第441回「医師の患者水増し阻む新健診基準は立ち消えか」

 人間ドック学会と健保連による大規模調査で生まれた新しい健診基準が医師側の反発で立ち消えになりそうです。医師は臨床判断で患者の範囲を広く取るのですが、「健康な患者」が大きな負担を負う現実は見直すべきです。社会的にも毎年1兆円も増え続ける国民医療費の急膨張は、国家財政からも放置できない段階に達しています。ところが政府は『メタボ健診重視政策は医療費膨張危機からの逃避』で指摘したように、抜本的な対策から逃げています。新健診基準を生かさないのでは、もったいなさも極まります。

 人間ドック学会は《4月4日報道機関へ公表した内容について》で「予定として5月をめどに最終報告書を取りまとめることになっております」「この事業実施報告書を受けて、私どものガイドライン委員会、役員会等にて議論した上で健診の現場で使える判定基準をこれから作成していくと言うこととなります」と説明していました。

 しかし、現実には最終報告書は出されず、学会のホームページで「基準範囲について」と題したページが出来て、釈明している説明用ポスターと日本医師会からのコメントなどへのリンクがはられているばかりです。肝心の文書《新たな健診の基本検査の基準範囲〜日本人間ドック学会と健保連による150万人のメガスタディー》へのリンクさえ遠慮している有り様です。

 7月25日付けの日医白クマ通信《日本人間ドック学会・健保連が示す検診の検査基準に対する見解(補足)―高久日本医学会長、松原日医副会長》で医師側の主張を見ましょう。

 《高久日本医学会長は、通常、検査の「基準値」と言われているものには「基準範囲」と「臨床判断値」があるが、両者は意味するところが全く違っており、明確に区別すべきものであると説明した上で、先般、人間ドック学会・健保連が公表したのは「基準範囲」で、これは、多くの健常人から得られた検査値を集めて、その分布の中央95%を含む数値範囲を統計学的に算出したものであり、疾病の診断、将来の疾病発症の予測、治療の目標などの目的に使用することは難しいとの考えを示した》《「疾病の診断、将来の疾病発症の予測、治療の目標に用いられるべきは臨床判断値である」と強調した》  説明用ポスターに掲載の図を引用しました。人間ドック学会の調査は健康人を対象にしており、左側の手法です。これに医師が主張する「予防医学的閾値」と本当の発病者を加筆すると右側の図になります。健康人でも臨床判断としてオレンジ色の部分が患者側に取り込まれています。

 例えば動脈硬化学会の基準は、悪玉コレステロールと呼ばれる「LDL―コレステロール」が血液1デシリットル中に140ミリグラム以上で病気としています。人間ドック学会の新基準値は女性だと年齢ごとに変わり、65歳以上では190ミリグラムまでは健康とします。男性は178ミリグラムまでです。両者のギャップに大量の「健康な患者」がいてコレステロール値を下げる薬を飲まされている訳です。それが本人のためになっているのか、疑問が大きいから困るのです。

 朝日新聞の《悪玉コレステロールの適正値は 人間ドック学会、健診基準値緩和案》はこう伝えます。《動脈硬化学会の指針によると、日本人の中高年者は高血圧などの問題点がなければ、10年以内に冠動脈疾患で死亡する確率は1、2%かそれ以下。LDL―C値の高い人が、それを下げても死亡率は0にならない。2、3割減るという疫学研究があることから、1%の死亡率が0・7%に下がる程度とみられる。また、LDL―Cを含む総コレステロール値が低いと、日本人にはもともと少なかった冠動脈疾患は減るものの、多かった脳卒中などが増えるという疫学研究もある。病院に通い、薬を毎日飲むという経済的、時間的な負担に見合う利益が、LDL―C値を下げることにあるのかどうかは意見が分かれている》

 実はあろうことか、悪玉コレステロールの高い人ほどトータルの死亡率は下がるとの研究結果が出ています。特に男性では悪玉コレステロールが低いグループほど癌や呼吸器系疾患の死亡率が高いのです。大櫛陽一・東海大医学部教授らによる総説「日本人はLDL-Cの高い方が長生きする」 (脂質栄養学:2009)がその論文です。  「図3 LDL-Cレベルと死亡率」を引用しました。「神奈川県伊勢原市で1995年度から2005年度まで男性9.949人(平均年齢64.9才)、女性16、172人(平均年齢61.8才)を追跡して、LDL-Cレベルと原因別死亡率を調べた結果」で、平均追跡期間は8年を超します。《「悪玉コレステロール」なのですから増えるほど、つまりグラフの右側ほど死亡率が高くならなければいけません。一目瞭然、話が逆でグラフは右下がりです。コレステロールが問題になるであろう虚血性心疾患などが棒グラフ中央の白っぽい部分です。男性の一番高いグループでやや増えていますが、LDL−Cが低いグループは悪性新生物つまり癌や呼吸器系の疾患が多くて遙かに高い死亡率になっています。LDL−Cが足りないと抵抗力が弱まるからです。一方、女性でいずれのグループもあまり変わらず、「LDL-Cを下げる必要性は全く無い。従って、女性では120mg/dl以上が最適値である」》

 詳しくは第217回「男性で逆だったコレステロールの善玉と悪玉」で取り上げているので参照してください。第160回「年3000億円の大浪費・コレステロール薬」で指摘したように医療保険財政の危機からも、この際、総点検して見直すべきなのです。人間ドック学会の今回の健診基準見直しが立ち消えになるのは、あまりに惜しいと考えます。