第541回「東電破綻を救済なら福島原発事故の責任を明確に」
経済産業省が「東京電力改革・1F問題委員会」を立ち上げ、事実上破綻している東電の救済に乗り出しました。東電が事故のツケを全て払うから、誰にも事故の責任を取らせず済ませた責任所在が再浮上せざるを得ません。政府の狙いは責任あやふやな現状を変えずに何兆円もの資金を用立てる「妙案」をひねり出すことでしょう。《東電の経営改革 有識者の委員会で検討開始へ》と報じたNHKなどメディアの多くは事態の本質を覆い隠す政府に同調する動きですが、先月の第536回「東電資金破綻の現実を認めぬ政府と既成メディア」で指摘したように、もともとの枠組みが間違っており、電気料金しか収入がない東電が全て払う虚構を維持できなくなっただけなのです。
経済産業省の《東京電力改革・1F問題委員会(東電委員会)の設置について》は回りくどい言い方しか出来ません。
《原発事故に伴う費用が増大する中、福島復興と事故収束への責任を果たすため、東京電力はいかなる経営改革をすべきか。原子力の社会的信頼を取り戻すため、事故を起こした東京電力はいかなる経営改革をすべきか。自由化の下で需要の構造的縮小が続く中、世界レベルの生産性水準を達成し、福島復興と国民への還元につなげるため、東京電力はいかなる経営改革をすべきか》
《これらの課題への回答について、福島県の方々が安心し、国民が納得し、昼夜問わず第一線を支え続ける「現場」が気概を持って働ける解を見つけなければなりません。東電改革の姿は、電力産業の将来を示し、この改革とパッケージで整備する国の制度改革は、被災者救済と事故炉廃炉促進のための制度となります。東電改革は、福島復興、原子力事業、原子力政策の根幹的課題です》
しかし、10日ほど前にテレビ朝日が暴露していました。《“国民負担”8兆円超を検討 原発の廃炉・賠償で》はこう伝えました。
《政府は、原発の廃炉費用などのために新た 8兆円余りという莫大(ばくだい)な費用を利用者に負担させる形で調整に入ったことが分かりました。そのうち、福島第一原発の廃炉に4兆円、賠償に3兆円。また、今後、原発の廃炉費用が足りなくなるとして1.3兆円を充てるとしています》
これが「東京電力改革」の内実なのです。利用者に負担とは主に電気料金を上げる方法であり、広く国民負担になるしかありません。
確かに事故は東電が起こしましたが、安全審査をして運転にゴーサインを出し、日常的にも運転・訓練の監督をしていたのは国です。また、事故後1年で書いた第300回「福島事故責任は誰にあるか、判明事実から究明」で具体的に挙げただけでも、するべきことさえしていれば事故の進展が食い止められる可能性がありました。その後、論点は増えています。誰にも責任を取らせないのが政府から原子力学会まで原子力ムラの総意でしたが、何兆円も新たに国民が持つなら国にも大きな責任があったと認めるべきです。それなら国民も理解するでしょうし、では過失の責任者は誰だったかが当然、問われます。
経済産業省の《東京電力改革・1F問題委員会(東電委員会)の設置について》は回りくどい言い方しか出来ません。
《原発事故に伴う費用が増大する中、福島復興と事故収束への責任を果たすため、東京電力はいかなる経営改革をすべきか。原子力の社会的信頼を取り戻すため、事故を起こした東京電力はいかなる経営改革をすべきか。自由化の下で需要の構造的縮小が続く中、世界レベルの生産性水準を達成し、福島復興と国民への還元につなげるため、東京電力はいかなる経営改革をすべきか》
《これらの課題への回答について、福島県の方々が安心し、国民が納得し、昼夜問わず第一線を支え続ける「現場」が気概を持って働ける解を見つけなければなりません。東電改革の姿は、電力産業の将来を示し、この改革とパッケージで整備する国の制度改革は、被災者救済と事故炉廃炉促進のための制度となります。東電改革は、福島復興、原子力事業、原子力政策の根幹的課題です》
しかし、10日ほど前にテレビ朝日が暴露していました。《“国民負担”8兆円超を検討 原発の廃炉・賠償で》はこう伝えました。
《政府は、原発の廃炉費用などのために新た 8兆円余りという莫大(ばくだい)な費用を利用者に負担させる形で調整に入ったことが分かりました。そのうち、福島第一原発の廃炉に4兆円、賠償に3兆円。また、今後、原発の廃炉費用が足りなくなるとして1.3兆円を充てるとしています》
これが「東京電力改革」の内実なのです。利用者に負担とは主に電気料金を上げる方法であり、広く国民負担になるしかありません。
確かに事故は東電が起こしましたが、安全審査をして運転にゴーサインを出し、日常的にも運転・訓練の監督をしていたのは国です。また、事故後1年で書いた第300回「福島事故責任は誰にあるか、判明事実から究明」で具体的に挙げただけでも、するべきことさえしていれば事故の進展が食い止められる可能性がありました。その後、論点は増えています。誰にも責任を取らせないのが政府から原子力学会まで原子力ムラの総意でしたが、何兆円も新たに国民が持つなら国にも大きな責任があったと認めるべきです。それなら国民も理解するでしょうし、では過失の責任者は誰だったかが当然、問われます。