団藤保晴の
「インターネットで読み解く!」

第129回「再論・津波アクセスの社会的意味」 (2003/01/09)

 ネット上に日々、津波アクセスが発生と指摘した前回には、いろいろな方面から反響があったが、実は話を複雑にし過ぎる恐れがあって重要な論点が置き去りになっていた。個人的行為と思われているニュースサイトの営みが、既に社会的に意味を持っているのだ。年が明けて、材料が出揃った。津波アクセスの話題を書くきっかけとなった第127回「音楽産業は自滅の道を転がる」が検索サイトでどのように扱われているか、見ていただくことから始めよう。なお、前回の第128回「ニュースサイトが生む津波アクセス」もやはり半月間に2万人ほどのアクセスを得た。どこからリンクされたのか興味がある方が多いらしいので、第127、128回併せた「リンク元と件数一覧」を別途、用意した。


◆ネット上から市民社会を照らす

 「音楽産業」をキーワードにして1月4日現在で主な検索サイトを調べた。まず、いま最も使われていると衆目が一致する「Google」での結果は「音楽産業は自滅の道を転がる」が8,330件中の1位。「Lycos」で112,742件中1位、「goo最新検索実験」でも1,896ページ中の1位だった。他の多くのサイトでは、まだデータベースに組み入れられていないようである。

 Googleがキーワード検索の結果で重要度順を決めるのに、リンク関係の多寡を利用していることが知られている。初期に行っていた単純なリンク数集計から進んで、いろいろな所からリンクが多いウェブを、Googleは一般ウェブから一段格上とし、そこからのリンクされた先も重要度上位に挙げる仕組みにしているようだ。他サイトもこれに習った独自な仕掛けを考案している。

 検索結果がGoogleでベスト10に入るキーワードが、私の連載には「学力低下」以下かなり多い。とは言え、「音楽産業」という全く新しいキーワードで、いきなりトップに立つために、リンク元200カ所以上の「津波アクセス」現象が疑いもなく強力に作用している。

 こうした「リンク」を利用した重要度の判定は、インターネット検索という特殊な場面でしか意味がないのだろうか。一般の人でも、ものを調べようとしたら、図書館に出向くよりインターネットで調べることが多くなった現在、検索はネット上の「遊び」ではなくなった。検索サイトは商売であり、利用件数増を図るため、利用者の重要度感覚と一致するようランク付けの仕組みに磨きを掛けている。津波アクセスの影響は、短期集中的に読ませるだけでなく、長期的にも強く発揮される。

 読者の皆さんは私の連載の中、第25回「インターネット検索とこのコラム」などで次のような描写を読まれたことがあろう。

 新聞などのマスメディアがかって社会全体をふんわりと覆っていた「知の膜」は、高度成長期以降の専門分化や社会矛盾拡大によって生まれた「知のピーク」群に突き破られている。知のピークを担っているのは特定の事柄に詳しい個人であり、メディア報道への不満を募らせ、ピークの数は増すばかり。

 知のピークは、現在ではウェブのコンテンツとして続々とネット上に登場している。市民社会の内にある限りは、何か詳しい人がいると認識できても、その人が持つピークの高さは分からない。インターネット検索の対象となるサイバー空間まで来れば、共感の多さ少なさとして自動集計される時が来た。

 個人ニュースサイトのリンク付け行動が、知のピークの「高さ」ランク付けに貢献しているのだ。これは決して偶然ではない。個人ニュースサイトの多数出現も、「知のピーク」群が林立してメディアの「知の膜」を突き破る状況が背景になって生まれたのだから。ネット上からスポットライトを投射し、市民社会を照らす機能を、意図せずして持った。それがニュースサイト群と津波アクセスの社会的意味である。


◆マスメディア報道に開く大穴

 新聞の作り方を内側から見ていると、全てに約束事の踏襲で進んでいる。その最末端には「読者との約束」が存在し、新聞を開いたとき、どの面にはどんなニュースがあり、相応の大きさ、見出しの派手さも決まっている。そこから逆算して、編集する整理部門に渡す出稿部門の原稿に盛る中身も決まる。記事を書く記者側も前任者から引き継いだ約束に従って仕事をこなし、デスクに原稿を出すトレーニングを受けている。1面からの総合面や裏側から開く社会面などは、がんじがらめ状態だ。新聞の真ん中あたりでは新しい面が作られ、新しいニーズに対応しようとするが、何がニュースかまで刷り込まれていて、それを対自的に捉え直せない状況では必ずしも効果的でない。

 メディア関係者による放談「情報の三遊間がスコーンと抜けている」は、良かった過去に縛られ引きずられて、報道すべき中身に大穴が開いている現状を皮肉っている。

 「10年前、20年前と比べてどうですか」「明らかにヒドイ。IT社会になったけどITが分からない。相変わらず『俺は政治の専門家だ』って威張っている。だけど世の中って全部リンクしてるはずだろ」

 「じゃあ、メディアが以前より駄目になったのではなくて、世の中の動きについていけてないと」「だって、新聞社の部が増えたって話、聞いたことがある? 政治部、経済部、社会部…。みんな三遊間、抜けているだろ」

 前回「ニュースサイトが生む津波アクセス」は個人ニュースサイトを持ち上げるだけでなく、ちょっと辛口に展開したから反発を含めて多彩な反応が予想できた。ニュースサイトのリンク元でどんなコメントが書かれているか、出来るだけ多く読ませていただいた。すべて取り上げる余裕はないし、私の主張に異議ありとした方も、ここに描いてきた、ネットと市民社会とメディアの構図を読まれたら、見方が変わるだろう。

 敢えて言えば、自分の感性だけ信じてもらっても困る。メディア批判できているから自分はメディアを超えていると思う――それだけなら、トレーニングしてきたメディアの記者だって、対・体制に対して同じレベルだ。自分は誰で、どこにいるのか、知っていただきたい。それには「何事も比べなければ分からない」という、最も単純な弁証法の応用が効く。

 その意味で、ひとつだけ代表になってもらうコメントを紹介する。

 「メディアを手にした大衆の欲求と、その問題点をまとめた文章で、インターネットへの接し方のちょっとした啓蒙になっている。ただ、残念ながらオープンソース・ジャーナリズムはご存じないようで、わたしにはちょっと物足りなかった。/.Jは知らなくてもいいけれども」――個人ニュースサイトではなく、それなりの組織で運営されている「スラッシュドット・ジャパン」の「yourCatの日記」からである。

 スラッシュドットは存じ上げている。昨年、スラッシュドットが取り上げて有名になった、ある大学での事件を、新聞記事にしようと取材もしたのに果たせなかった。もちろんニュースソースはスラッシュドットではないが、新聞記事のありようについて改めて考える機会になり、ときどき訪問している。今回の文脈上で言わせていただくと、あれだけのスタッフが揃いながら、守備範囲があまりに狭いのではないか。世評に言うほどハイテクおたくの集まりとは思わないが、看板「アレゲ」にこだわり過ぎ、「三遊間放談」の喩えを延長するなら、メディアが捉えられずに抜ける三遊間ヒットの三塁手寄りばかり拾っている印象がある。

 個人ニュースサイトには得手不得手があるのは当然である。それでも傍目で評価して格付けする動きがあって「精進します」と表明する書き込みをいくつも見た。スラッシュドットほど知恵とセンスのある皆さんがエネルギーを投入するのなら、一塁線、三塁線の長打コースも既成メディアにない切り口でさばいて見せてこそ、みんなが見えている所で料理が進む「オープンソース・ジャーナリズム」を標榜する意味が生じよう。



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