団藤保晴の
「インターネットで読み解く!」

時評「東大定年延長を止めない不思議」 (2000/10/12)

 この9月19日、東京大学は現在の60歳定年制を、13年かけて65歳定年に延長すると決めた。この定年延長に、マスメディアからも大した抵抗が見られない。教官の平均年齢が上がること、若手の登用に支障があるだろうことに疑義を表明するとしても、ささやかなものだった。高齢化社会になり、年金の支給開始が65歳まで延びる時代に、大手企業でも定年延長は課題になっている。それと同質の問題だろうか。ほぼ同時期に、フリーの国際情勢解説者、田中宇さんの米国現地レポート「知のディズニーランド、ハーバード大学」を読んで、彼我の大学のありようの差を痛感した。やはり語っておかねばなるまいと考えた。

◆定年制撤廃こそ蓮実学長がすべきことだった

 当事者の生の声が「『東京大学教員の定年年齢の引き上げ』に関する記者会見 」で読める。

 蓮実学長はまずこう述べている。

 「本件を提案した最大の理由は、年齢による差別の撤廃であります。私がお会いした世界各国の学長等に伺った限りでは、65歳未満の定年を定めている大学はほとんどありません。なかには、定年制度そのものを理解されない学長もおられ、また、東大の教員の定年を60歳と聞いて、“ridiculous”と一笑に付した英国の学寮長もおられました」

 「ばかげている」と一笑に付された訳だ。しかし、その学寮長は、おそらく東大の教官がほとんど東大出身者で占められていることも知らなかっただろう。それも知らされれば再び“ridiculous”と嘲(あざけ)っただろう。

 この連載コラム第13回「大学改革は成功するか」で紹介している通り、ドイツでは同じ大学での教授昇任を法律で禁止している。欧米の大学で自大学出身者の教官が多いとされる米国ハーバード大でも割合は7割弱に止まる。しかも、一度は外部の機関を経験してからである。東大の「純粋培養」とは違う。

 「定年制度とは、組織のヒエラルヒー維持のために個人の能力を無視した悪しき因習に過ぎないと信じている私は、組織と秩序を重んじる我が国では一見当然のことのように思える定年制度とそれに伴う退職金制度についても、その合理性をもう一度、考えてみる必要があると思っております」と述べる学長が、なぜに定年延長志向なのか、理解に苦しむ。

 少し先を見通して、こんな発言もある。

 「年齢による差別をなくすということは、若齢であることによる差別をなくすことでもあります。おそらく、何年か後には35歳より若い教授がたくさん出現するかもしれません。しかしその者も、45歳の時点ではもはや教授には不適格と評価されることもありましょうし、場合によっては55歳で初めて教授に適格とされ65歳を過ぎてもなお適格と判断される者が出現することもありえましょう」「本日定めた65歳という年齢は、任期制等の評価制度が社会的に定着した後には、その再引き上げ、もしくは撤廃を含めて、当然見直されるべきものであると考えております」

 であるとすれば、「任期制等の評価制度」をまず先に作って置いてから、延長ではなく、撤廃に進むのが論理的だと考える。

 ところが、任期制が全学的で本物になるのかと、記者に聞かれて「任期制あるいはそれに代わる大学の活力を高めるような方法」は「学部なりが提案すること」と逃げてしまう。

 これでは、しばらく前に東大を退官した解剖学者養老孟司さんが、10月8日付け毎日新聞に書かれていた通り、理系以上に文系の先生たちの再就職が困難になったからとられた措置と理解するしかなくなる。養老さんは「一律の定年制を敷いて置いて、創造的であれとかよく言うよ」と、ばっさりだった。

 どの大学も全て第一線で戦闘的であれと申し上げるつもりはないが、大学院大学の看板を掲げたところくらいは、へとへとになるくらいに戦闘的であり続けてもらわないと困る。別格の扱いを受けていることは、自らご存じのはず。多額の税金を投入している価値が無くなる。

 実際には、この国では文系はおろか理工系の研究でも、学閥によらない公平な評価がいかに出来ない体質になっているか、先々もその見通しが暗いことは第13回「大学改革は成功するか」で説明した。第74回「大学の混迷は深まるばかり」では、文部省が掲げる「独立行政法人化」が的外れであることも。

 「任期制等の評価制度」実現が容易でない事実に目をつむって定年延長だけ先取りし、誰も止める者がいない。驚くべき怠慢、政府も政治家もマスメディアも……。

◆米国からの風のさわやかさ

 田中宇さんは主にインターネット上で活躍されている。ご存じの方も多いだろう。奥さんがジャーナリスト向けの特別研究員制度を利用され、1年間留学されるのに同行してボストンに行かれている。

 「知のディズニーランド、ハーバード大学」は、田中さんが関心を持つ国際情勢についての講演会やセミナーなどのイベントだけでも、あちこちで時間が重なって行けなくなるほど多数あり、しかも無料、昼食時ならハンバーガーのような軽食まで用意されていると伝える。私のような科学技術指向にとっても行き会わせていれば同様であろう。

 しかも実は、大学は留学してくる人たちに開かれているだけでなく、普通の人すべてに開かれているという。

 「教授に聴講の申請をするときも、その授業に関心を持つ理由をはっきり説明できれば、外部の人であっても、おそらく誰でも大体歓迎されると思われる。ただし一般の学生と同様に、教官が指定する関連図書を読む宿題をこなすことが求められる。その量は、多いときには一回分の授業用が200ページを超える」

 「宿題の図書指定をウェブサイトに掲示する教授もけっこういるので、日本からボストンを旅行する人でも、事前に大学のサイトを見て日時を把握し、宿題を読んでおけば、学生顔負けの発言や質問をする『道場破り』が可能だ。アメリカの大学には、外部の人が来て意外な発言をすることが、大学を豊かにするという考え方があるように見える。知のディズニーランドは、知的プロレスのリングでもあるらしい」

 そうした環境の中で学生たちは育つ。それこそが米国の強さであることが分かる。

 「ハーバードの学生はよく勉強している。図書館も深夜12−1時ごろまで開いている。宿題をこなさないと卒業できないという現実もあるが、勉強する楽しさを感じている人も多いはずだ。授業のシステムは、聴衆を引き付ける技術を持った教授の講義を聞き、指定された大量の本を読み、学生どうしで討論する会合に出るという『聞く・読む・話す』の3つの要素を組み合わせたもので、系統的に理解が進むようになっている」

 このレポートはMSNジャーナルにも転載されていて、そちら経由で読者の感想が読める。そのひとつに「とても米国には追いつけない。優秀な人材は米国に流出させて、また自国にフィードバックさせるしかない」というものがあった。

 現在、国内で高名な研究者には若い時代、海外で武者修行してきた方が多い。投稿者は「だから」とお考えのようだが、実は自分の大学出身者で、学科内、教室内の人事を固めるシステムがそれを阻害するようになって来た。東大ばかりでなく地方の大学まで一貫している。

 「教室内での地位を失う危険を冒したくなくて、外国に出ることを嫌がる若手が増えて困っている」と、もう何年も前から、お付き合いのある研究者から聞かされている。

 知的怠慢と言われるなかれ。システムが人間を作っているのだ。ハーバードの学生だって、日本的システムの中にいたら、あんなには勉強すまい。

 東大の定年延長が、全ての教官に外部機関を経験することを義務づけるのとセットになっているのなら、これほど心配はしない。理系の研究者ですら、こんな状況に陥っていることを知るゆえに、この日米の対比物語をしなくてはいられないのだ。



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