第21回「コメ作りの破局を見ないために」
この秋もコメの豊作が確実になっている。'93年の記録的な凶作で米騒動が起きたことが遠く感じられ始めているが、本当の悪夢はこれからやってくる。コメの年間消費量1,000万トンに対して、この秋の時点で4割近い余剰在庫を抱え込むことになる。同じ'93年末、ウルグアイ・ラウンド農業合意によって、「一粒も入れない」と言われていたコメの部分開放が実現し、当面は関税化を見送る代わりに輸入量の漸増が義務づけられた。来年にかけては60万トンが、売れようが売れまいが関係なく輸入される。'98年秋には、余剰在庫は消費量半年分の500万トンに達すると推定されている。コメの余剰は過去にも繰り返され、何兆円もの税金をつぎ込んで安い「えさ米」として処分した歴史がある。新食糧法の下で政府はコメの全量管理を放棄し、150万トン程度の備蓄分しか面倒を見ない。2000年には農業合意の見直し交渉があり関税化を迫られる可能性が高いのに、タイ米に比べ7〜8倍も高いコメを作り続けている稲作農家の体質を変える抜本策がとられた形跡は無い。待っているのは、国内のコメ生産を大半放棄する破局だけなのか。
◆新食糧法下のコメ余り
「お米の広場」が、生産・加工から文化・貿易までいろいろな知識を網羅している点で一番だろう。'95年末までの状況ならば「水陸稲収穫量の推移」にある。コメ需要は'65年ごろ1,400万トン近かったのに、今や1,000万トンにまで落ち込んでいる。この差の400万トンが減反によっていると考えられる。いま生産している水田の4割相当分が他の作物に転換しているか、休耕していることになる。
今年1月、高知県の橋本大二郎知事が、もう県として減反調整はしないとの趣旨の発言をして話題になった。地元高知新聞がフォローして取り組んだ企画「知事発言の波紋 (4) 新食糧法」にある「十一月に国がコメの生産指針を策定する。国は指針を県ごとの減反目標に数値化して各県に通知。各県はこの減反目標を市町村別に割り当て、市町村は農家に割り当てる」「推進に向けて国は幾つかの誘導措置を作っている。生産調整を達成しないと▽政府米として買い入れない▽自主流通米で出す場合にも計画流通助成金は出さない――など。逆に達成すれば生産調整助成金を出す」というのが、以前の通達方式とは違う新食糧法下の減反のあり方だ。詳しくは予防法務ジャーナルの「半世紀にわたる食管法の廃止と新食糧法の制定」が、ヤミ米など歴史的な経緯から法的な問題まで整理されていて読みやすいので、参照されるとよい。
知事の意向とは裏腹に高知県でも市町村レベルは動いて、ほぼ100%減反割り当てを達成した。それでも起きたコメ余りで、大阪であった新米入札は大幅に安くなった。米どころの東北・北陸地方の農協の経済連は農家への仮渡し金を前年比で軒並み10%程度下げた。新潟の高級コシヒカリの中には、25%もの下げ幅になった銘柄もある。備蓄用に買い上げられる際の値段、政府の生産者米価よりも安くなった銘柄米が続出しているという。私の身近なスーパーでも福井県の同一銘柄が、8月に買った前年米の値段より、折り込みチラシに出ている新米の値段が安い、常識はずれが起きている。
引っ張りだこだった超高級銘柄、魚沼コシヒカリの前年産が春先から売れ行きが落ち、数%は初めて古米になるとのニュースを夏場に聞いた。市場は早くから流れを読んでいたわけだ。余剰の前年米は、政府備蓄米以外のものは農協の手にあるものが多いはずで、新米がこれほど値下がりしたのだから古米として売るには相当の損失を覚悟しなければならないだろう。10%の値引きで売るなら600億円程度、値引き幅は拡大する恐れ大であり保管諸経費まで入れると1,000億円に達しかねない膨大な損失である。
◆生き残る道はそう多くはない
組織としての農協の損失もさることながら、この秋の値下がりは、今後のコメ作りを背負っていくべき専業農家に痛手となる。たとえば5ヘクタール規模の農家なら100万円の減収が見込まれるからだ。一方で、農業を主な生業としない兼業農家にとっては、さしたることはないかもしれない。
京都産業大国土利用開発研究所の「コメ市場の部分開放と日本農業の変革」は言う。「見過ごしてはならないことは、全農家の76%を占める第2種兼業農家の多くが、現在、経済的視点でコメ作りをしていないということである。稲の作付け面積が1ヘクタールに満たないにもかわらず、田植え機、トラクター、コンバインなど1000万円近い農機具を所有している兼業農家は、決して珍しい存在ではない。このような農家では、コメ販売代金のほとんどが農機具の減価償却費に費やされてしまっていることになる。減価償却費が実際には目に見えないものだから、実感がないだけである。したがって、採算が合っていようはずはないのである。このような農家は、もはや経済性を考えて米を作っているのではなく、他の理由、農地という資産の維持や、自家で消費するうまくて安全な、すなわち高品質のコメの生産などのために稲作を行なっているのである。いわば趣味の域にあるといってもよい。生活費は兼業部門で稼ぎ、しかも剰余で稲作という趣味を楽しむ。趣味はお金のかかるもの。稲作などは大きな実益がある安上がりの趣味だともいえる。このような感覚の農家にとって、コメの価格が少しぐらい下がることは、いまさら大した問題ではない」。私も同感だ。
このような農家の労働力の実態を知るために、「平成8年度農業白書のポイント」を見よう。「IV 農業構造、農村社会の変貌とその展開方向」の「1 農業構造の変化と担い手の動向」には「昭和35年の農業就業人口は、55〜59歳層とその子供である昭和一けた世代の二つのピークがあったが、その後、唯一のピークとなった昭和一けた世代も平成7年に60歳を超え、平均年齢は35年の44歳が7年には60歳となる」と、驚くべきことがさらっと書いてある。グラフ「農業就業人口の人口曲線からみた高齢化の進行(男性)」からは労働力のピークをなしているのは60歳代後半であることが知れる。こうした年齢構成と「趣味」の兼業農家との間で、専業農家は経済合理的なコメ作りを望んだとしても、体質改善は遅々として進まない。コメが安くなることで、小規模農家があきらめて農地が大規模農家に集まるシナリオになっていない。それでも兼業農家はコメを作り続け、高齢で無理となっても、親譲りの水田は自分の土地として確保したい。
経団連はこの9月に「農業基本法の見直しに関する提言」を出した。ウルグアイ・ラウンド対策として、2000年までの6年間に国、地方併せて7兆2000億円もの予算を付けながら、何ほどの成果も得ていないことに、経済界もいらだっている。「第III章 農政に係る制度改革の具体的な方向」で「ウルグアイ・ラウンド関連農業農村整備緊急特別対策費についても、ウルグアイ・ラウンド農業合意による新たな国際環境に対応しうる農業・農村を構築するという目標に対して、必要かつ効果的な対策が実施されてきたどうかについては様々な指摘がある」と述べ、多様な担い手の育成として農業生産法人制度の充実を挙げ、株式会社形態の導入を主張する。「株式会社形態の導入は、決して家族経営を否定するものではなく、あくまで家族経営や有限会社等による農業経営と共存する選択肢の一つとして考えるべきである。株式会社形態の利点として、前述の法人化のメリットに加えて、何よりもまず、広く外部から資金を調達できるという点がある。この資金調達力を基にして、リスク回避能力や情報収集力、分業体制の強化が図られ、さらに多様な流通・物流システムの活用などが期待できる」と言う。
経済団体のもうひとつの雄、経済同友会の意見はもっとすっきりしている。「21世紀に向けて日本農業が進むべき方向 −産業としてのコメ農業のあり方−」は、国際競争力をもつ産業とするために大規模経営しかないと考える。「現在、全国で水田は271万ヘクタール(94年)あるが、大規模農家による効率経営を行なえば、100万ヘクタールの水田で必要量のコメが生産可能となる。そして、大規模化のメリットにより、玄米60キログラムあたりの生産コストを大幅に減少することができる。コスト低減の具体策としては、(1)圃場の拡大、作業の共同化による生産性の向上、(2)土壌の改良、(3)機械、肥料、農薬のコスト削減、(4)借地料、金利の減少がある。一方で、将来にわたり農業従事者を確保していくためには、農家の所得の向上が求められ、複合経営の拡大など生涯所得で2億4〜5,000万円程度を実現するための施策が必要である」。集約された水田20ヘクタールから、年間120トンのコメを生産する経営主体を、全国に「50,000」つくり出すイメージが描かれる。地形など条件が悪くて大規模経営の無理な中山間地の稲作については、政府備蓄米として買い上げる方向を示す。生産コストはタイまで下げられなくても、米国などとは競える図式だ。
この前提になる水田の大規模集約、土地を売却できないなら貸借でよいから意欲のある専業農家の手に集めて、広い水田に造り替えることこそウルグアイ・ラウンド対策のはずだが、私の知る限り、部分的にはともかく目立った進展はない。集約化は、コメ作りに従事する人口を一桁落とす意味を持つはずで、農協を中心にした農村構造そのもの、政治で言えば集票構造そのものを侵すはずだからだ。ちなみに「農業生産法人制度について」によると、採草放牧地を含む全国耕地に占める農業生産法人の経営耕地面積のシェアは'95年で2.2%だ。米麦作の法人は「921」しかない。
◆コメ消費回復への望み
配給という制度は、それに携わっている人たちに頭を使わせなくする。いまだに配給制度を続けている邦画映画館が現代の好例だ。経営者は大手映画配給会社任せで、自分で経営判断する余地は全くない。それがどういう結果を招いたかは、この連載19回目に見た。コメの世界の配給は比較的早く終わったが、流通ルートは配給時代の商権が残り、米屋さんの新規立地規制もあって、頭を使わないで済む商売が長く続いた。それが終わり、コメ離れが進んでいるのに、農家から流通までコメの業界はほとんど有効な手を打てない。
仕事で歩き回って少しお腹に入れたいとき、コンビニエンスストアでおにぎりとアンパンを見たとする。おにぎりが120円でアンパンが80円なら、それも2個食べたい人ならどうするか。これほど高いコメにしてしまったのが間違いの始まりだ。「JAグループが実施する全国米消費拡大緊急運動について」に書かれているスローガン「日本のお米が、もう食べられない!そんな時代が来ないように」で、末端の消費行動が変わるだろうか。
もっと大きな問題はコメの商品としての不完全さだ。前に食べたあの美味しさのお米を、と思って同じ銘柄を買ってもひどくまずかったりする。最高級魚沼コシヒカリならどうか。これも格差がひどい。魚沼地方であっても水田の場所によって地味は随分違うからだし、「魚沼」と称して他のコシヒカリが混ぜ込まれていると公然とささやかれている。卸で魚沼が引っ張りだこだったのは、多少とも販売実績を出していない所が多量の「魚沼」を扱えないからだと、解説してくれた人がいる。現代の商品として通用するはずがない。
ちょっと古くなるが、資料としての価値が高いので、'92年末に鳥取大農学部主催で開かれた世界各国産コシヒカリの食べ比べ結果を紹介する。最初の数字ふたつは味の機械計測値、右端の価格は参加した農業関係者が試食して付けた値段だ。
米騒動のとき経験したタイ米のまずさから、貿易を自由化しても大したことはないと見る人もいるが、私はそうは考えない。クリントン大統領の出身地アーカンソーは、水資源が限られているカリフォルニアより手強い相手になるし、オーストラリア産のコメも味は良くなっていると聞く。ただし、各国ともコシヒカリはこの時点では特殊な品種なので産地価格は高い。
もうひとつ注目してほしいのは、機械による味の計測値だ。従来からコメをつぶして化学分析する手法はあった。「S社製食味値」がそれにあたる。この方法による測定値はタイ産とフィリピン産で試食による価格評価と逆転している。一方、「東洋精米機製味度値」は全てに価格評価と見事な相関を示している。(注:東洋精米機の現在のホームページでは以下に取り上げた資料は公開していない)
美味しそうなご飯の粒はつやつやと光っている。新しい測定法は、その光沢をつくる部分を「保水膜」と見極めてできた。「飯粒のおいしさの部分はどこか」はその保水膜を洗い流す実験をし「あれだけ明確に味の差があったコシヒカリと北海道産米とが、飯粒表面の僅かな物質を除去しただけで、双方共に極端に味が悪くなり、結果的に双方に味の差がなくなってしまうと云うことは、飯のうまさは飯粒の表面部分の物質にあり、それが多い程、美味な飯であり、少ない程、まずい飯であると云うことになる。そうなると如何に美味な飯でも、まずい飯でも、飯粒の中身の部分、即ち飯粒の表面部分を除いた本体部分は味に差がないのである」と説く。飯粒の状態が写真で見比べられるので参照してほしい。
具体的な機械と測定法は「MA-30SYSTEM高信頼性・食味実測システム」に出ている。「お米の測定の場合も、米粒表面を十分にご飯の状態にするサンプル炊飯を行なってから測定します。測定原理はシンプルで『ご飯にある種の電磁波を照射すると、保水膜だけに反応し、この反応量は保水膜の量に比例する』という事で、その反応量を特殊なセンサーで測定しています」。
この研究と私が出会ったのは、連載8回目で取り上げた京大が生体肝移植を精力的に始めようとした時期だった。医学部倫理委員会の委員長が衛生学の教授で栄養分野にも強かった。記者会見を待つ間、教室の廊下に張られた学会のポスターを見て回っていて、ローカルな学会の演題のひとつがとても気になった。それがこの仕事だった。ご飯の美味しさについて、その後、他の研究者も取り組み、もう少し進展した。炊いている間に膨張した米粒の表面が割れて内部の物質が表面を覆うようになり、表面の保水膜の形成には、米粒表面が微細な網目構造になっているコメが好ましいらしい。化学分析しただけで味が確定できない訳だった。
しかし、測定で点数が付けられても、家庭で点数通りの味が実現できるとは限らないのが、コメの厄介なところ。つまり「コメをとぐ」作業の良否で味は変化してしまう。下手なとぎ方をして米ぬかを残した場合、何が起きるか。米ぬかは炊かれるとノリ状に膨張して釜の中の水分を吸収し、米粒が保水膜をつくるために必要な水分を奪ってしまう。素質としてどんな美味なコシヒカリでも、この状況下では美味しい飯粒になれない。東洋精米機は、米ぬかを米ぬかで吸着して米粒からはがしてしまう、とてもユニークな精米方法で、とがなくても炊けるおコメ「無洗米」を作りだしている。そのまま水をいれるだけで炊けるが、私は一度は水を捨てて、水を張り直すことにしている。こうして味を数値表示したコメが商品として売られ、その味を家庭で確実に再現できるシステムが出来上がったのは、コメと消費者とを再び結びつける特筆ものの技術革新だと思う。これでコメ全体の値段を下げ、意味のない銘柄でなく味の実測値に見合った合理的な値付けをすれば、いいのだ。そんなに手間を掛けずに、確実に美味しいご飯が食べられるのなら、洋食志向だろうとご飯にも出番はある。
ところで、コメをとぐのには結構力が要る。最近の女性が苦手なのは、私は毎日、自分でコメをとぐからよく分かる。今回、インターネットでとぎ方について検索してみて、あちこちに同じような不思議なとぎ方が紹介されていた。食糧庁の「ご飯のおいしい炊き方」に、「まずはきれいな水をワッと入れ、2〜3回手早くかきまわして、10秒ぐらいで捨てます。2回目も同様に手早くかきまわして捨てます。この繰り返しを水が澄むまで続けてください(米3カップ程度の場合2〜3分)。あくまでも手早くが、おいしく炊きあげるコツなのです。昔は、力をこめて米をすり合わせましたが、精米技術が進んだ今では、それほど力を入れて洗う必要はありません」とある。資料提供は全国農業協同組合中央会(JA全中)だという。ここが情報発信源らしい。
これで美味しいご飯には、私はならないと思う。3カップもの普通精米のコメを、この方法で洗っても米ぬかは十分には落ちない。ちょっと思案したあげく、こんな結論に達した。全中も食糧庁も稲作の専門家かもしれないが、コメの専門家ではないのだ。