第110回「コメ政策『抜本的見直し』を評す」
◆先の見通しがない兼業農家切り捨て
政策の本決定は11月の予定である。この見直し構想で一番の特徴は、いわゆる専業農家と兼業農家を初めて切り離そうとしている点だ。「65歳未満の農業従事60日以上の者がいる農家で、農業所得が農外所得より多い農家」を「主業農家」と定義し、ここに政策資源を集中しようとする姿勢が見える。
豊作、コメ余りによる価格低下をうけて稲作主業農家の所得は、平成7年と12年を比べると392万円から302万円へ23%も落ちた。第91回で紹介したようにその平成7年時点で世帯員1人当たりの家計費比較は、勤労世帯を「100」とすると、農業外の収入に主に依存している第2種兼業農家は「135.8」もあるのに、専業農家は「91.6」しかなかった。豊作〜価格低落〜減反強化のサイクルが繰り返され、専業農家窮乏化は明らかだった。収入は、それから5年、さらに減った。
コメ価格低下に対処するために「稲作経営安定対策」が作られている。生産者拠出分に政府が3倍上乗せした資金で、過去3年間の価格との差の8割を補填する仕組み。この受け取りが主業農家では62万円にもなり、家計を大きく助けている。しかし、副業的農家では農業外所得が大きくて補填金は6万円に止まる。補填金全体の収支は300億円ものマイナスになっていて、見直しでは、もう副業的農家までは助けきれないとの本音がにじんでいる。
もっとも、オリジナルの表現を引用するとこうなる。「真に稲作所得に依存し、米価低落の影響を大きく受けている農家の経営安定に資するとともに現在の脆弱な生産構造を改善する観点から、より有効な仕組みへ改組し、立ち遅れている稲作の構造改革を推進する」。だが、具体的には何も語られていない。
全中(全国農業協同組合中央会)は農家分断はたまらないと反対を明確にした。「21世紀に目指すべき水田農業に向けた構造改革対策の確立について」はこう言う。「稲作経営安定対策の副業農家の除外は、集落等を中心に全稲作農家で生産調整等に取り組んでいる稲作農業の実態から到底認められない」
また、「見直し」がコメ需要量や備蓄の削減に向かっていることにも「政府備蓄水準の150万トンから100万トンへの引き下げ、主食用需要量の930万トンから900〜905万トンへの見直しは、生産調整の規模をさらに拡大しかねないため、需給と価格の安定をはかる観点をふまえ、慎重に備蓄数量を設定することが必要」と反対の構えだ。
全国各地からも、いろいろな声が聞こえる。コメどころ新潟でも副業的農家が8割を占める。「その半分以上が減反に協力しているのに、見直し案は到底認められない」と農協幹部は憤る。秋田などからも「これでは現在の生産調整システムが崩壊する」との悲鳴が聞こえる。
JAグループが日本稲作の将来像を明確にしているのなら説得的だが、言われているのは「集落営農等を含めた多様な担い手を地域の水田農業の将来を支える担い手として明確化するなど、水田農業の構造改革が必要である」に過ぎない。私には何も言っていないに等しく思える。やはり専業農家に多くを託そうとする農水省の方が具体的に見える。
しかし、10年くらいの中期を考えれば、たちまち違ってくる。
強い専業農家を中心に稲作を再編成するためには、兼業農家の協力を得て水田の統合・再編に手を着けねばならない。現在の非効率的な水田配置で国際競争力など期待できない。先祖伝来の水田を守りたい一心で細々と続けている兼業農家に、大局を理解してもらい、所有権譲渡は無理としても使用権の設定に応じて貰わねば進めようがない。今回の一方的な切り捨ては、感情的な壁を今後に残す可能性が高い。もともと小規模な稲作をすることで損をしているのに、先祖への義務と趣味で農業をしている人たちだ。「それなら、もう稲作は止める。でも土地は守る」にならないかと危惧する。遠く半世紀も経過すれば、相続した子孫がドライに売り渡すことも考えられるが……。
◆市場は見直しの先に進んでいる
現在のシステムが行き詰まった原因のひとつは、政府が農協などを通じて掌握している計画流通米のシェアが51%にも低下したことにある。対する、いわゆる「計画外米」は農家から直接売られ、基金への拠出などがなく流通コストも安く、続く豊作の後始末にも関係しない。
「日本のコメ市場」の「自由米相場」は現在の市況を「異常な熱気、計画外米争奪戦」と題してこう描く。
「米卸、小売、外食など需要者は、高くて買えない自主流通米から計画外米へ、かつてない規模で大移動を始めている。農協など集荷業者もまた、集荷シェア防衛のため、なりふりかまわず計画外米の集荷に乗り出している」
市場がしていることは「コストがかさむだけの農協の集荷など不要ですよ」と言わんばかりだ。これに答えられずに改革はないだろう。
「見直し」は「流通に係る規制を大幅に見直し、制度の活性化を図るとともに、需給ひっ迫時における効果的な安定供給システムの確立を図る」と、それに応じる気配もある。しかし、JA側は相変わらずである。「計画外流通米の届出や業者登録など国による流通実態の把握の強化や、JAグループ自らによる計画流通米の販売の弾力化など、計画流通制度を改善する」と、統制時代の臭いが色濃い。
いろいろ起きている問題、それを緩和する万能の方法はコメ消費が拡大することだ。連載第21回「コメ作りの破局を見ないために」から繰り返し取り上げていることである。
農水省の本省ではないが、出先の近畿農政局が興味深い取り組みをしている。「近畿の食生活の在り方検討会」は、アトピー性皮膚炎や歯科など医療関係、栄養学、学校給食など、いろいろ
な分野の専門家を招いて、現代の食が抱える問題点を洗い出し、解決策は行き過ぎた欧風化を改め、和食中心の生活スタイルに立ち戻ることだと、方向を示している。
3回にわたるパネルディスカッションの概要は丁寧に収録されているので、関心がある方はお読みいただきたい。最終報告から一部引用するとこうである。「子どもたちの食生活について、”嗜好は10歳までに形成される”その時代に油脂の旨さを経験すると、薄味の和食が食べられなくなってしまう恐れがある。子どもの頃に何を食べるかが重要であり、親の責任、学校給食の責任は大きく、やはりごはんを中心とした和食の食べ方を幼い頃に身に付けておくことが重要である」
肥満や生活習慣病の増加を目の当たりにして、栄養の専門家たちも考え方を変え始めた。「だし」が利いた薄味の和食の良さを知っていれば、中高年になったら油脂ふんだんの食事はもう嫌と、和食に回帰することが出来る。しかし、現在の子どもたちは「だし」の美味しさを知らずに育っている可能性が高い。中高年になってもやっぱりハンバーガーでは、長寿国日本など本当にどこかに消し飛んでしまうだろう。
洋風のおかずも結構だが、和風のおかずと並立させて、ご飯を中心に食を再編成する――専門家たちの意見が変わり始めた今こそ、市場の先を行く「手」を打つべき時だと考える。この最終報告の趣旨を各地の学校、集まりなどで出前講義したところ、とても反響が大きく好意的に受け止められているそうだ。学校栄養士や母親たちも子どもの現状はおかしいと思っているのだ。
「見直し」が額面通りなら、これまでの経緯を一挙に反古にするようなものと言える。食器をのせていたテーブルをひっくり返して凄むような、やり口が通用するはずはなかろう。新しい知恵を働かせる時が来ている。農水省が米飯学校給食への補助を2000年度から打ち切ったのは、その意味であまりに惜しい。この役所がしていることは、やはり戦略的とは言い難い。