第130回「もんじゅ判決は安全審査を弾劾した」

 1月末に名古屋高裁金沢支部であった高速増殖原型炉「もんじゅ」(出力28万キロワット)の設置許可処分無効訴訟の控訴審判決は、日本の裁判史上で初めて原発に反対する住民の請求を認めた。敗れた政府は最高裁に上告の手続きを採った。裁判の勝ち負けもさることながら、判決が安全審査の在り方そのものを「誠に無責任で、審査の放棄と言っても過言ではない」と痛烈に弾劾した事実が、今後、重くのしかかる。批判された国の原子力安全委員会は裁判結果への技術的反論をまとめる方針を決めたが、裁判の進行にこれまでほとんど関心を払ってこなかった一事を見ても、委員が自分の頭を使って考える自立性を欠いていたと認めたに等しい。旧・動燃の技術レベルも内部情報を知れば疑義がある。朝日新聞の特集【もんじゅ設置無効判決】が一連の動き、資料を参照するのに便利だ。


◆普通人の理解から遠い安全審査

 もんじゅ訴訟の歴史は長い。原告適格を認めるかどうかで、まず最高裁まで持ち込まれ、1992年にようやく福井地裁で一審が始められた。94年にもんじゅが初臨界、翌95年にはナトリウム漏れによる火災事故を起こして原子炉停止。動燃(現・核燃料サイクル開発機構)による事故の再現実験で鋼板製床ライナーに穴が開き、ナトリウムとコンクリートの爆発的反応が現実になる恐れがはっきりしたにもかかわらず、2000年に福井地裁が行政、民事訴訟ともに原告の訴えを棄却している。この連載第24回「高速増殖炉の旗は降ろすべくして」などで経緯を読んで欲しい。

 一審敗訴の前に書かれた「『もんじゅ』訴訟事実上の結審」は「確かに他の原発訴訟とは違って裁判所に勝訴判決を出しやすい条件が整っています。『これで勝てなきゃどこで勝つんだ』と海渡弁護士がいうとおりなのです」と、住民の思いを語っている。それでも敗れた一審と控訴審の差は、裁判に新しく持ち込まれた「進行協議」だったと言われる。

 検察官と弁護人がやり合う刑事事件と違い、通常の審理は準備書面と呼ばれる分厚い主張資料の提出で進み、傍聴していてもあまり面白くない。技術的問題で素人の裁判官には理解が難しいとしても、ともかく主張すべき論点は全部、書面で出すのが鉄則。逆に裁判官側は「ここをこう主張すれば原告の勝ちなのに」と思ったとしても、誘導するような言葉は口に出せない。

 しかし、98年に民事訴訟規則に盛り込まれた「進行協議」を、この訴訟に導入した結果、書面審理とは別に原告、被告、裁判官が月に1回ペースで集まり、資料を説明しあい、疑問をぶつけることが可能になった。朝日新聞1月30日付「緊急報告・もんじゅショック・中」で、住民側の説明者として参加し、この訴訟に心血を注いできた核化学者で元阪大講師、久米三四郎さんが「裁判官がわからない点をどんどん質問して高速増殖炉への理解を深めていった」とコメントしている。

 判決を書くのに、読んでもよく解らない膨大な技術的説明を前に悩むとしたら、無難な国の主張を採用して済ませたくなる裁判官の気持ちはよく分かる。今回、普通の知性を持った人が、合計17回の進行協議で双方からじっくりと説明を受け「国の言っていることはおかしい」と認定した点が、従来になく画期的なところだ。

 国が敗れた論点はいくつもあるが、やはり最大のものはナトリウム漏れによる影響であろう。国はどう考えたか。事故からなんと5年も経て、原子力安全委員会安全審査指針集にある「高速増殖炉の安全性の評価の考え方」には「平成12年10月12日原子力安全委員会決定」として「解説」が追加されている。

 「もんじゅにおける2次冷却材漏えい事故に関する調査審議の過程において、空気雰囲気下でナトリウムが漏えいした場合、鉄、ナトリウム及び酸素が関与する界面反応による腐食が原子炉施設の構造材料の健全性に影響を与える可能性があることが認識された」「液体金属冷却高速増殖炉(LMFBR)の安全設計及び安全評価の基本的な考え方に影響を及ぼすものではなく、空気雰囲気下でのナトリウム漏えいによる火災については、従来の安全審査においても審査を行っているところであるが」念のために、という感じで素っ気ない。

 これに対し「もんじゅ行政訴訟控訴審判決・要旨」は「高温のナトリウムと鉄の腐食機構の知見を、本件申請者及び本件安全審査に携わった関係者が本件ナトリウム漏洩事故が発生するまで有していなかったことは、被控訴人の自認するところである」「ナトリウムが漏洩した場合の床ライナーの温度は、本件申請者が想定していた温度よりもはるかに高いものであり、本件申請者が設定した設計温度と比較しても、これを200度以上も上回るものであった。これを看過した本件安全審査は、その評価、判断に過誤・欠落があったことは明らかである」と具体的に指摘、自信に満ちている。

 原子力安全委員会による裁判結果への技術的反論がどんな説得的なものになるのか、見物である。


◆手続きの公正さ、技術レベルへ疑念

 各種の安全審査なり、定検での監督なりが、従来から国が言っているほど、きちんと行われていたのだろうか。最近の東電不正事件まで、繰り返される事故や不祥事の中で、疑念が深まっている。

 その典型を死者まで出したJCO臨界事故に見る。京大原子炉実験所で行われている原子力安全問題ゼミ第89回で、藤野聡さんが「もうひとつの連鎖反応−臨界事故への歯車はいかに回転したか」と題して講演した。

 その中で「転換試験棟の安全審査に問題があったことは知られていたが、JCO 刑事裁判の過程で、動力炉・核燃料開発事業団からの出向者が転換試験棟の安全審査の事務局をつとめ、のちに事故の原因となる要素を作り上げていたことが判明した。最終的に事故に至る『ボタンの掛け違え』はここに大きく端を発している」と問題提起している。

 今となって臨界事故を振り返れば、あのような高濃度のウラン溶液を扱う施設に臨界が起こせる形状の容器を設置したことが最大の誤りである。臨界が起きえない、いわゆる「形状管理」さえしていれば事故は存在しなかった。ところが、JCOへの発注者である動燃から当時の科学技術庁へ出向した人物が、事故があった転換試験棟をJCO側が意図した以上の「加工事業許可」まで取得するように勧め、手短に済ませるために安全審査にも手抜きがあった可能性が示されている。動燃の将来の発注内容に対応できさえすればよく、臨界防止の基本原則さえ顧みなかったのではないか。

 この連載がINTERNET WATCH上だった第9回「2つの動燃事故に見る目標喪失」で、折れてナトリウムが漏れた温度計さや管の設計不備を書いて以来、原子力安全行政について過去の取材経験で持った以上の、様々なチャンネルから情報をいただいた。監督する旧・科学技術庁にも「人」はおらず、借りてくる「専門家」もいい加減――情報の方向はそう示している。

 「米国機械学会の基準は滑らかな形状をした管について作られていたのに、もんじゅのさや管は太い管の先に細い管を付けた段付き構造だった。こういった不連続な構造が要注意なのは、大学で材料力学を学んだ学生なら誰でも知っている。しかし、動燃の担当者は設計に異を唱えなかった」

 この、技術的にあり得ないことが起きる旧・動燃の技術レベルの危うさを、動燃内部にいる読者からの情報で理解できるようになった。

 「こんな物が欲しいな、出来たらいいな、というとき、人は意識するしないに関わらず▼概念設計▼基本設計▼詳細設計▼製作(施工)設計――を行います」「ふつーの技術屋がいる民間会社などは試作品などを除き、設計を自分の物とした上で発注します。では、サイクル機構はどうか?政府の研究機関であり技術屋もいっぱいいる。で、実態は・・・概念設計から外部に委託します」 「『こんなものまで委託に出して,うち(サイクル機構)は何を研究するんだ!!』と怒った某プロパーのエライ人。知らなかったの?普通の人が見たら驚くようなものまで委託に出してます。完全な手抜き。解りやすく言うと、宿題を金払って他人にやってもらうようなもの」

 「さらに驚きなのが多くの契約は”詳細設計込みで製作の契約”がなされること」

 核燃料サイクル開発機構の一般仕様書には、こう記載があるという。

 「▼○○に適用すべき関係法令を示しているが、受注者は自己の責任において全ての内容を検討し遺漏の無いようにすること。▼受注者はすべての資料を詳細に検討し、技術上および書類上の矛盾、誤り、不明瞭、欠陥等があった場合は直ちに機構に通知し、承認を得て訂正すること。▼受注者は,受注者の責任において技術的または経済的理由より機構に設計の変更を申し出ることが出来る。この場合、事前に書面にて理由、検討結果等の資料を添えて機構の承認を得ること。ただし、承認後といえどもすべての責任は受注者にあるものとする」

 「何回読んでも丸投げにしか取れないんですけど(笑)」「折れた段付さや管の温度計設計に異を示さなかった、または、示せなかったのが解るような」と評している「読者」は、ある幹部職員と、以下のやりとりをしたそうだ。

 「ちゃんと設計した上で、発注すべきだ!」
 「そんな設計できない。」
 「ならば,外部に出して設計し詳細設計を機構の所有として、あらためて発注できるでしょ!」
 「機構の設計としてもし何か有った場合、責任が持てないからダメだ!!」

 今回の判決を受けて、安全審査の関係者から「我々は膨大な計算をして確認しているのに」と、残念がる声があがった。枝葉末節まで他人におんぶする旧・動燃に比べれば一見、真っ当な反応だが、安全審査に本当に期待されているのは計算ではなく、その申請内容で、例えば起き得る事故事象を尽くしているのか、見落としはないのか担保してくれる「目」なのだ。逆に、計算など委託に出していただいて結構。安全審査をする側も受ける側も、自分のするべきことを随分、間違えていると申し上げたい。