第566回「3年連続から一転ゼロで政府の目が覚めたか」
今年はノーベル賞の科学分野で受賞者ゼロになり、松山政司科学技術相が危機感を表明したと日経新聞が報じました。単に今年は惜しかったではなく、日本の科学力失速が内外から批判されているのに政府は無視でした。私のサイトでも今年に入ってから立て続けに指摘している大問題です。英ネイチャー誌3月特集「日本の科学力は失速」をきっかけにした第554回「科学技術立国崩壊の共犯に堕したマスメディア」、2017年版の科学技術白書が示す方向を取り上げた第557回「やはりノーベル賞大隅さんの警鐘を無視した政府」、8月のネイチャー誌社説で再びとした第563回「科学力失速、英有力誌の再警鐘を無視する日本」がそれです。はっきり言って政府は聞く耳を持たずでした。
科学技術白書から世界の研究者による引用が多い重要論文のシェア推移の表を引用しました。過去十数年で4位から10位に落ち、こうした国際的な劇的地位低下を受けて日経の《科学分野のノーベル賞ゼロ 科技相に危機感》はこう伝えています。
《松山政司科学技術相は、2017年のノーベル賞で自然科学分野に日本人の受賞者がいなかったことについて「日本の基礎研究力の低下が危惧されている」との認識を示した。6日の閣議後の記者会見で「大変残念だ」と述べた》《自然科学分野のノーベル賞は3年連続で日本人が受賞していた。それが途切れたというだけだが、日本の基礎研究力が衰えてきたとする指摘が国内外で相次いでおり、松山科技相の発言につながったようだ》
《9月には英教育専門誌タイムズ・ハイヤー・エデュケーションがまとめた最新の世界大学ランキングで、日本の大学で最も順位が高い東京大学が16年の39位から過去最低の46位となった》《松山科技相はこうしたランキングの低下を憂い、大学の研究を支える基盤経費の減少や、任期付きの研究者が増えていることなどが背景にあると分析した。「経費の確実な措置や研究を支える設備を強化する。民間にも研究投資を促し、研究力強化に努める」と強調した》
大隅さんの医学生理学賞受賞時に当時の科学技術相が「社会に役立つかどうかわからないものにまで金を出す余裕はない」と、科学研究の本質をまるで分かっていない迷言を吐いたのに比べれば、目が覚めたと言えるでしょうか。しかし、国立大学法人の「運営交付金」は2004年の法人化以降毎年1%ずつ減らされ、今後の予算編成でも継続することになっています。今や研究費が枯渇するばかりか、退職した教員を補充しない段階まで追い込まれています。背景にあるのは科学技術立国を考慮しない、財務省による大学教員は教育向けには多過ぎるとの認識です。
日経はノーベル賞ウィークに先立ってインタビュー《大隅良典氏「ノーベル賞、日本から出なくなる」〜基礎科学細れば産業も育たず》を掲載しています。大隅さんの発言は以下です。
《日本は豊かになったが、精神的にゆとりがない社会になってしまった。日本の大学はすべてを効率で考えるという袋小路に陥り、科学の世界に『役に立つ』というキーワードが入り込みすぎている。研究費が絞られるほど研究者のマインドは効率を上げることに向かうが、自由な発想なしに科学の進展はない》《かつての日本の大学は基礎的な研究活動を支える講座費という制度が充実し、みんなが好きなことをやれた時代があった。今は研究できるポジションも少なくなり、親が大学院進学を止めるほど研究職は将来が見通せない職業になった》《このままでは将来、日本からノーベル賞学者が出なくなると思っている。(日本人の連続受賞は)過去の遺産という面もある》
問題は政府の科学技術立国への認識が本当に変わるのかです。国立大運営費交付金を削っても「選択と集中」のさじ加減で「良い研究」にお金を集めれば海外と対抗できるとの錯覚を改められるかです。国際的な地位低下がデータとして明らかになっているのに、文科省などの官僚は自らの失政を認めようとしません。科学技術相が言う「経費の確実な措置」を実現するには、現状が政策的に失敗していると認める方向転換が必要です。これまでしてきたように競争的な資金を積み増すのでは、研究者は獲得競争に汲々として発想の自由も研究の時間も失われます。
安倍政権発足後に教育再生実行会議がまとめた、大学ランキングで「世界トップ100に10大学」提言など、とっくに崩壊しています。過去の失政を認めること無しに糊塗的な施策を上乗せするのでは、どうにもならない袋小路に入っていると知るべきです。
《松山政司科学技術相は、2017年のノーベル賞で自然科学分野に日本人の受賞者がいなかったことについて「日本の基礎研究力の低下が危惧されている」との認識を示した。6日の閣議後の記者会見で「大変残念だ」と述べた》《自然科学分野のノーベル賞は3年連続で日本人が受賞していた。それが途切れたというだけだが、日本の基礎研究力が衰えてきたとする指摘が国内外で相次いでおり、松山科技相の発言につながったようだ》
《9月には英教育専門誌タイムズ・ハイヤー・エデュケーションがまとめた最新の世界大学ランキングで、日本の大学で最も順位が高い東京大学が16年の39位から過去最低の46位となった》《松山科技相はこうしたランキングの低下を憂い、大学の研究を支える基盤経費の減少や、任期付きの研究者が増えていることなどが背景にあると分析した。「経費の確実な措置や研究を支える設備を強化する。民間にも研究投資を促し、研究力強化に努める」と強調した》
大隅さんの医学生理学賞受賞時に当時の科学技術相が「社会に役立つかどうかわからないものにまで金を出す余裕はない」と、科学研究の本質をまるで分かっていない迷言を吐いたのに比べれば、目が覚めたと言えるでしょうか。しかし、国立大学法人の「運営交付金」は2004年の法人化以降毎年1%ずつ減らされ、今後の予算編成でも継続することになっています。今や研究費が枯渇するばかりか、退職した教員を補充しない段階まで追い込まれています。背景にあるのは科学技術立国を考慮しない、財務省による大学教員は教育向けには多過ぎるとの認識です。
日経はノーベル賞ウィークに先立ってインタビュー《大隅良典氏「ノーベル賞、日本から出なくなる」〜基礎科学細れば産業も育たず》を掲載しています。大隅さんの発言は以下です。
《日本は豊かになったが、精神的にゆとりがない社会になってしまった。日本の大学はすべてを効率で考えるという袋小路に陥り、科学の世界に『役に立つ』というキーワードが入り込みすぎている。研究費が絞られるほど研究者のマインドは効率を上げることに向かうが、自由な発想なしに科学の進展はない》《かつての日本の大学は基礎的な研究活動を支える講座費という制度が充実し、みんなが好きなことをやれた時代があった。今は研究できるポジションも少なくなり、親が大学院進学を止めるほど研究職は将来が見通せない職業になった》《このままでは将来、日本からノーベル賞学者が出なくなると思っている。(日本人の連続受賞は)過去の遺産という面もある》
問題は政府の科学技術立国への認識が本当に変わるのかです。国立大運営費交付金を削っても「選択と集中」のさじ加減で「良い研究」にお金を集めれば海外と対抗できるとの錯覚を改められるかです。国際的な地位低下がデータとして明らかになっているのに、文科省などの官僚は自らの失政を認めようとしません。科学技術相が言う「経費の確実な措置」を実現するには、現状が政策的に失敗していると認める方向転換が必要です。これまでしてきたように競争的な資金を積み増すのでは、研究者は獲得競争に汲々として発想の自由も研究の時間も失われます。
安倍政権発足後に教育再生実行会議がまとめた、大学ランキングで「世界トップ100に10大学」提言など、とっくに崩壊しています。過去の失政を認めること無しに糊塗的な施策を上乗せするのでは、どうにもならない袋小路に入っていると知るべきです。