第584回「科学力低下と悲痛な科学技術白書が見向きされず」

 6月に発表された平成30年版科学技術白書は日本の科学研究が近年失速、世界で存在感が無くなりつつあると悲痛なのでした。それから1カ月、マスメディアから格別に見向きもされず、忘れ去られようとしています。取り返しがつかないほど科学力を低下させた元凶は2004年の国立大学法人化を始めとした政府の科学技術政策にあります。科学技術白書が政策の欠陥を封印して、現象としてだけ科学力失速を嘆くのですから、基礎知識を持たない「科学記者」はおざなりに報じるしかなくて当たり前ですが、白書も触れざるを得なかった2017年の英ネイチャー3月特集の日本失速指摘を読めばはっきり書いてあります。

 2017年4月の第554回「科学技術立国崩壊の共犯に堕したマスメディア」で引用したネイチャー日本語プレスリリース記述を再掲しましょう。

 世界の《全論文数が2005年から2015年にかけて約80%増加しているにもかかわらず、日本からの論文数は14%しか増えておらず、全論文中で日本からの論文が占める割合も7.4%から4.7%へと減少しています》《他の国々は研究開発への支出を大幅に増やしています。この間に日本の政府は、大学が職員の給与に充てる補助金を削減しました》《各大学は長期雇用の職位数を減らし、研究者を短期契約で雇用する方向へと変化したのです》  研究論文の重要度は他の論文でどれくらい引用されたかで測れます。そのランクが「Top10%」に入ればその分野の重要論文、「Top1%」なら最重要論文と言えます。上の一覧表は日本が2003〜2005年と2013〜2015年の比較で、こうした重要度が高い論文のシェアを劇的に落としていると示します。(表・グラフや記述の引用元は科学技術白書

 《分野ごとに様相が異なるものの、ほぼ全ての分野において、論文数及び注目度の高い論文数(Top10%補正論文数及びTop1%補正論文数)における我が国の順位が低下している(第1-1-24図)。これは世界における論文数をランク付けしたものであり、世界における我が国の存在感の低下が危惧される》

 「危惧される」どころか、重要論文の全体ランクが4位から9位に落ち、工学などはもっと大幅下落で無残なものです。世界屈指の科学技術大国ではすでになくなりました。論文数と注目が高まっている国際共著論文の動向変化を表したグラフがあります。科学技術「並の」国に転落した様が明らかです。  《次に論文の国際共著関係の変化について確認する。第1-1-65図は、当該国又は地域の論文の共著関係を2005年と2015年で比較したものである。国の円の大きさは、当該国又は地域の論文数を表しており、円を結ぶ線の太さは、国際共著論文数を示している。図から明らかなように、2005年から2015年にかけて、多くの国又は地域において論文数が増加し国際共著論文数も伸びている。特に中国の論文数の増加が目立つとともに、国際共著論文数の増加が見られる。また、英国、ドイツ、フランスなどEU諸国間においても国際共著論文数の増加が確認できる。一方で、我が国においては、国際的な流動性が少ない中で、国際共著論文数についても伸び悩んでおり、相対的な存在感が低下しつつある状況が読みとれる。国際頭脳循環への参画に課題があると考えられる》

 重要な論文は国際共著で書かれる傾向が世界では近年顕著なのに日本が国際的な孤児になっていると、次のグラフは示します。国際研究の波に完全に乗り遅れています。  《主要国のTop10%補正論文数における国内論文数と、国際共著論文数(整数カウント)のうち2国間共著論文数・多国間共著論文数の変化を見ると、最新の2013〜2015年の期間において、英国とドイツ、フランスの3か国では、7割以上が国際共著論文であり、特に多国間共著論文が急増している。我が国、英国、ドイツの3か国で比較すると、国内論文数に限れば同程度であり、差が生じているのは、国際共著論文数であることがわかる(第1-1-72図)》

 極東の島国なのに海外留学が減って内向き志向が強まっていると近年言われてきました。科学技術白書では我が国の国際的な人材の流動が進まない背景として以下の調査があります。

 《研究者の実態を知るために、海外でポスドク時代を過ごした経験がある研究者302名に、「日本に戻る際に弊害となると感じること又は感じたことは何ですか(複数回答可)」という質問をしたところ、戻る際のポストやそのポストにエントリーするための手続やタイミング等に弊害を感じる研究者が多いという結果となった(第1-1-75図)。以前は、優秀な若手研究者がポスドク時代に海外の優れた研究機関で経験を積み我が国の大学等の研究機関に戻るというモデル的キャリアパスが存在していたが、最近では、我が国に帰ってきてもポスト確保が容易でないことなど、様々な理由から海外で研究するという選択を躊躇している可能性がある》

 国の方針による国立大学法人運営費交付金の削減で若手研究者の常勤ポストが少なくなるように仕向けておいて、「最近では、我が国に帰ってきてもポスト確保が容易でない」と他人事のように記述されては困ります。さらに同じ大学内で昇任して行く生え抜き学閥主義がポストの流動化を阻んでいる点も見逃せません。

 今回の大学改革が始まった2004年に書いた第145回「大学改革は最悪のスタートに」〜急務はピアレビューを可能にする研究者の守備範囲拡大〜で生え抜き学閥主義では駄目と主張しました。東大・京大を中心にした学閥主義の日本とは違い、ドイツは法律で大学内部からの昇進を禁止していますからポストに就くためには他の大学でプレゼンして自分の有能さを証明しなければなりません。他大学からの転入希望者を審査する側にも相応の知識がなければ不可能です。よく「たこつぼ型」と評され、隣の研究室の仕事すら満足に理解していない日本の大学教授には異次元の世界です。政府も欧米の大学との構造的な差を理解していません。次のグラフに見る日独の大学の差はここから生じているのです。  《我が国の大学の論文生産の状況から、研究の多様性を見てみる。我が国の論文数の7割以上が大学から生産されており、ここではTop10%補正論文数について、その論文生産数の順位別にドイツと比較してみる。ドイツの大学は州立大学が中心であり我が国と大学の構造が異なるため単純に比較ができないことに留意する必要があるが、我が国では上位に位置する少数の大学が論文生産を牽引している一方で、ドイツでは、中位の大学もTop10%補正論文を多く生産しており、大学の層に厚みがあることが分かる(第1-1-92図)。我が国においては、上位の大学を伸ばすだけではなく、中位の大学の研究にも注目し、我が国の大学全体として研究の厚みを増していくことも、研究の多様性を確保する上で重要であると考えられる》

 白書を書いた方は日独の実情を理解していません。ドイツのようにしたいなら相応して生え抜き学閥主義を止める根本的な手を打たねばなりません。政府は白書公表後に総合科学技術・イノベーション会議を開いて「統合イノベーション戦略」をとりまとめました。大学の連携・再編や若手研究者を育てるため研究費を若手に重点配分するなどの「対症療法」を決めたにすぎません。本質的な問題に手を着ける気はありません。経団連が出した大学改革のあり方に関する提言も競争的研究資金重視など的外れもいいところです。

 日経新聞は6月末に統合イノベーション戦略に合わせて《科学技術人材の育成にもっと危機感を》との社説を書いています。《日本の科学技術の研究力が弱まり、論文の世界シェアなどが急低下している。原因のひとつは研究者が高齢化し、若手の活力をそいでいることだ。政府はようやく人材育成に動き始めたが、危機感が足りない》と指摘しました。「危機感が足りない」のはここまでの惨状に至った原因を自分の力で分析できないマスメディアの方だと申し上げます。国立大学を疲弊させた法人運営費交付金の削減と世界での論文数シェア減少の相関ぶりがひと目で理解できる自作のグラフを添えておきます。