第381回「福島原発事故、国家として原因不詳でよいのか」

 予測されていた福島原発事故の不起訴処分に、国家として原因不詳でよいのか、改めて問いたいと思います。いくつもの事故調が違った結論を出し、放り出されている現状は「原子力ムラ」の意志なのかもしれません。検察は大地震、大津波ともに予見不能だったと大括りの説明ですが、どこかに事故原因を定めて責任者の追及を始めたら結論が違う事故調から異論の鑑定が出てくるのが確実では公判が維持できないと考えたでしょう。責任者を出さないと決めていた原子力学会や原子力ムラ政府官僚がほくそ笑む展開です。これほど影響が大きい大事故ならば原因をピンポイントで究明してシステムを改善するべきところを、原子力規制委による新規制基準は事故調報告を参照もしない安全システムの大風呂敷展開でかわしています。全てが曖昧模糊になっているようでは、現代屈指のテクノロジー国家として失格だと敢えて申し上げます。

 朝日新聞の《原発捜査、尽くしたか 「なぜ誰も責任問われぬ」 東電前会長・菅元首相ら全員不起訴》は次のように伝えています。

 《検察は東電幹部らへの聴取とともに、地震や津波の専門家からの聞き取りに重点を置いた。専門家数十人から聴取するなどした結果、マグニチュード(M)9・0だった東日本大震災の発生は「政府機関の予測よりエネルギーで11倍、震源域も数倍以上で、専門家らの想定を大きく超え」ており、「全く想定されていなかった」と結論づけた》《また15・7メートルの試算についても検討した。根拠となった政府機関の予測自体が「専門家らの間で精度が高いものと認識されていたとは認めがたい」とした上で、「最も過酷な条件設定での最大値」「専門家の間で一般的に予測されていたとは言い難い」と主張。「(刑事責任を問うには)漠然とした危惧感や不安感では足りず、具体的な予見可能性が必要」と説いた。通常、予見可能性が認められなければ対策をとる義務も生じない》

 ここまでは通常の刑事処分の考え方ですが、原発には全電源喪失の過酷事態になってもまだ動く最後の命綱が存在します。最初に炉心溶融した1号機なら非常用復水器だし、2、3号機には別の装置があります。『恐ろしいほどのプロ精神欠如:福島原発事故調報告』にあるように、当時の運転チームは誰ひとりとして非常用復水器を動かした経験がありませんでした。これさえ順調に運転できていたら福島原発事故は軽微なトラブルで終わった可能性があります。しかし、津波主因説の政府事故調と違い、国会事故調は地震主因を唱えていて津波襲来以前に非常用復水器に異常が発生したと考えます。

 13日付の神戸新聞《福島第一元作業員の「遺言」詳報 東電、信用できない》にある次の部分に該当です。《最初の揺れはそれほどでもなかった。だが2回目はすごかった。床にはいつくばった。配管は昔のアンカーボルトを使っているから、揺すられると隙間ができる。ああ、危ないと思ったら案の定、無数の配管やケーブルのトレーが天井からばさばさ落ちてきた。落ちてくるなんてもんじゃない。当たらなかったのが不思議。4階にいた人たちは水が大量にゴーと襲ってきたと言っていた。それが使用済み燃料プールからなのか、非常用復水器が壊れたからなのか、そのときは分からなかった》

 このような現場の証言と事故事象の推移がきちんと付き合わされることなく放置されたままです。このままでは予測できない大地震と大津波が来て大事故になったとの「外形的事実」しか残らないことになります。創造的な洞察力を欠いているのが原子力ムラ官僚である点は第334回「原発事故責任者の1人と自覚が無い安倍首相」の政府対応から察しがつきます。政府対応が大失敗だった福島原発事故から学ぶ教訓無しと、むしろ忘れたいのでしょうか。第347回「無傷で終わる可能性が十分あった福島原発事故」で班目原子力安全委員長ひとりの知恵さえ生かせなかった経過を描きました。このままでは次の危機にも失敗を繰り返す恐れが大です。

 【参照】インターネットで読み解く!「福島原発事故」関連エントリー