第55回「ダイオキシンの人体汚染を考える」

 ゴミ焼却場周辺の住民から、血液中に極めて高濃度のダイオキシンが検出されたとのニュースが、6月初めに流れた。環境ホルモンとしても話題になっているダイオキシンについて、昨年この連載第20回「ダイオキシン過小評価のつけ」 )で、母乳で育つ赤ちゃんが高濃度の汚染にさらされ、食物を通じて学童期までも同じ傾向があるのではないかと指摘した。その当時に比べ、非常に多数の関連ホームページができ、インターネットでの関心も盛り上がりが著しい。もう一度、見直したいと考えていた折も折、このニュースは見過ごせないものを含んでいて、難しい問題ではあるが、人体汚染の問題を考えてみたい。


◆大きな暴露と摂取を示す血液、母乳


 そんなに汚染されている地域ではないが、十勝毎日新聞がお母さん方を募って実施した「十勝の母乳調査」は、個々のお母さんの生データまで載せていて、この問題の入り口に適している。母乳中の脂肪1グラム当たりダイオキシンの量は初産婦で平均10.4ピコグラム(ピコは1兆分の1)、2人目の経産婦で平均3.7ピコグラムだった。平均値が3分の2も下がった分だけ、ダイオキシンは母親から最初の子供に移動したことになる。これくらいなら母乳育児のメリットには代えられないと言いつつも、赤ちゃんに意外に多くのダイオキシンを与えていることに、十勝でも関心が集まっている。

 十勝では多い人でも18ピコグラムでしかないが、国内全体ではもっと高い。この春に公表された平成9年度厚生科学研究「母乳中のダイオキシン類に関する調査」中間報告は、大阪府が冷凍保存していた母乳中のダイオキシンを測定し、1974年の平均32.1ピコグラムを最高に近年まで下がり続けたことを示している。95年の15.6、96年の16.3あたりで下げ止まっている感じ。ダイオキシンと同様に扱われるべき物質PCBも、ほとんど同じ推移をしている。

 この研究はまた埼玉県、東京都、石川県、大阪府で、廃棄物処理施設周辺や大都市部、周辺部などに分けて母乳を調べている。中間的な集計では、廃棄物処理施設から居住地までの距離と、母乳中のダイオキシン量との間に相関はないと断じている。例えば1回目の集計だと、母乳100グラム中のダイオキシンが一番多いのは、処理施設から遠い世田谷区の67.4ピコグラム。これはすっかり悪名高くなってしまった所沢市より7割ほど多い。一方、2回目の集計では、その所沢が最高の値になっている。個々のデータ表は付けられていないけれど、グラフ上にプロットされている。検体数が十分でなく、確かにばらついている。冒頭のニュースが頭にあってこれを見ているせいなのだろう、本来あるべき「相関」を隠し去るほどに、我々の周辺に強い汚染源があるのではないか、大都市を中心に汚染が蓄積されているのではないかと、むしろ心配になってきた。

 冒頭に取り上げたニュースは茨城県の「新利根町・焼却場周辺住民血液から高濃度ダイオキシン」である。血液中でも脂肪1グラム当たりでダイオキシン量を評価する。「血液中ダイオキシンのデータは、測定例が少なく、国内では、埼玉県所沢市の35人のデータで平均8.21ピコグラム(最高で29ピコグラム)。94年の福岡県保健環境研究所のデータで34人平均20.8ピコグラム。海外では、ドイツで19ピコグラム(94年)、アメリカで27ピコグラム(96年)というデータが存在するという。これまでの測定値は20〜30ピコグラム、これまでの欧米を含めた通常環境での最高濃度は約50ピコグラム」なのに、新利根町18人の住民からは女性の最高で463ピコグラム、男性の最高で200ピコグラムが検出された。ほとんどの人が、世界の常識では考えられない量のダイオキシンを血中に持っている。半数が80ピコグラムを超えている。

 血液中の脂肪と、母乳中の脂肪とは非常に近い関係にある。豊かな乳房でも乳児が飲む量を全て蓄えているはずもなく、血液で運んでは、つくりだしているからだ。新利根町の記録的に高濃度の女性は30代という。もしも母乳を与えたとしたら、想像するのが恐ろしくなる。他の女性で、40代で136ピコグラム、50代で76ピコグラムという方もいらっしゃる。年齢からみて経産婦ということも十分考えられる。初産のときはもっと高かったかもしれない。


◆母乳をめぐる苦悩と先行き、そして「たばこ」


 一般的にはダイオキシンの摂取は食物経由が大部分とされている。「第3章 暴露評価」では、体重1キロ当たりに換算して1日に、食物から3.26、または0.26〜2.6ピコグラム、大都市の大気からは0.18ピコグラム、土壌からは0.084ピコグラムとしている。同じ単位による、地域別一覧表が以下だ。

  《我が国における一般的な生活環境からの暴露の状況の推定》  しかし、新利根町のような高濃度汚染者が主に食物によるとは考えにくい。大気、あるいは土壌からの吸い込みが多いとみるべきだろう。「所沢周辺における土壌のダイオキシン汚染」から引用すると、摂南大の「宮田先生によれば、食物経由以外の子どもたちのダイオキシン被爆の大部分は、土壌の吸い込みによります。先生の計算によれぱ、2〜6歳の児童が、200ピコグラム/グラムの土壌を1グラム吸い込んだだけで、ほぼ1日当たりの耐用摂取量l0ピコグラムになります。実際には食物や大気などからの取り込みが加算されるので、10ピコを越えてしまうでしょう。この汚染レベルは(産廃処理が集積している)くぬぎ山から半径約2kmに該当します。このような汚染地域のグランドなどで遊ぶことが大変に危険だということを保護者は理解する必要があります」となる。行政はいまのところ土壌の除去など、防止対策には消極的だ。周辺自治体の大気測定で、環境庁の基準を超えた場所が頻出していてもである。住民運動として取り組まねばならない点だろう。

 全農林労組筑波地本食研分会青年部の社会問題研究チームによる「子供とオトコを襲うダイオキシン」が文献をあげて、1000ピコグラムであるナノ(n)グラムを単位とした環境ホルモン作用に関する研究を紹介している。「生後すぐに(ダイオキシン)TCDDを700ng/kg一回投与しただけでラット前立腺の重量が 減少し、男性ホルモンに対する反応性が減少した」「 同様の結果が160ng/kgの投与でも観察された」「生後すぐのラットにTCDDを1,000ng/kg投与すると、精子の蓄積が26-43%減少し、また64ng/kgの投与でも精子生産量が減少した」「50ng/kgの投与で精子生産量が25%減少したという報告もある」などを紹介している。

 「つまり生後すぐに数十ng-TEQ/kg程度の量のダイオキシンを摂取しただけでもその後の生殖能力に影響を与える可能性があるということで、もしそれが人間にもあてはまるならばこの値は他の慢性毒性が発生する濃度よりも数桁低く、大問題となるでしょう」

 環境ホルモンとしてのダイオキシンの怖さを予感させるものだ。人間に対する許容量は動物実験の結果に対して安全率として「1000倍」を課すことが望ましく、ナノグラム単位の実験結果はピコグラム単位の規制に直結する。

 厚生省が遅ればせながら人間に対する「一日耐容摂取量(TDI)」を、体重1キロ当たり1日10ピコグラムと決めたばかりなのに、WHOはさらに踏み込んだ。「WHO等でダイオキシン摂取基準見直し」が伝える通り、5月に開いた国際機関の専門家会議で、1〜4ピコグラム/キロ/日まで引き下げることを決めた。1ピコグラムまで下げてきたところが、先に述べた環境ホルモン作用を強く意識していると思われる。環境ホルモンがどんなことをしうるか、ラットと違って人間では胎児期にも影響が大きい。その点について、この連載でも第49回「性差の科学と環境ホルモン」で触れている。

 赤ちゃんを育てなければならないお母さん達の当惑は、相当なものになっている。「ダイオキシンと母乳」は「母乳育児推進運動に携わっている者にとって、今日マスメディアを賑わしているダイオキシンの問題ほど煩わしいテーマはありません。環境問題として討議・解決されるべき問題が、現実には人乳と牛乳の何れを選択すべきかと言ったテーマにすりかえられてしまって、お母さん方を不安に陥れ、その結果充分出ている母乳を止めて、牛の乳に替えるお母さんまで現れているからです」と述べる。

 しかし、これまで見てきたことから、もう一般的に母乳育児がよいかどうかを論じている場合でないことが理解していただけよう。母乳育児のメリットと比較できないほど高いリスクを背負ったお母さんが存在しているはずなのだ。母乳なり、血液なりを調べて、その検査結果を見てお母さん自身が判断しなければならない。

 沖縄県医師会報の「母乳は飲ませていいですか?」は「血液または母乳のダイオキシン濃度を測定して下さい。子供の将来のことを考えてデータは取ってもらって下さい」「測定する検査機関もほんのわずかですし,高額です。お母さんたちの強い決意と行動が世の中を変えます。今の不安な現状をバネにして,将来のお母さんたちの不安をなくしてあげようではありませんか。きっと保険診療に取り入れられ,検査費用も安くなります」と訴えている。

 「全国ダイオキシン測定分析機関 事業概要一覧」によると、検査費用は30万円台。

 お母さんたちばかり心配させたようなので、おしまいに、身近にある意外に大きな発生源たばこの話をしたい。「発生源別ダイオキシン発生量」の表には、年間4300グラムもある一般廃棄物焼却の下の方に、「たばこの煙16グラム」とある。大したことはあるまいと思わないで欲しい。ゴミ焼却場の煙突を直に肺に突っ込んではいないが、たばこは呼吸器に直結している。

 インターネット上に的確なデータが無かったから、オンライン・データベースJOISの科学技術文献情報で調べてみた。ストックホルム大グループが1992年に報告している実験結果によると「たばこ20本当り主流煙,副流煙はそれぞれ18.39ピコグラムを含んでいた」とある。体重50キロの人なら先の「暴露状況の推定」表から、大都市の大気から吸う量が「0.18×50」で9ピコグラム。たばこ20本の主流煙たけで、2倍相当なのだ。さらに副流煙として同じだけ周囲に垂れ流していることになる。この先、一日耐容摂取量が1ピコグラム/キロ/日にでも決まれば、50キロの人の1日量は50ピコグラムしかなくなる。18.39ピコグラムは決して軽い数字ではない。