第108回「ナノテクノロジーは新産業たるか」

 7月の完全失業率が過去最悪の5%台に乗った。政府の「改革」はなかなか立ち上がらず、現在のところ「体質改善」の先頭に立っているのは企業であり、東芝、日立製作所などから2万人規模の人員削減が打ち出された。こうした動きは大手の企業だけ集めても数十万人規模の削減になる。「改革」が進めばさらに多数の「人余り」が現実のものになる。雇用を満たす新産業を渇望する声が強く、遠い先の技術と思われたナノテクノロジーにまで期待が掛かりだしている。千分の1の「ミリ」、百万分の1の「マイクロ」に対して、「ナノ」とは十億分の1を表し、10ナノメートル、つまり1億分の1メートル前後にいまスポットが当たっている。

◆性急な産業界、相変わらずの文部科学省

 経団連が3月に出した意見書「ナノテクが創る未来社会 <n-Plan21>」は、5〜10年後の実現を目指す「フラグシップ型の研究開発テーマ」と10〜20年後を目指す「チャレンジ型の研究開発テーマ」を分けて設定し、特に前者では日本が欧米に比べて強みを持つ分野に重点投資するよう求めている。挙げられている項目は「次世代半導体技術」「テラビット級情報ストレージ技術」「ネットワークデバイス技術」の三つである。

 少し先の後者としては「ナノプロセス・マテリアル」「バイオナノシステム」「ナノデバイス」「ナノ計測」「ナノ加工」「ナノシミュレーション」の6テーマを掲げている。

 半導体は最小線幅が現在は180ナノメートルなのに、2010年頃には50ナノメートルにまで下がると見込まれる。その国際競争に遅れないことが第一ですよと、今直ぐにでも結果が欲しい思いが透けて見える。

 これだけではまずいと感じているのか、一方で、「総合科学技術会議において、ナノテクノロジーに現在、どの程度の予算が投入されているかを明らかにするとともに、目指すべき予算の総額のガイドラインの設定(例えば、科学技術関係経費の5%)をはじめ、重点投資分野やその研究体制の明示などナノテクノロジーの推進戦略を策定することが期待される」と述べ、「国として一元的にナノテクノロジーを推進すべき」とする。

 そんなことが出来る組織だったかいと、私は問いたくなる。

 こうなると米国のクリントン前大統領が2000年1月に出した「ナショナル・ナノテクノロジー・イニシアティブ(NNI)」を思い起こさずにいられない。三菱総研「Technology Today」の「ナノテクブームについて」はこれとの比較で、ブームの現状に警鐘を鳴らす。

 「クリントンのNNI文書では、『ナノテク』を物質をナノレベルで操作したり移動させたりする技術と規定し、長期的で基礎的なナノ科学とナノ工学であることを明示していた」「『長期的な研究への取り組みが必要な基礎的な科学分野・工学分野であること』がその基本に据えられている」

 「ブーム先行で期待だけが高まってしまうと、すぐには実用化という成果が出せないだけに、ブームが失望に変化し、却って当該分野の長期的で継続的な推進を阻害するようにならないか心配である」

 NNI文書は単なる指針ではない。前年より83%も多い5億ドルを研究プロジェクトに投じるとする、大型予算付き「米国ナノテクノロジー計画」なのだ。文部科学省が来年度予算概算要求を示したので、比較してみたい。  「ナノテク・材料」という括り方自体が気に入らないし、ナノテクの本質を分かっているのか不安になる。それは置くとしても、NNI文書が昨年はじめに出されたものであることを考えると、気合の入り方の差は歴然としている。

 多少は減らされても「原子力」は巨額だ。連載第98回「熱核融合炉の誘致見直しは今しか」で、建設費5000億円の国際熱核融合実験炉(ITER)誘致に血道を開けている愚かしさを書いた。概算要求の「原子力」も大きな部分は核融合である。核融合にはいろいろな方式が乱立し互いに批判しているのに、この分野の研究者は予算獲得になると一致して「核融合の必要性」を唱え、スクラムを組んで巨額の予算を確保し続けてきた。

 研究の評価することがもともと出来ず、学者の大合唱に弱い官僚任せにして大きく舵を切ることなど、そうそう出来ないことを、この一覧表は示していると思う。総合科学技術会議の構成を考えたら、過大な期待はできない。

◆原点に立ち戻って考えれば

 ではナノテクノロジーとは何なのか。今回、いろいろなドキュメントを読んでみて、大阪大学産業科学研究所・川合知二教授のフォーリン・プレスセンター講演「日本のナノテクノロジーの現状と展望」が最もすっと頭に入ってくると感じた。

 半導体のところで紹介したように、加工技術はミクロンの壁を突破、一桁下の100ナノメートルをも破ろうとしている。一方、わずか2ナノメートルの線でしかない遺伝子DNAを使って分子デバイスを作ることが可能になり、0.3ナノメートルの精度で思う分子を望みの場所にはめ込むことが出来るようになった。これを積み上げたマシンのようなものが考えられる。トップダウンの前者とボトムアップの後者、二つ流れからなる技術がもう少しで、10ナノメートル前後のところで融合しようとしている。

 川合教授はその動きを具体例で示しつつ解説している。

 しかし、その融合が本当に完成するには、WIRED NEWS「ナノテクノロジーは本当に万能薬か?」が紹介しているスタンフォード大学の生物物理学者、スティーブン・ブロック氏の指摘が、巨大な壁として存在する。

 「ブロック氏は、ナノテクノロジーに可能なことと不可能なことを冷静に評価した。ブロック氏の研究所は、レーザー光線をベースとした光学的トラップ、すなわち『光ピンセット』を使って単一分子の細かい動きを研究した草分け的存在だ」「『われわれには、うまく働く複雑な巨大分子の……設計方法がまったくわかっていない』とブロック氏」

 「そうした機械を操作したり、自分たちで開発したりする前に、『生物学者とナノテクノロジー学者は、天然の機械がどのように働いているか解明する必要がある』とブロック氏は語った」

 天然のナノ・マシン「生物」の解明こそ、ナノテクノロジーに必要なキーポイントなのだ。ところが、欧米に比べて生物学の研究態勢は貧弱を極める。ヒト・ゲノムの解読が終わった現在、生物の中で進行している微小過程すべてが解き明かされようとしている。それは薬品などにも応用されるが、同時にナノテクノロジーの起爆剤にもなる。

 これから互角に戦うには第99回「土建屋国家からバイオ立国へ転進を」で示したように、遠回りでも現在の貧弱な理学部生物学科を大増強するしか道は残されていないと考える。

 日本で発見されたナノテクノロジーとして有名なものにカーボンナノチュー ブがある。直径1〜数十ナノメートル、長さ1ミクロン程度。「カーボンナノチューブ製造技術開発の動向」に詳しいので見ていただきたい。

 カーボンナノチューブは水素吸蔵など様々な性質があり、純粋に工業的な分野でも使われよう。この7月には「世界で初めて『ナノテクノロジー』を採用したテニスラケット バボラ『VS NANOTUBE』シリーズ新発売」というニュースまで流れている。本格的な量産化へ企業が動いている。

 しかし、実用や身近な実利を追ってばかりでは、ナノテクノロジーの大局で大きな後れをとってしまいかねない。

 新エネルギー・産業技術総合開発機構が作成した「第1回ナノテクノロジー公開討論会(概要)」は産業界での予備アンケートの集計も示して、欧米との比較をしている。現在は日本も健闘しているが「将来においてはすべての産業分野で米国が最強と予測しており、米国の潜在技術力に対する危機感が感じられる」という。であるとすれば、なおさら逃げてはいられないはずだ。