第104回「再生医療周辺と生命倫理を考える」

 日本再生医療学会が5月1日に設立され、事務局は京都大再生医科学研究所内に置かれている。この目新しい名前の研究所自体が、もとの胸部疾患研究所から全面改組されたばかりの存在だ。臨床、基礎の壁を乗り越えて実用化を目指すこの学会は、特許取得や臨床試験を支援するNPO(非営利組織)法人、仮称「再生医療インダストリー」を発足させる。臓器移植法がつくられて3年半を過ぎるが、臓器提供は年間数例と低調なまま推移し、移植を目指していた医師の一部も再生医療に転進し始めた。

◆胚でない幹細胞なら直ちに利用可

 再生医療、再生医学の考え方について、クローン人間や受精卵から胎児に育つ過程で採れる万能細胞「胚性幹細胞(ES細胞)」の利用と混同があるかもしれない。考え方を整理したページがあるので紹介する。「再生医学とティッシュエンジニアリング 歯科治療における可能性」は「ティッシュエンジニアリング(Tissue engineering:組織工学)」という概念を使ってこう説く。

 「このようにクローン技術では個体づくりも可能であり、ES細胞を使えば、まるごとの臓器をつくることができる。ともに大きな可能性を秘めているが、この2つの技術では受精卵を使うという点で、大さな倫理的法的な問題が残されている」

 「これに対して、狭義の再生医学として用いられる概念がティッシュエンジニアリングである。ティッシュエンジニアリングでは、原則として生殖細胞は用いない。大人の体のなかに残っている組織幹細胞を取りだし、増殖させて適切な細胞の足場と組み合わせて人工的に組織、臓器を組み立てていく」

 歯科の領域でも、培養骨作りからさらに進めて歯そのものの再生まで考えられているという。

 4月半ばに米国から流れたニュースは、こうした組織内の幹細胞利用が間もなく飛躍的に簡便になることを示した。cnn.co.jpウェブにある「脂肪組織から幹細胞分離 再生医療の活用に」 である。

 カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)などの研究チームが、美容整形のため吸引した「脂肪組織から幹細胞を取り出して分化させ、骨、軟骨、筋肉など、4種類の細胞を作ることに成功した」。200グラムほどの脂肪組織から、こうした幹細胞は5000万から1億個も得ることができたという。

 これまでも神経細胞など様々な組織で幹細胞を分離する研究が進められてきた。今回のように、事実上不要な脂肪組織から大量に幹細胞が取り出せるのなら、患者自身の幹細胞をふんだんに使って、本当に自分自身の組織を再生、培養して「補修」できる見通しが開けた。

 NHKが4月末に放映した「50兆円市場 動き出した再生医療」に限らず、これをビジネスチャンスとして活用しようとする動きはあちこちにある。米国では昨年までに60社以上のベンチャー企業が出来ていて、態勢づくりが遅れていた国内もようやく立ち上がった段階だ。

 企業ばかりか自治体も産業振興の好機と捉えている。中でも神戸市はポートアイランドを研究開発拠点化しようと「神戸医療産業都市 プレスリリース」というページを作っているほど。

◆遺伝子注入による血管新生も

 幹細胞を使うばかりが再生医療でもない。遺伝子を患部に注入して、発現させる研究も実用化一歩手前に進んできた。

 「移植遺伝子工学研究会」が組織された。第3回研究会の特別講演「遺伝子導入による生体内再生医療」で阪大の金田安史教授が、糖尿病などが原因になって下肢の血行が悪くなる「閉塞性動脈硬化症」に使って海外で成功した応用例から阪大での研究まで解説している。

 「下肢に潰瘍が生じた患者の閉塞部位の筋肉に注入し血管新生効果により血流が改善され下肢切断を免れたことが報告されている。この方法の画期的なことは、閉塞を取り除くのではなく側副血行を遺伝子によって作出しようとしたことにある」

 「大阪大学では、肝細胞増殖因子(HGF)がVEGF, FGF-4よりも強い血管内皮増殖作用をもつことを見出し、HGFによる虚血性疾患治療の道を開いた」「国内ではじめての生活習慣病に対する遺伝子治療が新規遺伝子を用いてはじまる予定である。同様の手法は虚血性心疾患においても有効であり、重度の狭心症の治療への応用のためのプロトコールも大阪大学で提出された」

 阪大の「遺伝子治療と臨床研究」では実際に患者からの問い合わせを受ける態勢が出来ている。

◆事態の推移に倫理感覚は追いつけるか

 臓器移植に批判的な宗教団体・大本教の「生命操作はどこまで許されるか」も再生医学については容認する。

 「その一つは“体細胞”の増殖によるもので、これは分化を終了した成熟細胞を増殖させて、人体組織の再構築をめざす医療である」「その二は、“幹細胞”の分化・増殖によるもので、高い増殖性と多分化能(多くの異なる種類の細胞に分化できる能力)をもつ幹細胞を分化させ増殖して、細胞、組織、臓器を再生させる方法である」「大本の立場からすれば、この第一、第二の方法は、ともに容認できると思われる」

 ところが、バイオテクノロジーの先端にいる研究者の見方は単純ではないのだ。

 「ミレニアム対談企画-先端バイオの先を読む」で、東大医科学研究所の勝木元也教授は再生医療にこう警告する。

 「筋肉細胞が血液細胞になるのなら、白血病の治療に使えるだろうというたぐいの議論があります」。まず「できた血液細胞が自然な血液細胞とほんとうに同じものだという保証はないということです。見かけと能力は血液細胞のように見えますが、実際に血液中でどんな振る舞いをするかわかりません」。次に「筋肉細胞が必ず血液細胞に変わるという保証がないことです。血液細胞になるのなら、同じ中胚葉の生殖細胞にならないとも限らないし、あるいは全然違うものになるかもしれません」

 かずさDNA研究所の大石道夫所長がこう応える。

 「核の可塑性を利用する医療は、一見、非常に有用そうだけれど、生物学的に見ればまだそんな段階には達していないということですね。私も、この意見に賛成です。この分野では技術の可能性が過大視されているように感じます」「再生医療に至る前の生物学的な問題を我々は何もクリアできていませんね。……再生医療が実現するまでの道のりは、見かけよりずっと長いと思いますね」

 また、昨年11月に「ヒトに関するクローン技術の規制に関する法律」 http://www.mext.go.jp/a_menu/shinkou/seimei/honbun.pdf が成立している。しかし、そこで述べられている禁止理由は、自明と言える明白さを持たない。並べて問題としている、動物かヒトか分からない交雑個体をつくり出すことが社会秩序を混乱に陥れることは理解されるが、ヒトと同じ遺伝子構造を持つ個体「クローン人間」がいけない理由は説得的に書かれていない。

 京大・倫理学の加藤尚武教授(現・鳥取環境大学長)が公表している「朝日のクローン論説(1月24日)はどこがダメか」は、新聞社の論説でもなぜクローン人間が悪いのか説こうとすると「進化の歴史に逆行することは社会的に許されない」という、おかしな説明しかできない問題点を指摘している。

 クローン人間に近い存在「万能の幹細胞」が最近、話題になっている。連載第99回「土建屋国家からバイオ立国へ転進を」で紹介したように、この2月「英バイオテクノロジー企業、PPLセラピューティックス社は、ある組織に完全に分化した細胞を未分化の幹細胞の状態に戻す新技術を応用し、牛の皮膚の細胞から心筋細胞をつくり出すことに初めて成功した」。万能の幹細胞を育てることが「胚性」つまり受精卵由来でなくても可能になりつつある。受精卵の乱用を許さねば暴走はすまいと考えられていたのに、その枠が外されようとしている。

 クローン技術を規制することも、小さな研究室で可能な技術である以上、実際には不可能だ。こうした細胞工学の進展に,社会の側は一歩も二歩も遅れたままである。近い将来に簡単な生命の「合成」まで進むと考えられるバイオテクノロジーの全容について相当な理解がなければ、規制を考えることすら無意味だと思える。

 再生医療は人の生命を救う「医療」だから、多少の無理には目をつむろうとの考え方もある。しかし、スポーツ選手の筋肉や骨を強化するのに使われたらどうだろうか。いや、医療として成功すれば、そうした「肉体改造」への転用が進まぬはずがない。学問としての生物学でも、生き物の存在としても、実に際どい局面に突き進みつつあるのだと思う。


 ※追補
 クローンやES細胞などの技術が生物学的には未解明な段階にある、との指摘を紹介しました。6月17日の報道は東大とハワイ大のグループが体細胞クローン動物に「『遺伝子』スイッチの混乱」があることを見つけたとしています。

 受精卵はひとつの細胞から体の種々の細胞に分化していく過程で、いろいろな遺伝子にスイッチが入ります。そうして初めて脳細胞だったり、生殖細胞だったりしていく訳です。例の「ドリー」をはじめ体細胞クローン動物は、一度分化した体細胞に特殊な処理をしてかつての万能性を取り戻させます。しかし、あるスイッチが入った状態は解消されていないのです。

 第72回「遺伝子を資源化するクローン技術」で「テロメア」が既に短かったことを紹介しましたが、生まれたクローンが若死にしやすかったりする理由には、こうしたスイッチの混乱の方が効くと考えられます。