第477回「安全になれぬ韓国、手抜き勝手の国民意識が原因」
法治国家に対し人治国家とは時の政権が恣意的に法律解釈を変えるような状態を言います。韓国の場合は法やルールに従うかどうか誰もが勝手に判断している「5000万総人治」であり、安全になれる方が不思議と言えます。300人を超える犠牲を出したセウォル号沈没を機に韓国ウオッチを1年間、続けて得た結論です。まず、事故当初、沈没前の助けられるのに助けなかった惨状をご覧ください。
昨年4月16日に事故があって22日に海洋警察が公開した現場写真です。これだけ傾いているのに乗客は船室待機です。救助に来た海洋警察官の無為ぶりを映し出しているので、この直後に逃げ出した船員ばかり非難していた朝鮮日報などを『沈没報道の韓国メディア、海洋警察の劣悪さ無視』と厳しく指弾しました。その後、法廷で海難専門家は写真のタイミングでも放送などで「甲板へ脱出」と指示さえすれば乗客全員助かったのではないかと証言しています。
日本の海上保安官が船体が傾いた現場に来て思案投げ首をしている失態はあり得ません。さらに沈没後も船内突入救助がなかなか出来ません。ところが、当時の朝鮮日報《旅客船沈没:大統領の叱責恐れもたつく官僚》はこう伝えました。
《政府や与党の関係者は「今回のセウォル号沈没事故で、専門性を備えた公務員が現場で積極的に動けずにいるのは『過ちを犯せば自分が全ての責任を負わされる』と恐れているためだ」》《「公務員は『自分ばかりが出て行って過ちを犯せば、責任を負わされる』と考えているため消極的だ。事態が終息したら誰も責任を取らない、ということを経験的に知っている」と語った》
皆が決められたルールを守り、守らなければ罰せられる法治国家なら、他の人も最低限ここまではやってくれるはずと目処が付けられます。他の人がしている仕事の上に自分の職分をそれぞれ積み上げていくから、社会全体として機能できます。韓国社会ではそう働かないと端的に示したのが、沈没事故から半月余りで起きたソウル地下鉄追突事故です。
正常な状態ならトラブルで止まっていた先行列車の後ろは停止の「赤」、「赤」の次は「赤」になっていて、一つ前で自動列車停止装置ATSが働くから後続列車は安全に停止できます。赤信号の次は最低でも注意の「黄」か「赤」でなければならないのは世界共通の信号ルールです。ところが、ソウル地下鉄事故では「赤」の次が「青」になる間違った設定がされてしまい、しかも毎日、信号を点検しているのに4日間も発見されずに事故に至りました。信号の状況図は『韓国で列車に乗るな:信号機の世界共通則を破る』で参照してください。
この設定間違いと4日間の点検に何人が関与しているのか明らかでないが、少なくとも1人や2人であるはずがありません。プロの鉄道関係者である何人か何十人かが自分の職分をいい加減にして恥じない国が安全に運営されるはずがないと申し上げます。『奇怪な韓国の闇、民衆は達観する「愚政府・愚役人」』で取り上げたように検察、警察はじめ役人の能力も酷い国です。
セウォル号事故1年を機に書かれた韓国大手メディアの社説を読んで、これまでに指摘した国民に蔓延する手抜き癖、それによる構造的な欠陥がお分かりでないと思えました。
朝鮮日報の《【社説】無為に過ぎたセウォル号沈没事故1年》は単純に安全意識を問題にします。地下鉄以外にも続く事故の連続に《韓国での人命軽視を目の当たりにすると、依然として後進国から脱せられていないとの挫折感がわき上がってくる》《結局、韓国人はこの1年間を無駄に過ごしたことになる。大統領は国の枠組みを変えなければならないとして「国家改造」を叫んだが、響き渡ることのないまま口先だけになってしまった。海洋警察庁解体後、新たに発足した国民安全処(省庁の一つ)が社会の安全水準を引き上げるのにどれだけ貢献しているのか、我々国民にはよく分からない》
一方、中央日報は共感能力の低さを問いました。《【社説】セウォル号から1年…いまだに何も変わっていなかった》は、安全度は変わっていないとする世論調査結果を紹介し、《マンネリズムに陥ったリーダーシップは行政府組織を変えただけ、無能と惰性は変わらなかった》と嘆きます。
さらに言います。《韓国社会の「共感能力」は低かった。アダム・スミスは『道徳感情論』で社会を支える柱としての定義を「共感」といった。共感は他人に対する憐憫を感じる程度ではなく、相手の立場になってその感情を自分のことのように感じられる能力をいう。個人の生活でも公的活動でも、いくら理性的判断をしなければならない時でも共感を土台にした道徳的判断が発揮されてこそ社会が正常に回っていけるということだ。犠牲者と家族の悲しみに共感し、共に傷を癒そうと努力するのが真の市民精神だ》
韓国社会は適切な判断が出来る賢者ばかりの集合体であると考え違いをしていませんか。むしろ、日々の生活に追われている個々の国民に賢者の役割を求めるから、ルールからの恣意的な逸脱が起きると見ます。ネットで流れる韓国民のニュースコメントを読んでいると、一般の国民が法律の内容を独自に評価し、従うかどうか勝手に決めている感が強いのです。法やルールは、まず額面通りきちんと実行して、問題ありと考えるなら後から異議申立てをすれば良いはずです。個人判断でされた勝手な手抜きがどこに潜んでいるか知れない社会など、危なくて付き合っていられません。
日本の海上保安官が船体が傾いた現場に来て思案投げ首をしている失態はあり得ません。さらに沈没後も船内突入救助がなかなか出来ません。ところが、当時の朝鮮日報《旅客船沈没:大統領の叱責恐れもたつく官僚》はこう伝えました。
《政府や与党の関係者は「今回のセウォル号沈没事故で、専門性を備えた公務員が現場で積極的に動けずにいるのは『過ちを犯せば自分が全ての責任を負わされる』と恐れているためだ」》《「公務員は『自分ばかりが出て行って過ちを犯せば、責任を負わされる』と考えているため消極的だ。事態が終息したら誰も責任を取らない、ということを経験的に知っている」と語った》
皆が決められたルールを守り、守らなければ罰せられる法治国家なら、他の人も最低限ここまではやってくれるはずと目処が付けられます。他の人がしている仕事の上に自分の職分をそれぞれ積み上げていくから、社会全体として機能できます。韓国社会ではそう働かないと端的に示したのが、沈没事故から半月余りで起きたソウル地下鉄追突事故です。
正常な状態ならトラブルで止まっていた先行列車の後ろは停止の「赤」、「赤」の次は「赤」になっていて、一つ前で自動列車停止装置ATSが働くから後続列車は安全に停止できます。赤信号の次は最低でも注意の「黄」か「赤」でなければならないのは世界共通の信号ルールです。ところが、ソウル地下鉄事故では「赤」の次が「青」になる間違った設定がされてしまい、しかも毎日、信号を点検しているのに4日間も発見されずに事故に至りました。信号の状況図は『韓国で列車に乗るな:信号機の世界共通則を破る』で参照してください。
この設定間違いと4日間の点検に何人が関与しているのか明らかでないが、少なくとも1人や2人であるはずがありません。プロの鉄道関係者である何人か何十人かが自分の職分をいい加減にして恥じない国が安全に運営されるはずがないと申し上げます。『奇怪な韓国の闇、民衆は達観する「愚政府・愚役人」』で取り上げたように検察、警察はじめ役人の能力も酷い国です。
セウォル号事故1年を機に書かれた韓国大手メディアの社説を読んで、これまでに指摘した国民に蔓延する手抜き癖、それによる構造的な欠陥がお分かりでないと思えました。
朝鮮日報の《【社説】無為に過ぎたセウォル号沈没事故1年》は単純に安全意識を問題にします。地下鉄以外にも続く事故の連続に《韓国での人命軽視を目の当たりにすると、依然として後進国から脱せられていないとの挫折感がわき上がってくる》《結局、韓国人はこの1年間を無駄に過ごしたことになる。大統領は国の枠組みを変えなければならないとして「国家改造」を叫んだが、響き渡ることのないまま口先だけになってしまった。海洋警察庁解体後、新たに発足した国民安全処(省庁の一つ)が社会の安全水準を引き上げるのにどれだけ貢献しているのか、我々国民にはよく分からない》
一方、中央日報は共感能力の低さを問いました。《【社説】セウォル号から1年…いまだに何も変わっていなかった》は、安全度は変わっていないとする世論調査結果を紹介し、《マンネリズムに陥ったリーダーシップは行政府組織を変えただけ、無能と惰性は変わらなかった》と嘆きます。
さらに言います。《韓国社会の「共感能力」は低かった。アダム・スミスは『道徳感情論』で社会を支える柱としての定義を「共感」といった。共感は他人に対する憐憫を感じる程度ではなく、相手の立場になってその感情を自分のことのように感じられる能力をいう。個人の生活でも公的活動でも、いくら理性的判断をしなければならない時でも共感を土台にした道徳的判断が発揮されてこそ社会が正常に回っていけるということだ。犠牲者と家族の悲しみに共感し、共に傷を癒そうと努力するのが真の市民精神だ》
韓国社会は適切な判断が出来る賢者ばかりの集合体であると考え違いをしていませんか。むしろ、日々の生活に追われている個々の国民に賢者の役割を求めるから、ルールからの恣意的な逸脱が起きると見ます。ネットで流れる韓国民のニュースコメントを読んでいると、一般の国民が法律の内容を独自に評価し、従うかどうか勝手に決めている感が強いのです。法やルールは、まず額面通りきちんと実行して、問題ありと考えるなら後から異議申立てをすれば良いはずです。個人判断でされた勝手な手抜きがどこに潜んでいるか知れない社会など、危なくて付き合っていられません。