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団藤保晴の |
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第114回「大学と小泉改革:担い手不在の不幸」
(2002/02/21)
小泉改革は底割れしてしまったかに見える。内閣支持率の急落だけ捉えて、したり顔で言うつもりはない。田中真紀子外相の更迭にまで至った外務省改革の挫折は、小泉純一郎首相が一本釣りで選んだ閣僚に能力がなかったばかりか、改革さるべき現場にも改革の担い手が不在という二重の不幸を明らかにした。農水相、厚生労働相、文部科学相……いずれも同じに見える。改革の「抵抗勢力」とは自民党橋本派を中心にした政治家たちと決めつけられがちだが、実は現場も「抵抗勢力」だらけ。連帯して行動する同志を準備せずに改革を始めてしまった首相は、「民間でできることは民間に」など唱えるスローガンは上手に響くものの、個別中身の専門的な吟味は出来ていない。その典型例を独立行政法人化に向けて動いている国立大学改革で考察したい。反対にしか道を見いだせない大学人と、かつては拒んでいた独立行政法人化が今や万能のように言い立てる文部科学省。この二つしか行く道は無いのだろうか。 ◆「学問の自由」しか訴えられない大学人
独立行政法人化を巡っては当初の公務員身分案から、非公務員身分での移行が検討されていて、大学人の間に危機感が募っている。東大など28大学の教職員組合は委員長連名で2月20日、文部科学省調査検討会議あてに「国立大学職員の『非公務員化』に反対する」要請を出した。その中の「公務員身分は『学問の自由』を保障するためにも必要である」には唖然とさせられた。
◆大学改革の処方箋は2項目で書けるのに
文部科学省は1月末に「大学(国立大学)の構造改革の方針について」という解説を出した。「1.国立大学の再編・統合を大胆に進める」「2.国立大学に民間的発想の経営手法を導入する」「3.大学に第三者評価による競争原理を導入する」――の3施策は、これまでの経緯をウオッチしていれば分かることだが、実は場当たり的に提示されてきた。この解説で何とか体系的に見せようとする意図が感じられる。
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| 1.助手や助教授に対する教授の人事権を廃止、教官選考は公開、公募制とし、選考委が学部にどういう専門分野の人材が必要かを検討して選ぶ。 2.その大学の出身者は学外機関での勤務経験を経ていなければ給与を70%しか与えない。この規定は現職の全教官に対しても5年後から適用する。 |
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澱んでいる学閥人事を一掃し、若手教官を縛る制約から解き放とう。早期に何らかの成果を得たいなら、多くを期待すべきは彼らしかない。教官を選考するたびに、大学内部で学部の進む方向まで含めて真剣な検討があれば、しかも選考対象に情実が加わりやすい学内持ち上がり者は給与制限で参加していないのだから、社会の要請と大筋でかけ離れるはずがない。
さらに、給与70%では現職に居座ることは不可能だから5年のうちには大半の教官が、どこか別の大学で選考委審査の洗礼を浴びる。積もり積もった悪弊はこうでもしなければ除去できまい。科研費審査は仕組み自体を変える必要があるが、審査する人間自身が経験を欠いている点が実は致命的なのだ。狭い研究分野に閉じこもりがちな教官に一回り広い学問分野全体のことを考える機会を持たせ、公開で公平な審査を数多く経験させることにしか、本質的な改善に導く方法はないと考える。大学の自治とは本来はこうした営みだろう。 もう一度言いたい。国立大学はこうして変わるのだ、と大学人自ら立案しアピールせず「学問の自由」を唱え続けて、社会を説得できる可能性は零である。ひょっとして若い教官たちは思っていても、後が怖くて言い出せないのかも知れない。老成した教授陣はそんな目に遭うくらいなら独立行政法人にして、文部科学官僚につつかれながら、自らの殻に籠もる方が良いと考えるかも知れない。果たして、それで大学は「知」を追求する人たちの集まりなのだろうか。大学改革をめぐる在京メディアの知的レベルも確かにひどいが、今の大学人に笑う資格があるとは思わない。 ※この時期にこれを執筆した思いはメールマガジン版の編集後記で、私の大学での体験と併せご覧いただけます。ここまで読まれて関心を持たれた方は是非どうぞ。 無料メールマガジンとして配信中。登録される方はこちらへ
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