第580回「原発事故時に9割自主避難、国の指示に信頼なし」

 内部被曝調査での問診表から震災直後の南相馬市民の避難状況が判明し、国から屋内退避指示を受けた市民や避難対象外市民も9割が自主避難していました。行政への信頼がない実態をメディアはつかんでいませんでした。政府は大震災4日後の3月15日に福島第一原発から20キロ圏を外部から立入禁止の警戒区域にして住民に避難指示を出し、20〜30キロ圏を屋内退避区域にしました。しかし、市内が警戒区域と屋内退避区域、その他の区域に三分割された南相馬市では区域に関係なく大半が避難してしまい、国の指示は機能しなかったと言えます。この時、朝日新聞とNHKが南相馬に持っていた取材拠点を引き払い、以後、マスメディアは30キロ圏内の現地直接取材をしなくなるなど腰が引けた状態を続けました。

 7万人いた南相馬市民の3割がその後に内部被曝調査を受けており、どのように逃げたかを問診表に書いているので全体の状況を推定することが出来ます。米科学誌「PLOS ONE」で公開されている研究論文《2011年の福島原発事故以降の人口動態とその要因》にある避難状況グラフと区域図を以下に合成しました。  国は震災当日夜、原発3キロ圏内に避難指示と10キロ圏内に屋内退避指示を出し、翌12日夕には20キロ圏内に避難指示、15日午前11時には20〜30キロ圏内に屋内退避指示を出しました。南相馬市南部の警戒区域では12日に早くも3割、13日には7割が避難していると読み取れます。4日後の15日に屋内退避指示が出ると避難区域かどうかに関係なく一気に自主避難が加速し、10日後には9割の市民が去ってしまいました。屋内退避区域とその他の区域での避難割合は87%に達しました。

 論文の筆者の一人、森田知宏医師がJBpress《原発事故と避難:今も解決しない大問題〜高齢者はとどまり健康被害を多発、若者は地元を離れる》でこう指摘します。もともと短期間しか想定されていない屋内退避指示を期限を切らずに長期指示し、残留住民をバックアップをしないのが異常です。

 《配送業者などは、職員をむやみに危険に晒したくないと考えた。そして、屋内退避区域への食料、ガソリンの配送が止まり、病院でさえも食料が不足する事態となった》《こうした混乱が、約9割の住民が避難する状況へと繋がった。また、避難指示が出ていない地域でも、隣の区画の住民が大量に避難するのを見て、住民の不安が伝播した可能性がある》

 《一方で、地域にとどまった人はどのような人々だったのだろうか》《仕事や立場上地域との結びつきが強い男性が、家族を避難させた後に自分は残った、というのは典型例だ》《世帯別では、高齢者のいる世帯が、そうでない世帯よりも1.2倍地域にとどまる傾向が高かった。逆に、6歳未満の子供がいる世帯では、未就学児童がいない世帯に比べて地域にとどまる傾向が0.6倍と低かった》

 昨年春、今村復興相が福島原発事故での自主避難者について「帰還は自己責任」と発言した問題で『自主避難の根拠は放射線障害防止法の下の平等 [BM時評]』を書きました。このように想定外な大量自主避難があり、避難指示が解除されても住民の帰還が少数である現状を見ると、改めて国の放射線政策に問題ありと言わざるを得ません。

 《1年間に被ばくする線量限度を「1ミリシーベルト(mSv)」とすると放射線障害防止法が規定しています。ところが政府は原発事故による緊急避難として「年間20ミリシーベルト」まで認める運用をしてきました。次々に出ている避難指示解除もこの路線上にあり、医療機関などにある放射線管理区域に当たる線量でも帰還して生活して良いことになっています。故郷に帰りたい高齢者ならそれでも構わないと思うでしょうが、これから子育てをする若い層が「帰れない」と思うのは当然です》

 上のグラフに戻ると、警戒区域なのに避難しなかった人が少数ながら存在する点が気になります。チェルノブイリ事故でも同じ例があり、事故進展で汚染が深刻化すれば困った事態になります。これを機に福島原発事故で最初の書いた記事第244回「福島第一原発は既に大きく壊れている可能性」(2011/03/12)などを見直して、政府の事故対応は最初からちぐはぐで稚拙だったと思えます。何の準備もない素人ぶりであり、対するマスメディアも政府を批判する視点を持ちませんでした。炉心溶融を政府・東電に隠されても沈黙したのが典型です。