第300回「福島事故責任は誰にあるか、判明事実から究明」

 海外メディアからは福島原発事故について「誰も責任を追及されず、報告書だけ積み上がる」と揶揄されています。刑事責任を含めて免責すると決めたはずはないのに、政府事故調査・検証委の委員長が昨年6月「責任追及は目的としない」と表明した点に「原子力ムラ」体制は甘えきっているようです。政府と国会の事故調が結論を出すのはまだまだ先なので、事故1年の時点で判明している事実から大惨事にしてしまった事象の分かれ目はどこにあったのか、その責任は誰に帰すかを考えます。

 【民間事故調】

 一番新しい福島原発事故独立検証委(民間事故調)の「報告書要旨」には《事故(昨年3月11日)の直接の原因は、津波に対する備えが全く不十分で、電源喪失による多数の機器の故障が発生したことに尽きる。設計で用意された原子炉注水手段から代替注水へと、速やかに切り替えることができなかったことが決定的な要因となり、放射性物質の放出を抑制することができなかった》とニュースを調べれば小学生でも書ける、当たり障りのない結論がさも意味があるように述べられています。

 民間事故調といいながら半ばは体制派メンバーであり、ジャーナリズムの質を落としまくって国民の信頼を失った在京マスメディアが支える構図です。切れ味が良い追及が生まれようはずがありません。「決定的な要因」とする「代替注水へと、速やかに切り替え」失敗の中身こそ問われているのです。《関係者全員の「安全」に関する考え方が不十分であった》といった生ぬるい表現で済ませる問題ではありません。これでは何も言っていないのと同じです。

 【FUKUSHIMAプロジェクト】

 もう少し前に、やはり民間有志のFUKUSHIMAプロジェクト委員会がFUKUSHIMAレポート「原発事故の本質」を刊行しています。こちらの問題意識は「マスメディアが伝えてきたこととは違う」と言い切り先鋭です。「設計で用意された原子炉注水手段」を「最後の砦」と捉え、全電源喪失でも炉心溶融した1〜3号機で全て作動しており、それが有効に働いている間に海水注入に切り替えれば何の問題も起きなかったと断じます。

 当時の菅首相は事故翌日「12日早朝に『海水注入』を求めていた。しかしその場にいた東電の代表者はそれを拒む」「同席していた原子力安全・保安院、原子力安全委員会の代表者とも、東電の『不行使』に同調した」「法律によれば、菅には、それ以上の現場への介入が許されていなかった」。海水注入で塩分が入れば原子炉は二度と使えなくなり、廃炉にするしかなくなります。

 以下が責任についての結論です。「三つの原子炉とも『最後の砦』は動いて原子炉の炉心を冷やし続けた。ところが、原子炉が『制御可能』であったときに『海水注入』の意思決定はなされなかった。よって東電の経営者の『技術経営』に、重大な注意義務違反が認められる」

 【1号機非常用復水器が焦点】

 昨年末の政府事故調中間報告を見て「恐ろしいほどのプロ精神欠如:福島原発事故調報告」で驚きの新事実に触れました。《最初に爆発した1号機で電源喪失後に残る最後の安全装置「非常用復水器(IC)」について「1号機の全運転員はIC作動の経験がなかった」との報告にはまさかと思い、目が点になりました。発電所幹部はICが順調に作動していると思いこんで「1号機の海水注入が遅れた一因はICの作動状態の誤認識にある。1号機のベント(蒸気を放出して圧力を下げる措置)に時間がかかったのは、ICの作動状態の誤認に起因すると考えられる」としています》

 昨年11月、米国側の報告を読んだ「2、3号機救えた:福島原発事故の米報告解読」で「淡水注入を始めたのは翌12日午前6時前です。午前2時45分には原子炉圧力容器に穴が開いて格納容器と同じ圧力に下がったと観測されていますから、この時点で炉心溶融は起きてしまっていたとみるべきでしょう」と1号機の「最後の砦」は機能不全との認識は持っていました。しかし、最後の命綱を動かす実地訓練すらなかった運転員教育は劣悪すぎます。

 読売新聞が「炉心溶融、回避できた?冷却装置を早期復旧なら」で《2基あるICは、計16時間作動するとされており、日本原子力研究開発機構の研究チームは「その間に代替の注水手段を確保するなどしていれば、炉心溶融を防げた可能性がある」としている》と報じました。この命綱がきちんとしていれば16時間どころか数日でも炉心溶融は延ばせたのです。16時間は冷却水が切れる時間であり、東電自身の報告書が当日午後9時には水が足りなくなれば給水できる態勢を作ったとしているのです。

 給水態勢を作ったのに弁が閉じて作動していないと認識できないちぐはぐさも、使ったことがなければ当然でしょう。事故調中間報告はこう伝えます。「福島第一原発で事態の対応に当たっていた関係者の供述によると、訓練、検査も含めてICの作動を長年にわたって経験した者は発電所内にはおらず、わずかにかつて作動したときの経験談が運転員間で口伝されるのみであったという。さらに、ICの機能、運転操作に関する教育訓練も一応は実施されていたとのことであるが、今回の一連の対処を見る限り、これらが効果的であったとは思われない」

 ICの弁は電動で開く仕組みであり、電源喪失時には手動で開きに行かねばなりません。米国ではその手動操作の訓練が運転員教育に組み込まれていると後に伝えられました。沸騰水型炉の開発元で採用されている運転員訓練の情報が東電に伝えられなかった可能性はゼロでしょう。事故進展の分岐点を分けた東電の経営責任は明らかだと考えます。もちろん、運転員教育の質を監督する責任は政府にあります。

 【新規制組織への疑問】

 誰の責任かも明らかにしないまま、新たな規制組織、原子力規制庁が4月に発足します。国民からすれば事故責任がある者にはもう携わって欲しくない、少なくとも意味がある反省をした上でしか認めたくないと思うでしょうが、その担保は全くないのです。国会事故調は法律で「行政組織の在り方の見直し」を含め提言を行うことを任務としているのに、調査中に組織替えは理解不能と抗議しました。批判に対して聞く耳を持たない「原子力ムラ」体制を温存する「表紙」の付け替えにしか見えません。

 【参照】インターネットで読み解く!「福島原発事故」関連エントリー