う限度数が低かったり、保険会社が支払う%が低かったりすると、補償額に匹敵する最低限の医療しか受け取れないシステムになっているのです。また、保険会社が契約を結んでいる病院以外の病院で治療を受けると、100%自己負担せざるを得ません」

 「わたし個人の意見としては」「行きたい病院を自分で選べ、同じ病気にかかれば、保険の種類を関係なく同じ医療が受けられる日本の医療システムのほうがよっぽどいいと思っています。ただ、日本の医療システムに改善する点があるのはたしかで、その問題に取り組むことによって、日本の医療システムがより良いものになっていくことは大切だとおもっています」

 米国内で医療のレベルに落差があることは承知している。前回の文脈では書ききれなかったが、ご意見を紹介して補いたい。

 そして、それは昔からのことだと思う。例えば欧米の慈善病院は貧しい人には無料で治療にあたった。そこでは屍の山が築かれ、そうして得た医療技術で、慈善病院に寄付した富裕層に恩恵がもたらされた。「○○の手術」と個人名が冠せられた有名な外科手術法は圧倒的に欧米が多い。新しい手術法を生むには荒技が必要だったのだ。

 その点、この国の医療は慎ましくやってきた。「和田・心臓移植」という事件などは例外的な存在である。医療内容も慎ましく水準を守ることに重きが置かれた。国民医療費膨張も高い経済成長のおかげで吸収してきた。

 しかし、少子化と高齢化が並行して進む今、本質に手が着けられない政治・行政によって破綻の時が見え始めた。それが、前回と今回を通して一番申し上げて置かねばならない点だ。「今後外資系の医療保険に加入して、義務である健康保険制度からの脱出を考慮中です。規制があり選択の自由が義務という約束で拘束されている限り、政治の貧困に振り回されますから」と書いていらした方もいる。



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