口に出来ぬほどの技術的愚劣、もんじゅ再開 [BM時評]

 1995年、ナトリウム漏れ事故から停止したままの高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)が3月中にも運転再開になる見通しとなりました。読売新聞の「もんじゅ再開 安全重視で事故再発を防げ」ほか、各メディアの論調を見ていると、安全確保に疑問を抱きつつも原子力安全委員会のお墨付きなどにもたれかかっています。「運転再開がこれだけ遅れたのは、事故そのものの重大性に加え、現場を撮影したビデオの核心部分の存在を隠すなど、事故後の対応に問題があったからだ」とするあたりで再開問題の本質が見えていないと告白しています。

 もんじゅを運営する日本原子力研究開発機構に統合、吸収された元日本原子力研究所労働組合委員長の告発があります。《原発「もんじゅ」、関係者の苦言》(さとう正雄 福井県政に喝!)は「基盤とすべき技術水準が低い。すべてが業者まかせになってしまい、技術の要をおさえることができない」「旧サイクル機構では、隣の人の仕事がおかしいと思っても、間違いを指摘したり議論したりする雰囲気がない」「ねじを締めたり、施設の腐食を管理したりを確実にできることなどの常識的センスを持つことなしに『世界の先端』といっても砂上の楼閣」と喝破します。

 私のサイトも「もんじゅ」の技術的愚劣について多くを指摘してきました。「既視感ばりばり、もんじゅ低技術の恐怖」は燃えやすいナトリウム漏れを検出する電極が設計よりも13.5ミリも長く作られて、10ミリの隙間で足りずに無理矢理押し込まれていた事実を取り上げています。第187回「信頼性無し、もんじゅ運転再開は愚の骨頂」は内部証言をもとに、機構が一貫して自ら設計せず、パーツごとに脈絡無く下請け業者に丸投げしてきた結果、全体をつかんで目を光らせる技術者がいないと指摘しました。

 そして、15年の空白があって、各パーツを発注しただけの技術者すら退職してしまいました。安全確保のために点検すると言って、実は何をしたら善いのか、現場がどのようになっていれば正解であり、安全なのか判然としない技術陣が、巨大で危険な高速増殖炉をこれから動かすのです。例えばナトリウム漏れ検出電極の異常は誤警報続出の結果、判明したのであり、多数の施工ミスがあることは、その際の点検結果で表面化しました。自主的な安全点検で調べ得たものではないのです。どれほどのミスが隠れているのか想像を絶します。

 「青森・福井の核燃サイトで初歩的ミス連発」では「日本原子力研究開発機構は配線を洗いざらい調べ直した方がよいと思えます。原発内の配線は本当に複雑で、運転する側の『つもり』と違う配線になっているようなら有事には悲惨です。前回も今回も、なぜか電源が切れてしまう――のでは危なくて見ていられません」と書きました。高速増殖炉の経済性とか高尚な議論をする以前の、技術的愚劣の山盛りが「もんじゅ」なのです。故障・異常の山を築くための運転再開など見たくありません。高出力の運転に移っていて無事に止められるのか、技術陣が欠陥の予想も出来ていない以上、予想外の方向に転がっていく可能性があり、安全の保証はないのです。