評論「ネット接続に群がる日本の光景」
[This column middle part in English]
神奈川大学評論第48号の特集「欲望の社会風景」に執筆した評論を、なるべくオリジナルのスタイルで収録しました。各節は以下の通り。
●人口統計を動かすネット出会い
●日本以外では立ち上がらない
●ネット発信文化が曲がり角に
●ネット・ジャーナリズムも生む
●ニュースサイトは選別に問題意識
●自然発生で進んできた限界
●商業主義へ反発から巨大水脈
●日本的なものが世界を変える
ネット接続に群がる日本の光景
欧米人の気質を小さな集団で狩をして生きる肉食獣とすれば、日本人は群をなす草食動物と評した人がいた。それもバッファローの大群の如き存在で、ふだん容易には動かないが、ある朝、気付いたら大河を渡って故郷から遠い草原を支配してしまったりする。今、インターネット上で起きている光景には日本にしかないものがある。その大規模さはネットで繋がっているはずの海外の人たちからは想像が出来ないほどであり、日本人の特性が生み出したと考えざるを得ない。
ここでは三つのタイプに分類して論じる。海外でも有名になった出会い系サイトに代表される「個人対個人」、メールマガジンと個人ニュースサイト隆盛に見る「個人対大衆」、そして国産ファイル交換ソフト「Winny」が創出した巨大水脈「大衆対大衆」の世界である。
人口統計を動かすネット出会い
二〇〇〇年に起きた携帯電話の爆発的な普及に、インターネットに接続できる「iモード」サービスが大きな役割を果たしたことはよく知られている。インターネットへの接続は各携帯電話会社で当たり前になり、総務省は二〇〇 四年四月末で、携帯電話端末によるインターネットサービスの加入者数を七千二十五万人としている。
ただ、加入者全員は使ってはおらず、他の調査から考えると実際には五千万人程度がインターネットを利用し、パソコンなど別の端末を持たず専ら携帯電話を使う人は三割、千五百万人くらい。その利用目的のかなり大きな部分が疑いもなく出会い系サイトである。高校生から四〇代くらいまでの世代では二〇%以上が出会い系サイトの利用経験があるとする調査があちこちにある。
火遊びの機会を求める普通の個人が大量に存在し、出会い系サイトを運営して金儲けをしようとする人がいて、その運営用ソフトに膨大なメールアドレスをセットにして売り込もうとする業者が加わる狂騒ぶりである。お好きなように、と思っていた。
しかし、二〇〇〇年国勢調査の結果を詳細に検討するうちに、出会い系などネットによる接触機会拡大が中年男性を中心に結婚行動を変えてしまったのを発見して驚かされた。二〇〇一年の拙稿「非婚化の進展をITが阻み始めた」でこう分析した。
この国勢調査時点で五〇代前半の男性は、直前の五年間で一・二%もが結婚した。この同じ世代が四〇代後半だった五年間に結婚したのは〇・五%に過ぎず、五〇代に入る時点で結婚を諦め始めていたはずだったのに結婚意欲が再燃したのだ。一・二%は六万三千人に当たる。結婚の動きが全く無くなっていた五〇代後半の男性も〇・八%が結婚し、四〇代前半まで男性側の結婚増加傾向は続いていた。
女性側をみると二〇代を除いて中高齢まで結婚への動きが以前よりプラスに出ていて、特に三〇代の増加幅が大きい。中年男性側が子どもが出来る結婚相手を探したことをうかがわせる。出会い系利用者の調査ではこうした男性にエンジニアが多く、職場で適当な相手が見つかりにくいことから結婚相談業者の重要な顧客だった。
日本以外では立ち上がらない
これだけ劇的な影響力を持つ携帯電話によるインターネット接続が、日本以外ではなかなか立ち上がらない。欧米に持ち込んでみると写真を撮ってメールに添付したりする機能は面白がられるが、出会い系サイトなど冗談ではないと一蹴されるようだ。
当然と思う。日本にだけ小金を持ち、軽薄で好奇心に満ち、パソコンには弱い層が大量存在している。最新の文明の利器を子どもに使わせることを、親はあまり心配しなかった。いや、ブームになった新しい機械に親しませることは、乗り遅れを嫌がるこの国の風習では昔から善である。そうした中、ネット上の体験記などで娘が父親とメールでやり取りするようになって初めて意志疎通をしたとか言われると、あなたの家庭はどうなっているのか問いたい気になる。
携帯電話による出会い系サイトをきっかけにした児童買春などの事件が実際に急増している。警察庁に報告されている出会い系関連の児童買春事件は二〇〇二、三年と続けて七百件を超えた。これも氷山のほんの一角でしかない。結果がこれほどの変化であっても気にしないのは、本物の保守主義が存在しない日本だからだろう。
ネット発信文化が曲がり角に
日本独特のインターネット文化として、海外に例を見ない発達をしたものにメールマガジンがある。さらにもうひとつ、こちらはウェブサイトを運営していないと見えにくい存在ながら、個人が運営するテキスト系ニュースサイトもメールマガジン以上に巨大な影響力を持ち、ネット上に膨大なトラフィックを生む。この珍しい存在がいずれも曲がり角に来ているらしい。現状について述べる前に、二つのインターネット文化がどういうものであり、どれほどの力を発揮してきたかを紹介したい。
一九九七年初めにメールマガジンは誕生した。深水英一郎氏が個人で開設した配信システム「まぐまぐ」に始まる。企業が大量のメールを配信するシステムは存在したが、新しいシステムは、個人の編集長と個人の読者を相手にした。誰でも登録すれば無料で数百通でも数万通でも、思うときに送り出せる。最大手「まぐまぐ」が今、新規マガジンの情報を利用者に届ける週刊マガジンは、発行部数が四百四十万を数え、付随したジャンル別案内誌との広告収入で月間二億部を配る配信システムは維持されている。同様の後発システムを併せ、マガジンの種類は数万種、利用読者の実数は六百万人以上に達しよう。この文化に便乗して小泉内閣メールマガジンは二百万部以上も出していたことがあったが、大金を掛けてメールサーバーを設置しているから一般のメールマガジンとは違う。
マガジンの種類は文字で伝えられる事柄なら何でもある。株やマネー関係、芸能情報、アダルト、ダイエット、心理学、ウェブ情報、英語学習、転職、車情報、コンピューター……。マガジンの種類だけ数万人の編集長がいて、何かを訴えるべく日夜、考えている。発行部数が十万以上のマガジンもかなりあり、一万部を超えるものなら数百と並ぶリストは壮観である。これだけの部数だから広告収入を得るシステムも作られ、実際に広告で高収入を稼ぐ目的で作られたマガジンが数多く存在する。
ネット・ジャーナリズムも生む
こうした実用情報や趣味情報の他に、きちんとした各種の評論やマスメディアが伝える以上の政治・経済・社会分析もメールマガジンとして出されている。日本のネット・ジャーナリズムは、独自発達したメールマガジンを主な媒体にしたのだ。読者がわざわざ見に行かねばならないホームページで多くの人に読んでもらおうとすれば限度があるが、プッシュ型のメールマガジンと複合することで多くの読者を紙の媒体に依存しないでも獲得できた。代表例として先駆けになった「田中宇の国際ニュース解説」と、作家村上龍氏による経済・金融関係の「ジャパン・メール・メディア(JMM)」を挙げよう。いずれも現在、二十万前後の部数を持ち、メディア関係にも読者が多い。
ジャーナリストに限らず数えればきりがないほど、様々な知性が活動を始めている。それがメールマガジンやウェブだったりしている。一方で、既成メディアの不勉強ぶりは、取材を受ける専門家の間では前々から問題視されていた。私は十年以上前から日本の市民社会に起きている現象に気付いていた。それはこう表現できよう。
高度成長期に入るまでは、新聞を先頭にしたメディアがカバーしていた知のレベルは社会全体をほぼ覆っていた。技術革新の進展と裏腹の矛盾、歪みの集積は社会のあちこちに先鋭な問題意識を植え付け、メディアがふんわりと覆っていた知の膜を随所で突き破るピークが林立するようになった。特定のことについて非常に詳しい読者が多数現れ、メディア報道は物足りない、間違っていると批判する。メディア側はそれに対して真正面から応えるよりも、防御することに熱心になった。読者とのギャップはますます広がっている。なぜなら、知のピークはどんどん高くなり、ピークの数も増すばかりだから。
ニュースサイトは選別に問題意識
米国を中心に流行のブログに似ている面もあるが、個人ニュースサイトも日本独自で発達した。関心を持ったニュースのリンク先と簡単なコメントを並べて構成される単純さ、誰でもが手を出して長期に続けられる手軽さが受けて、どんどん増殖している。いつから始まったと言える存在ではないが、メールマガジンと前後して力を持ってきた。先駆と言われる「ムーノーローカル」は一九九九年に当時の個人サイトとしては記録的な百万ページビューを達成した。ただ、日本のニュースサイトは政治的なコメントも多い米国のブログと違って、趣味のゲーム系やコンピューター系、社会ニュースでも面白い軟派系のニュースを主に扱う。
ニュースサイトはマスメディアがウェブで流すニュースを中心に1日に何回も更新する。最大のものになると毎日のアクセス数が十五万くらいになり、以下数万、数千、数百と続き、全体でいくつあるのか新旧交代が激しくてつかめない。他のサイトが取り上げたニュースに面白いものがあれば自分のページのリンクに直ちに追加するので、カスケード効果が生まれ、まるで津波のような膨大な短期集中アクセスが発生する。
私が二〇〇二年に「音楽産業は自滅の道を転がる」を書いた際、ウェブ公開から三十時間で一万のアクセスを経験した。それ以前にも津波アクセスの経験はあったが、大きすぎてアクセス記録を急ぎ破棄する必要に迫られ実態をつかみきれなかった。一万アクセスの内訳は最大サイトから四千、二番手から千、その他二百余りのサイトから五千であり、カスケードが目に見えるようだ。もっと面白いと感じられるニュースなら、一日で十万、二十万の津波が毎日のように起きている。
運営当事者は何を考えているのか、自ら評論している「破竹と死守と」(注1)から概略まとめるとこうなる。「我々は長い間、受動的な情報手段しかもたなかった。人は物事を知ると本質的に他人に教えたくなる性癖があり、それが個人発信の波になった。『情報を処理する』とは事の真意を確かめ適切な意見・考察を述べることだ。処理されていない情報は独り歩きし、勝手な推測を生んでしまう。マスコミがこの作業を怠りすぎたから個人ニュースサイトの隆盛を生んだ、と考えられよう」
ここでもメディアの死角になっている所で、市民の問題意識が働いて自然発生的な運動が起きていた。もちろん津波アクセスの対象にはメディア発だけでなく、名も無い市民がウェブに書いたニュースも含まれる。
自然発生で進んできた限界
拡大一途だったメールマガジンに変調が感じられるようになったのは、二〇〇三年半ばだった。大部数を持つマガジンは成長が止まり、やがて減少傾向に転じた。二〇〇四年の五月初めと三月初めの二カ月間で比べると、成長している例外もあるものの三%、四%の減少が当たり前になった。これは硬派ものも軟派ものも同じだ。いや、実用情報や趣味情報の方が減少速度は速く、中身のある硬派ものマガジンはゆっくりと落ちている。
減少原因ははっきりしていて、メールマガジン購読に新規に参入する読者がほぼ枯渇したことにある。「まぐまぐ」が読者向けに発行しているウィークリー誌の部数が読者数の動きをほぼ反映している。順調に伸びていたのに、二〇〇三年初めで頭打ちになり、以後四百四十万部前後でほとんど変わらぬ状態が続いている。メールマガジンの読者は、気に入ってずっと固定読者になる層と、一定期間読んで止めていく層に分かれる。やめていく数に見合った新規読者が生まれて、横這いになる。現状はやめていく数に新規が全く追いついていない。
新規読者はどうして枯渇しまったのか。平成十五年「通信利用動向調査」にある「世代別のインターネット利用率の推移」を見れば事態が理解しやすい。世代別利用率は一〇、二〇、三〇代でもう九〇%に達し、四〇代も八四%である。ここからは新たな利用者は出なくなっている。残る未開拓層はデジタル・ディバイド傾向が強い五〇代以上でしかない。
一方、個人ニュースサイトを眺めると、かっての超有力サイト「バーチャルネットアイドル・ちゆ12歳」や「俺ニュース」などが休止してしまい、その穴が埋まっていない印象がある。残っているサイトはアクセス数を伸ばしているものの、かつて見た活気に乏しい。燃え尽き現象だろうか。
その物足りなさを読み解くカギが身近な所にあった。「大学改革は最悪のスタートに」を二〇〇四年五月半ばに公開した際、二つの個人ニュースサイトに紹介を頼んだ。硬い話だからと遠慮していたのだが、一つが応じてくれた。そこから二十四時間に千八百人もやって来た。そこの一日アクセス数の一二%に当たり、前に述べた「音楽産業」の時の一〇%より多かった。私も意外だったが、サイト運営者も「若い読者が多いから大学改革に関心があったのか」と驚いていた。
ニュースサイトに活気がない一番の原因は良いニュースのネタが無いことにあるのではないか。いや、ネタは存在しているのに、サイト運営者たちが過去の経験に捕らわれて自分の読者のニーズを見落としているのかも知れない。ニュースを選別するだけで生み出していないニュースサイトの限界だろう。とすれば、ブログとの組み合わせが新たな展開を開く可能性がある。二〇〇三年末頃から日本でもブログが台頭してきたが、影響力や動員力はメールマガジンやニュースサイトには、まだ比べるべくもない。しかし、ブログの運営者が切れ味がある良質のコメントを生み出して、ニュースサイトがそれに飛びついて広めるようなら事態が一変する。現状ではブログ側の質と、ニュースサイト側の選別眼がいずれも足りない、と私はみている。
メールマガジンについては、電子メール離れを引き起こしているスパムメール騒ぎに区切りがついてから、マガジン発行側の一人として再生策を見つけるつもりだ。通過していった人たちは個人ではせいぜい数十種のマガジンを経験したに過ぎず、メールマガジンが開いた膨大な世界がそれで尽きようはずもない。
商業主義へ反発から巨大水脈
音楽ソフトを始めとした様々なファイルの違法な交換は、インターネットが存在する社会の原罪とも考えられる。世界のファイル交換ソフト利用者は五千万人以上に上ると言われる。その一種である国産ソフトWinnyの利用者は二百万人以上とされ、数だけなら驚くほどではない。しかし、その成り立ちから開発者逮捕に至る流れと背景には日本独特のものがある。
二〇〇二年初めはファイル交換ソフトの利用者と業界関係者にとって非常に悩ましい時期だった。海外では、現在までのダウンロード本数が三億本を超える、世界最大のファイル交換サービス「KaZaA」に対して、オランダの裁判所が前年十一月に「著作権侵害に対して責任がある」との判決を出した。(これは後に控訴審の判決で覆る)
国内でも同じ十一月に、米国生まれのソフト「WinMX」でパソコンのビジネスソフトを交換出来るようにしていた疑いで大学生と専門学校生が京都府警に逮捕された。ファイル交換ソフト利用の責任を問われた世界初の刑事摘発だった。このソフトを使う限り使用者の特定は可能で、著作権関係団体から警告メッセージが送られたりした。
参加者にアウトローの気質が強い、有名な掲示板「2ちゃんねる」で「WinMXの次に来るものはなんなんだ」がテーマになって話し合われた。四十七番目の発言者が「暇なんで2chネラー向きのファイル共有ソフトつーのを作ってみるわ」と言い出したのが四月一日。ゴールデンウィークが終わる五月六日には、Winnyの最初のバージョンが公開された。
WinMXのように中央管理サーバーを必要とせず、ファイル交換参加者が各自のパソコン・ハードディスク内に提供したスペースに、誰かが流したファイルが暗号化されて漂流していく仕組みだった。キーワード検索で欲しいファイルを見つけ請求しておくと自分のパソコンに落ちてくる。全く管理者がいないのだから流出したら削除は不可能。後に生まれたウイルスの悪さで京都府警の捜査資料や芸能関係者のチャット内容が永遠の漂流物になってしまった。
KaZaAなどには広告を表示する仕組みが組み込まれており、ファイル交換自体が事業になっている。Winnyには商業要素はなく参加者がいっしょになって育てた。開発者がソフトを無料ホームページに置けば、使い方は周囲のユーザーが理解して解説し、宣伝していく。瞬く間に広まり参加者一人が一ギガバイトを提供するだけでも、通常のサーバーにファイルを置くのとは桁違いな巨大水脈が形成された。
徹底した匿名性について開発者は掲示板上で「著作物に対する課金システムはもう古いのではないか。遠隔地まで劣化がないデジタルコピーが送れるのに中間マージンを取りすぎだ。全く新しいシステムが必要であることを示すために匿名性を実現してみた」との趣旨と受け取れる発言をしている。(注2)
日本的なものが世界を変える
しかし、Winnyの匿名性は解読された。二〇〇三年十一月にユーザー二人が逮捕され、今年五月には開発者である東京大学助手も著作権法違反幇助の容疑で逮捕された。著作物コピーについては中立的なソフトウエアの開発者まで刑事摘発するのは行き過ぎであり、今後のソフト開発にまで影響するとの批判も出されている。ここまで警察権力を行使するのも、また極めて日本的なのかも知れない。
Winnyが合法的なファイルを流している限りではインターネットを大きく変質させたとも言える。高価な接続料を払う大サーバーでなければ出来ないファイルの流通を、一般大衆がバケツリレーで実現してしまった。大衆による大衆のネットワークが成立した。その結果として、国内のインターネット・トラフィックの三割はWinny利用で占めるとの推定があるほどだ。ネット利用者の半分はADSL回線などブロードバンド回線を使うに至った現状が可能にした。
適度な知的レベルと財力と規範にとらわれぬ好奇心を持った人間が多数存在する実験場は、世界にそうそう無い。ネット上には確かに日本語の壁や倫理観の差があって、日本独特の動きがそのままは広まっていかない。しかし、一度達成されたことは時を経れば確実に世界に広まり、世界を変えていくと考えねばならない。ちょうど自動車業界で生まれた「看板方式」が「ジャスト・イン・タイム」として業界標準になったように。
注1=http://kahoo.cside4.com/nero/inf05.html
注2=http://winny.info/2ch/47.html
●人口統計を動かすネット出会い
●日本以外では立ち上がらない
●ネット発信文化が曲がり角に
●ネット・ジャーナリズムも生む
●ニュースサイトは選別に問題意識
●自然発生で進んできた限界
●商業主義へ反発から巨大水脈
●日本的なものが世界を変える
ネット接続に群がる日本の光景
欧米人の気質を小さな集団で狩をして生きる肉食獣とすれば、日本人は群をなす草食動物と評した人がいた。それもバッファローの大群の如き存在で、ふだん容易には動かないが、ある朝、気付いたら大河を渡って故郷から遠い草原を支配してしまったりする。今、インターネット上で起きている光景には日本にしかないものがある。その大規模さはネットで繋がっているはずの海外の人たちからは想像が出来ないほどであり、日本人の特性が生み出したと考えざるを得ない。
ここでは三つのタイプに分類して論じる。海外でも有名になった出会い系サイトに代表される「個人対個人」、メールマガジンと個人ニュースサイト隆盛に見る「個人対大衆」、そして国産ファイル交換ソフト「Winny」が創出した巨大水脈「大衆対大衆」の世界である。
人口統計を動かすネット出会い
二〇〇〇年に起きた携帯電話の爆発的な普及に、インターネットに接続できる「iモード」サービスが大きな役割を果たしたことはよく知られている。インターネットへの接続は各携帯電話会社で当たり前になり、総務省は二〇〇 四年四月末で、携帯電話端末によるインターネットサービスの加入者数を七千二十五万人としている。
ただ、加入者全員は使ってはおらず、他の調査から考えると実際には五千万人程度がインターネットを利用し、パソコンなど別の端末を持たず専ら携帯電話を使う人は三割、千五百万人くらい。その利用目的のかなり大きな部分が疑いもなく出会い系サイトである。高校生から四〇代くらいまでの世代では二〇%以上が出会い系サイトの利用経験があるとする調査があちこちにある。
火遊びの機会を求める普通の個人が大量に存在し、出会い系サイトを運営して金儲けをしようとする人がいて、その運営用ソフトに膨大なメールアドレスをセットにして売り込もうとする業者が加わる狂騒ぶりである。お好きなように、と思っていた。
しかし、二〇〇〇年国勢調査の結果を詳細に検討するうちに、出会い系などネットによる接触機会拡大が中年男性を中心に結婚行動を変えてしまったのを発見して驚かされた。二〇〇一年の拙稿「非婚化の進展をITが阻み始めた」でこう分析した。
この国勢調査時点で五〇代前半の男性は、直前の五年間で一・二%もが結婚した。この同じ世代が四〇代後半だった五年間に結婚したのは〇・五%に過ぎず、五〇代に入る時点で結婚を諦め始めていたはずだったのに結婚意欲が再燃したのだ。一・二%は六万三千人に当たる。結婚の動きが全く無くなっていた五〇代後半の男性も〇・八%が結婚し、四〇代前半まで男性側の結婚増加傾向は続いていた。
女性側をみると二〇代を除いて中高齢まで結婚への動きが以前よりプラスに出ていて、特に三〇代の増加幅が大きい。中年男性側が子どもが出来る結婚相手を探したことをうかがわせる。出会い系利用者の調査ではこうした男性にエンジニアが多く、職場で適当な相手が見つかりにくいことから結婚相談業者の重要な顧客だった。
日本以外では立ち上がらない
これだけ劇的な影響力を持つ携帯電話によるインターネット接続が、日本以外ではなかなか立ち上がらない。欧米に持ち込んでみると写真を撮ってメールに添付したりする機能は面白がられるが、出会い系サイトなど冗談ではないと一蹴されるようだ。
当然と思う。日本にだけ小金を持ち、軽薄で好奇心に満ち、パソコンには弱い層が大量存在している。最新の文明の利器を子どもに使わせることを、親はあまり心配しなかった。いや、ブームになった新しい機械に親しませることは、乗り遅れを嫌がるこの国の風習では昔から善である。そうした中、ネット上の体験記などで娘が父親とメールでやり取りするようになって初めて意志疎通をしたとか言われると、あなたの家庭はどうなっているのか問いたい気になる。
携帯電話による出会い系サイトをきっかけにした児童買春などの事件が実際に急増している。警察庁に報告されている出会い系関連の児童買春事件は二〇〇二、三年と続けて七百件を超えた。これも氷山のほんの一角でしかない。結果がこれほどの変化であっても気にしないのは、本物の保守主義が存在しない日本だからだろう。
ネット発信文化が曲がり角に
日本独特のインターネット文化として、海外に例を見ない発達をしたものにメールマガジンがある。さらにもうひとつ、こちらはウェブサイトを運営していないと見えにくい存在ながら、個人が運営するテキスト系ニュースサイトもメールマガジン以上に巨大な影響力を持ち、ネット上に膨大なトラフィックを生む。この珍しい存在がいずれも曲がり角に来ているらしい。現状について述べる前に、二つのインターネット文化がどういうものであり、どれほどの力を発揮してきたかを紹介したい。
一九九七年初めにメールマガジンは誕生した。深水英一郎氏が個人で開設した配信システム「まぐまぐ」に始まる。企業が大量のメールを配信するシステムは存在したが、新しいシステムは、個人の編集長と個人の読者を相手にした。誰でも登録すれば無料で数百通でも数万通でも、思うときに送り出せる。最大手「まぐまぐ」が今、新規マガジンの情報を利用者に届ける週刊マガジンは、発行部数が四百四十万を数え、付随したジャンル別案内誌との広告収入で月間二億部を配る配信システムは維持されている。同様の後発システムを併せ、マガジンの種類は数万種、利用読者の実数は六百万人以上に達しよう。この文化に便乗して小泉内閣メールマガジンは二百万部以上も出していたことがあったが、大金を掛けてメールサーバーを設置しているから一般のメールマガジンとは違う。
マガジンの種類は文字で伝えられる事柄なら何でもある。株やマネー関係、芸能情報、アダルト、ダイエット、心理学、ウェブ情報、英語学習、転職、車情報、コンピューター……。マガジンの種類だけ数万人の編集長がいて、何かを訴えるべく日夜、考えている。発行部数が十万以上のマガジンもかなりあり、一万部を超えるものなら数百と並ぶリストは壮観である。これだけの部数だから広告収入を得るシステムも作られ、実際に広告で高収入を稼ぐ目的で作られたマガジンが数多く存在する。
ネット・ジャーナリズムも生む
こうした実用情報や趣味情報の他に、きちんとした各種の評論やマスメディアが伝える以上の政治・経済・社会分析もメールマガジンとして出されている。日本のネット・ジャーナリズムは、独自発達したメールマガジンを主な媒体にしたのだ。読者がわざわざ見に行かねばならないホームページで多くの人に読んでもらおうとすれば限度があるが、プッシュ型のメールマガジンと複合することで多くの読者を紙の媒体に依存しないでも獲得できた。代表例として先駆けになった「田中宇の国際ニュース解説」と、作家村上龍氏による経済・金融関係の「ジャパン・メール・メディア(JMM)」を挙げよう。いずれも現在、二十万前後の部数を持ち、メディア関係にも読者が多い。
ジャーナリストに限らず数えればきりがないほど、様々な知性が活動を始めている。それがメールマガジンやウェブだったりしている。一方で、既成メディアの不勉強ぶりは、取材を受ける専門家の間では前々から問題視されていた。私は十年以上前から日本の市民社会に起きている現象に気付いていた。それはこう表現できよう。
高度成長期に入るまでは、新聞を先頭にしたメディアがカバーしていた知のレベルは社会全体をほぼ覆っていた。技術革新の進展と裏腹の矛盾、歪みの集積は社会のあちこちに先鋭な問題意識を植え付け、メディアがふんわりと覆っていた知の膜を随所で突き破るピークが林立するようになった。特定のことについて非常に詳しい読者が多数現れ、メディア報道は物足りない、間違っていると批判する。メディア側はそれに対して真正面から応えるよりも、防御することに熱心になった。読者とのギャップはますます広がっている。なぜなら、知のピークはどんどん高くなり、ピークの数も増すばかりだから。
ニュースサイトは選別に問題意識
米国を中心に流行のブログに似ている面もあるが、個人ニュースサイトも日本独自で発達した。関心を持ったニュースのリンク先と簡単なコメントを並べて構成される単純さ、誰でもが手を出して長期に続けられる手軽さが受けて、どんどん増殖している。いつから始まったと言える存在ではないが、メールマガジンと前後して力を持ってきた。先駆と言われる「ムーノーローカル」は一九九九年に当時の個人サイトとしては記録的な百万ページビューを達成した。ただ、日本のニュースサイトは政治的なコメントも多い米国のブログと違って、趣味のゲーム系やコンピューター系、社会ニュースでも面白い軟派系のニュースを主に扱う。
ニュースサイトはマスメディアがウェブで流すニュースを中心に1日に何回も更新する。最大のものになると毎日のアクセス数が十五万くらいになり、以下数万、数千、数百と続き、全体でいくつあるのか新旧交代が激しくてつかめない。他のサイトが取り上げたニュースに面白いものがあれば自分のページのリンクに直ちに追加するので、カスケード効果が生まれ、まるで津波のような膨大な短期集中アクセスが発生する。
私が二〇〇二年に「音楽産業は自滅の道を転がる」を書いた際、ウェブ公開から三十時間で一万のアクセスを経験した。それ以前にも津波アクセスの経験はあったが、大きすぎてアクセス記録を急ぎ破棄する必要に迫られ実態をつかみきれなかった。一万アクセスの内訳は最大サイトから四千、二番手から千、その他二百余りのサイトから五千であり、カスケードが目に見えるようだ。もっと面白いと感じられるニュースなら、一日で十万、二十万の津波が毎日のように起きている。
運営当事者は何を考えているのか、自ら評論している「破竹と死守と」(注1)から概略まとめるとこうなる。「我々は長い間、受動的な情報手段しかもたなかった。人は物事を知ると本質的に他人に教えたくなる性癖があり、それが個人発信の波になった。『情報を処理する』とは事の真意を確かめ適切な意見・考察を述べることだ。処理されていない情報は独り歩きし、勝手な推測を生んでしまう。マスコミがこの作業を怠りすぎたから個人ニュースサイトの隆盛を生んだ、と考えられよう」
ここでもメディアの死角になっている所で、市民の問題意識が働いて自然発生的な運動が起きていた。もちろん津波アクセスの対象にはメディア発だけでなく、名も無い市民がウェブに書いたニュースも含まれる。
自然発生で進んできた限界
拡大一途だったメールマガジンに変調が感じられるようになったのは、二〇〇三年半ばだった。大部数を持つマガジンは成長が止まり、やがて減少傾向に転じた。二〇〇四年の五月初めと三月初めの二カ月間で比べると、成長している例外もあるものの三%、四%の減少が当たり前になった。これは硬派ものも軟派ものも同じだ。いや、実用情報や趣味情報の方が減少速度は速く、中身のある硬派ものマガジンはゆっくりと落ちている。
減少原因ははっきりしていて、メールマガジン購読に新規に参入する読者がほぼ枯渇したことにある。「まぐまぐ」が読者向けに発行しているウィークリー誌の部数が読者数の動きをほぼ反映している。順調に伸びていたのに、二〇〇三年初めで頭打ちになり、以後四百四十万部前後でほとんど変わらぬ状態が続いている。メールマガジンの読者は、気に入ってずっと固定読者になる層と、一定期間読んで止めていく層に分かれる。やめていく数に見合った新規読者が生まれて、横這いになる。現状はやめていく数に新規が全く追いついていない。
新規読者はどうして枯渇しまったのか。平成十五年「通信利用動向調査」にある「世代別のインターネット利用率の推移」を見れば事態が理解しやすい。世代別利用率は一〇、二〇、三〇代でもう九〇%に達し、四〇代も八四%である。ここからは新たな利用者は出なくなっている。残る未開拓層はデジタル・ディバイド傾向が強い五〇代以上でしかない。
一方、個人ニュースサイトを眺めると、かっての超有力サイト「バーチャルネットアイドル・ちゆ12歳」や「俺ニュース」などが休止してしまい、その穴が埋まっていない印象がある。残っているサイトはアクセス数を伸ばしているものの、かつて見た活気に乏しい。燃え尽き現象だろうか。
その物足りなさを読み解くカギが身近な所にあった。「大学改革は最悪のスタートに」を二〇〇四年五月半ばに公開した際、二つの個人ニュースサイトに紹介を頼んだ。硬い話だからと遠慮していたのだが、一つが応じてくれた。そこから二十四時間に千八百人もやって来た。そこの一日アクセス数の一二%に当たり、前に述べた「音楽産業」の時の一〇%より多かった。私も意外だったが、サイト運営者も「若い読者が多いから大学改革に関心があったのか」と驚いていた。
ニュースサイトに活気がない一番の原因は良いニュースのネタが無いことにあるのではないか。いや、ネタは存在しているのに、サイト運営者たちが過去の経験に捕らわれて自分の読者のニーズを見落としているのかも知れない。ニュースを選別するだけで生み出していないニュースサイトの限界だろう。とすれば、ブログとの組み合わせが新たな展開を開く可能性がある。二〇〇三年末頃から日本でもブログが台頭してきたが、影響力や動員力はメールマガジンやニュースサイトには、まだ比べるべくもない。しかし、ブログの運営者が切れ味がある良質のコメントを生み出して、ニュースサイトがそれに飛びついて広めるようなら事態が一変する。現状ではブログ側の質と、ニュースサイト側の選別眼がいずれも足りない、と私はみている。
メールマガジンについては、電子メール離れを引き起こしているスパムメール騒ぎに区切りがついてから、マガジン発行側の一人として再生策を見つけるつもりだ。通過していった人たちは個人ではせいぜい数十種のマガジンを経験したに過ぎず、メールマガジンが開いた膨大な世界がそれで尽きようはずもない。
商業主義へ反発から巨大水脈
音楽ソフトを始めとした様々なファイルの違法な交換は、インターネットが存在する社会の原罪とも考えられる。世界のファイル交換ソフト利用者は五千万人以上に上ると言われる。その一種である国産ソフトWinnyの利用者は二百万人以上とされ、数だけなら驚くほどではない。しかし、その成り立ちから開発者逮捕に至る流れと背景には日本独特のものがある。
二〇〇二年初めはファイル交換ソフトの利用者と業界関係者にとって非常に悩ましい時期だった。海外では、現在までのダウンロード本数が三億本を超える、世界最大のファイル交換サービス「KaZaA」に対して、オランダの裁判所が前年十一月に「著作権侵害に対して責任がある」との判決を出した。(これは後に控訴審の判決で覆る)
国内でも同じ十一月に、米国生まれのソフト「WinMX」でパソコンのビジネスソフトを交換出来るようにしていた疑いで大学生と専門学校生が京都府警に逮捕された。ファイル交換ソフト利用の責任を問われた世界初の刑事摘発だった。このソフトを使う限り使用者の特定は可能で、著作権関係団体から警告メッセージが送られたりした。
参加者にアウトローの気質が強い、有名な掲示板「2ちゃんねる」で「WinMXの次に来るものはなんなんだ」がテーマになって話し合われた。四十七番目の発言者が「暇なんで2chネラー向きのファイル共有ソフトつーのを作ってみるわ」と言い出したのが四月一日。ゴールデンウィークが終わる五月六日には、Winnyの最初のバージョンが公開された。
WinMXのように中央管理サーバーを必要とせず、ファイル交換参加者が各自のパソコン・ハードディスク内に提供したスペースに、誰かが流したファイルが暗号化されて漂流していく仕組みだった。キーワード検索で欲しいファイルを見つけ請求しておくと自分のパソコンに落ちてくる。全く管理者がいないのだから流出したら削除は不可能。後に生まれたウイルスの悪さで京都府警の捜査資料や芸能関係者のチャット内容が永遠の漂流物になってしまった。
KaZaAなどには広告を表示する仕組みが組み込まれており、ファイル交換自体が事業になっている。Winnyには商業要素はなく参加者がいっしょになって育てた。開発者がソフトを無料ホームページに置けば、使い方は周囲のユーザーが理解して解説し、宣伝していく。瞬く間に広まり参加者一人が一ギガバイトを提供するだけでも、通常のサーバーにファイルを置くのとは桁違いな巨大水脈が形成された。
徹底した匿名性について開発者は掲示板上で「著作物に対する課金システムはもう古いのではないか。遠隔地まで劣化がないデジタルコピーが送れるのに中間マージンを取りすぎだ。全く新しいシステムが必要であることを示すために匿名性を実現してみた」との趣旨と受け取れる発言をしている。(注2)
日本的なものが世界を変える
しかし、Winnyの匿名性は解読された。二〇〇三年十一月にユーザー二人が逮捕され、今年五月には開発者である東京大学助手も著作権法違反幇助の容疑で逮捕された。著作物コピーについては中立的なソフトウエアの開発者まで刑事摘発するのは行き過ぎであり、今後のソフト開発にまで影響するとの批判も出されている。ここまで警察権力を行使するのも、また極めて日本的なのかも知れない。
Winnyが合法的なファイルを流している限りではインターネットを大きく変質させたとも言える。高価な接続料を払う大サーバーでなければ出来ないファイルの流通を、一般大衆がバケツリレーで実現してしまった。大衆による大衆のネットワークが成立した。その結果として、国内のインターネット・トラフィックの三割はWinny利用で占めるとの推定があるほどだ。ネット利用者の半分はADSL回線などブロードバンド回線を使うに至った現状が可能にした。
適度な知的レベルと財力と規範にとらわれぬ好奇心を持った人間が多数存在する実験場は、世界にそうそう無い。ネット上には確かに日本語の壁や倫理観の差があって、日本独特の動きがそのままは広まっていかない。しかし、一度達成されたことは時を経れば確実に世界に広まり、世界を変えていくと考えねばならない。ちょうど自動車業界で生まれた「看板方式」が「ジャスト・イン・タイム」として業界標準になったように。
注1=http://kahoo.cside4.com/nero/inf05.html
注2=http://winny.info/2ch/47.html