第94回「脱・日本的QCが生んだ劇的改善」

 10月末、日産自動車は「2000年度中間期の決算見込み」で「連結営業利益は1,366億円(12.6億USドル)に達し、売上高営業利益率は4.5%となり、これらは過去10年間での最高値」と発表した。前後して、やはり「平成12年度中間決算」を出した東芝にも劇的な経営改善が見られた。連結で税引前利益1,062億円は、前年度同期の656億円に上る赤字とは別世界である。それを可能にしたのは、ボトムアップ型の日本的QC(品質管理)との決別、トップダウンによる大胆な業務改善への転換である。

◆日産と東芝、新手法シックスシグマ

 ルノーから乗り込んだ剛腕ゴーン社長が再建に大なたを振るっている日産。それにしても早い立ち直りの秘密は、大幅原価削減に向けて、部品購買と開発の両部門が部品メーカーを巻き込んで共同で取り組んでいる点にある。この、あまりに当たり前の改善運動が、品質管理手法として有名なQCサークルでは不可能だった。部門別、縦割りの世界での改善提案をいくら積み上げても、劇的変革には至らない。

 一方、東芝のしていることは、米国で開発された品質管理手法「シックスシグマ」の活用である。「中期経営計画について」にある「計画の柱と具体的な取り組み」はこう述べている。

 「顧客志向に徹するとともに、IT技術と、シックスシグマ手法などにより分析した数値やデータに基き、 継続的に経営を変革していく組織風土の構築を進めます」。グループ全体で毎年2万を超すプロジェクトを立ち上げ、3年間で5,600億円の改善をするという。

 日本のQCを米国流に換骨奪胎したシックスシグマについて、詳しくはNEC総研の「特集」などを見ていただきたい。日本的QCとの端的な差は、現場からボトムアップするのではなく、問題点を専門家が見つけて経営上の必要からトップダウンで改革していく点だろう。もちろん、問題点発見のためにはQC同様に統計学の手法が駆使される。

 私の連載コラム第68回「日本の自動車産業が開いた禁断」で、かんばん方式など自動車に代表される日本的なリーン生産様式が、果てしなく続く競争への禁断の箱を開いてしまったと指摘した。対抗する各国に広まって生産の仕方が世界中で同じになれば、ホワイトカラーの生産性が劣っている日本企業は欧米に勝てない。日産と東芝の改革は、その点にも関わっているし、相通じてもいる。

 反論があるかもしれない。QCから全社的なTQC、さらにマネジメントとしてのTQMへと押し進めているトヨタ自動車は強いではないか――。

 かつての日産自動車にない、強いリーダーシップがトヨタには存在する。「工場の申し子」と呼ばれた技術者型経営者、豊田英二氏なしには現在のトヨタは存在しなかったのではないか。最近、私はそう考えている。31歳で取締役技術部長に就任、会長職を去ったのは少し前のことだ。英二氏のリーダーシップはトップの「規範」として存在し続けていると、私は看る。トヨタの構図は、「二番煎じ」たちが生み出した純日本的QCではない。

◆「工場の申し子」と呼ばれた、強い経営者

 いろんな車を運転してみた経験があるが、自分で買った車はシビックとプレリュードしかない、純ホンダ・ファンの私には、トヨタの車はどうも鈍に見えた。かつてのクラウンなど、その最たるものだった。しかし、それを作り続けて、しかも大量に売り続けた、愚直な才能には脱帽せざるを得ない。

 その中心にいた英二氏の評伝を、タイム誌の記事に添えるので書いてくれと英語情報誌に頼まれ、調べているうちに見方が変わってきた。以下に、その評伝を収録する。


 米国の自動車殿堂入りした二人目の日本人ながら、一番目の本田宗一郎氏と違って、豊田英二氏はおしゃべりが嫌いな、寡黙な人として通っている。「世界の織機王」豊田左吉翁の、発明家としての遺伝子を最も受け継いだのが英二氏だったかもしれない。自動車殿堂入りに続いて、1995年に英国機械学会からはジェームズ・ワット賞を受けた。

 豊田家の人材は、佐吉翁の経営者としての才も譲り受けた。東京帝大工学部の学生の身分で、豊田自動織機製作所に作られた自動車部の仕事を手伝い始めた。間もなくトヨタ自動車工業が分離独立、1945年、31歳で取締役技術部長に就任した。部長をしていたころは日曜日でも工場に出かけた。仕事の虫。ゴルフは好まない。工員達と工場にいるのが、英二氏らしいライフスタイルだった。部長になって10年後に、ある意味で最もトヨタらしい車クラウンが生まれた。「代々のクラウンは自分が産んだ子供のようなもの。難産はあったかもしれないが、おおむね成長は良かったよ」と語っている。

 英二氏は戦後の米国訪問の際、フォード工場で実習する機会を得た。最初は従業員の働きぶりに驚き、これは勝てないと思った。しかし、観察しているうちにフォードでしていることは、トヨタでもしたいと考えていたことだと気付く。「米国も戦争で進歩が止まっていた。戦前、勉強したことと中身はそう違わないんだ」

 米国土産に持ち帰った創意工夫運動が、紡績工場を習って形づくられ始めていた合理的な生産方式に重ねられていった。「人は夢中になれる環境にいるのが一番いい」と信じる英二氏。下請け企業を含めて会社ぐるみ、技術に、生産に夢中になることでトヨタは、世界の巨人に対抗できる自動車メーカーに成長した。やがで日本的生産様式として広まり、世界の自動車工場で生産様式を変えてしまう。それは自動車業界の枠組みを超えて広まりつつある。

 「技術は紙に書いてあるかも知れんけど、多くの部分は人にくっついている。その人がやめちゃえば、技術は失われてしまう。再出発しようとしても、新しくやるのと同じで非常に難しい」。そう考えている英二氏は、会長時代に朝日新聞社のインタビューで「トヨタの強さの秘密は」と聞かれて「僕がいることかな。いやこれは冗談」と答えた。


◆そのQCにさえ遠い官僚機構と政治家

 シックスシグマ自体は定型があるのではなく、各社それぞれの事情に合わせて造り込んでいくものらしい。そのようなトップダウン式の改善・改革といえば、この連載第77回「ハードディスクを変えた起業家魂」で取り上げた日本電産がずっと前から実践している。

 トップ自ら、どの部分に手持ちの力を注ぐのか指示し続けてきたし、必要な技術力を求めて企業買収し、不振に陥っていた買収先を競争原理で意識改革してしまう。東芝から営業譲渡を受けた芝浦電産も、短期間で業績回復に向かっている。そして、日産では目新しいだろうが、技術の分かる購買部員が開発設計段階の最初から加わるのが、日本電産の常識である。

 では、これまでも現場からQCについての疑問は出されていなかったのだろうか。「think or die」という刺激的なタイトルのホームページ、その「サラリーマンの現象学」コーナー。20代の鋭い眼が「TQCという宗教」でこう書いている。

 「僕もふくめて何らかの形で『QCサークル』や『小集団活動』といったものに参加したことのあるサラリーマンやOLの皆さんなら、『こんなこと単なる時間のムダじゃないの?』と一度ならず思ったことがあるはずだ」

 「そういう本音を上司にぶつければ必ず次のような答えが返ってくるだろう。『効果が出ないのは、ちゃんと取り組まないからだ』。日本企業の管理者層は、労力を惜しまず取り組めば『QCサークル』は必ず効果が出るというTQC信仰に洗脳された人々が大半である」

 信仰でしかなくなったテクノロジーは、既にテクノロジーではない。

 「自分たち自身が『問題解決型』思考の呪縛から逃れられず、部下たちにも同じ『問題解決型』思考を押しつけてしまっているという悪循環に、いったいどれほどの管理者層が気づいているだろうか?」「自分のサラリーマン生活を思いめぐらしてみると、やや絶望的な気持ちにならざるを得ない」

 現場に改善すべき問題があって、衆知を集めて何とか解決する。それが日本的QCの本質だ。では、何が問題か、現場にいる人間には全て見えているのか。そんなはずはない。遙かに高いタカの目から見た鳥瞰や、現状そのものを疑う創造的な理性、本当の制約条件は現場から離れた場所にあると見抜く洞察……経営者や中級以上の管理職に求められるのは、そんな手腕である。右肩上がりの時代にTQCだけ唱えていて何とかなった経営者に、いま退場が求められている。

 それにしても、そのQC、TQCからも遠い存在がこの国では社会の大きなパワーなのだ。先日、核燃料サイクル開発機構の現場に詳しい方からメールをいただいた。連載第76回「臨界事故と揺らぐ原子力技術」で「QCさえしていれば一流である時は過ぎたが、QCもくぐらないで現代に通用しようとするのは甘い」と書いたことへの、現場からの同意だった。

 「サイクル機構へのQC・TQCの導入ですが,現在の状態のまま適用しても役に立たないと思います。というか,邪魔扱いされるでしょう。なぜなら,QCもTQCも民間の産業界または企業で”必然的”に出てきたものであり,QCまたはTQCなるものを欲していたからです」「残念ながら今のサイクル機構にこれらを自発的に求め,真剣に受け入れるだけの土壌は無いと私は思います」

 「改組されたとはいえ,中身は腐りかけてます。解りにくい組織と権限,事務手続き,課題への対応のマズサ,責任の分散,職員の大きな勘違い(ご指摘のとおりです),数え上げたらキリがありません」

 民間ホワイトカラーの生産性の悪さが問題である以上に、この国の官僚と政治家の生産性の悪さは致命的な段階にまで達しつつある。進まない公共事業の見直しなどは、問題があることの確認にすぎない。解決のはるか手前のことだ。そこで行きつ戻りつを繰り返すばかり。