圧縮版「福島原発事故と科学力失速に見る政府依存報道」
中央官庁官僚の理解力を超えられないで一国の現在、未来を語れるはずがない、と思っています。ところが、日本の新聞・放送など既成メディアは愚かな自己限界を知ろうともしません。限界に囲い込まれてぬくぬくです。表題のタイトルで、昨年末、立命館大産業社会学部【活字メディア論】ゲスト講義をしました。大教室で正味1時間20分の講義録『福島原発事故と科学力失速に見る政府依存報道』(2019/12/20)は長すぎますから、超圧縮版を作りました。途中の副見出しにあって語られていない内容は講義録にありますから参照してください。原資料へのリンクもそちらにあります。
《はじめに》今回お話しするのは日本のメインストリームメディアの大欠陥についてです。報道の自由がありなんでもニュースになっているように見えますが、日本における報道の自由は大幅に制限されていると考えられます。福島原発事故報道が大きな転換点になったと指摘できます。炉心溶融の有無をめぐり「大本営発表」報道に引きずり込まれ、政府に屈しました。自分の力で事実を調べ、起きている事態の意味を言う能力、即ちジャーナリズムの本質は失われて来ています。数年周期で中央官庁の担当記者が交代し、官庁からのリークで記事を書いている現状では官僚の理解力を超えるのは至難です。2017年、世界の二大科学誌・英ネイチャー誌特集が「日本の科学力は失速」と明確に打ち出した際は理解すらできませんでした。翌年の2018年6月、科学技術白書が渋々と「日本の科学研究が近年失速、世界で存在感が無くなりつつある」と認めても無反応に近かったのです。今年の吉野彰さんノーベル賞受賞の記事後段で初めて、各社は一斉に科学力失速の現状を指摘、2000年から始まったノーベル賞ラッシュも長くは続かないだろうと伝えました。こんな場当たりで自前の見識が無いジャーナリズムが日本の新聞各社をはじめとした既成メディアの実態なのです。
「炉心溶融が2カ月も紙面から消えた怪」
「ばらばら事故調にほくそ笑む原子力ムラ」
「福島事故原因と責任隠蔽へのメディア無定見」
★世界報道自由度ランキングの墜落 「国境なき記者団」が年1回発表している指標である「世界報道自由度ランキング」で日本がどう推移しているのかグラフにしました。ランキング上位の常連は北欧三国やオランダ、デンマーク、スイスといった国々であり、2019年の日本は67位でした。日本の前後を並べると65位ギリシャ、66位ニジェール、68位マラウイ、69位セーシェルなどです。グラフの通り、日本は東日本大震災と福島原発事故の前年2010年には11位にランクされていました。まずまず座り心地が良いこの位置から2013年に53位、2016年には72位まで墜落した大きな要因は政府発表に過度に依存した「大本営発表」報道であり、取材の基本を忘れた恣意性です。放射線被ばくを恐れて記者に「現場から直ちに引け」と命じつつ紙面には「100ミリシーベルトまでは怖くない」と出す整合しない報道姿勢などでした。
★2カ月間も隠蔽された「炉心溶融」
事故発生の翌3月12日午前段階で福島第一原子力発電所正門の放射線量がぐんぐん上昇し、放射性ヨウ素が見つかるとの報道を知って炉心溶融が起きて間違いなく核燃料の被覆管が損傷したと確信しました。日経新聞は冷却水が減って燃料棒の上半分が露出したと伝えました。ところが「炉心溶融」は新聞紙面、大手メディア報道から消え去ってしまい、5月半ばになって復活します。政府は炉心溶融を口にした原子力安全・保安院の審議官を発表の場から外しましたから、事故を軽く見せようとする意図があったと私は見ました。
これは世界標準の原発報道から見てあまりにも恥ずかしく、大阪本社から東京本社に専門家のコメントも付けて「炉心溶融している」との原稿が出されましたが、東京本社は政府が認めていないとして握りつぶしたと聞いています。真偽にいささか疑問符が付くものの、5年後の2016年に経緯が明らかになりました。炉心溶融が2カ月間も政府・東電の発表から消えた理由は、東電が判断根拠を持たなかったからであり、今になって調べると「社内マニュアル上では、炉心損傷割合が5%を超えていれば、炉心溶融と判定することが明記」されていたので、判断する根拠は備わっていました。大津波4日目には5%を超す損傷が確認されて法令に従った報告書が提出されていたのです。
福島原発事故で炉心溶融が隠蔽された問題の報告を読んで、東電の語るに落ちる無能さが再認識されました。無批判に隠蔽に乗っかった在京メディア各社も他人事のように報道すべきではなく、自らの責任も取るべきです。原発事故に際して公式の発表は福島現地の住民や国民に広く事態の真実を知らせるためにあるのです。その本分を外れて重大事態を軽く見せようとした東電、炉心溶融を口にした原子力安全・保安院の審議官を発表から外した政府も同罪ですし、メディア内部でも疑問の声が握りつぶされていたと聞きます。報道の自由世界ランキングを大幅に下げた国内メディアの覇気の無さはここから始まったのです。
「ネイチャー誌の明快な主張すら理解せず」
「日本だけ研究論文減で世界シェア大幅減」
「大学教員数減らしのための独立法人化だった」
★根が深い大学改革問題をメディアは理解できない
私は朝日賞の選考に長く携わった経験から研究の画期性や評価の在り方について第一線研究者と議論する機会が多くあり、90年代末から文科省による国立大学改革議論の危うさに気付き、2004年、国立大学の独立法人化が過ちであると指摘し、ずっと警鐘を鳴らして来ました。大学関係者の中にも鈴鹿医療科学大学学長の豊田長康さんのように科学技術立国の危機を各種データを分析、咀嚼して訴える方がいらっしゃいます。しかし、数年で担当省庁を交替していく既成メディアの記者には見てもチンプンカンプンな警鐘だったようです。文科省官僚からのリークで記事を書きたいとしか思っていない記者が、「この四半世紀、文科省が執行している政策は亡国の政策だ」と言われて根が深い大学政策の問題に手を出すはずもなかったのです。
世界の二大科学誌である英ネイチャー誌に日本人の論文が載ろうものなら各メディアは競って大きな扱いで書いてきました。そのネイチャーの2017年3月特集が「日本の科学力は失速」と明確に打ち出したのですから、頑迷な既成メディアも目が覚めるだろうと期待しましたが、どの社も正面から受け止めようとしませんでした。この鈍感さにネイチャー誌も驚いたのでしょう、8月には再び社説で科学力失速と対応策を求める再警鐘を鳴らしましたが、政府もマスメディアも反応しませんでした。ネイチャーは特集で丁寧にも日本語プレスリリースを用意してこう述べています。
《世界の全論文数が2005年から2015年にかけて約80%増加しているにもかかわらず、日本からの論文数は14%しか増えておらず、全論文中で日本からの論文が占める割合も7.4%から4.7%へと減少しています》《他の国々は研究開発への支出を大幅に増やしています。この間に日本の政府は、大学が職員の給与に充てる補助金を削減しました》《各大学は長期雇用の職位数を減らし、研究者を短期契約で雇用する方向へと変化したのです》 第554回「科学技術立国崩壊の共犯に堕したマスメディア」(2017/04/21)で作成したグラフです。国立大学法人運営費交付金の削減と世界での論文数シェア減少の相関ぶりがひと目で理解できると思います。犯人探しの議論が起こる中で驚くべきは日経新聞で、政府筋から示唆を受けたのでしょう、日本の科学力失速の元凶は国立大と言わんばかりの論陣を張りました。新潟大教授が明かした教員一人あたりの研究費の推移を紹介しておきます。年間で3万円ではコピー代にしかなりません。
2003年度まで 研究費約40万円 + 出張旅費6万円
2004年度独法化 出張旅費を含めた研究教育費が20万円
2015年度 同上 10万円
2016年度 同上 3万円
★最新のデータで知る「日本は並みの国」
《はじめに》で述べたように2018年6月、科学技術白書が渋々と『日本の科学研究が近年失速、世界で存在感が無くなりつつある』と認めてもメディアは無反応に近かったのです。今年の吉野彰さんノーベル賞受賞から、もうノーベル賞ラッシュは長続きしないでしょうとのお断りが各社記事に付くようになりました。 第622回「迫るノーベル賞枯渇時代、見えぬ抜本政策転換」(2019/10/28)で全米科学財団(NSF)の『科学と工学の指標2018』第5章学術研究開発(英語)を見つけて作成したグラフです。ネイチャーよりも研究論文の範囲をやや広くとっています。2006年と2016年を比べて日本だけが論文数を減らしました。世界シェアが2006年の7.0%から2016年には4.2%に低下です。10年でシェア4割減はとても大きいと考えられます。2000年ごろには10%のシェアで米国に次いで二番手にいたのが今や「並みの国」です。シェア4%台からさらに落ちようとしている日本に輝かしい未来はありません。
《はじめに》今回お話しするのは日本のメインストリームメディアの大欠陥についてです。報道の自由がありなんでもニュースになっているように見えますが、日本における報道の自由は大幅に制限されていると考えられます。福島原発事故報道が大きな転換点になったと指摘できます。炉心溶融の有無をめぐり「大本営発表」報道に引きずり込まれ、政府に屈しました。自分の力で事実を調べ、起きている事態の意味を言う能力、即ちジャーナリズムの本質は失われて来ています。数年周期で中央官庁の担当記者が交代し、官庁からのリークで記事を書いている現状では官僚の理解力を超えるのは至難です。2017年、世界の二大科学誌・英ネイチャー誌特集が「日本の科学力は失速」と明確に打ち出した際は理解すらできませんでした。翌年の2018年6月、科学技術白書が渋々と「日本の科学研究が近年失速、世界で存在感が無くなりつつある」と認めても無反応に近かったのです。今年の吉野彰さんノーベル賞受賞の記事後段で初めて、各社は一斉に科学力失速の現状を指摘、2000年から始まったノーベル賞ラッシュも長くは続かないだろうと伝えました。こんな場当たりで自前の見識が無いジャーナリズムが日本の新聞各社をはじめとした既成メディアの実態なのです。
「炉心溶融が2カ月も紙面から消えた怪」
「ばらばら事故調にほくそ笑む原子力ムラ」
「福島事故原因と責任隠蔽へのメディア無定見」
★世界報道自由度ランキングの墜落 「国境なき記者団」が年1回発表している指標である「世界報道自由度ランキング」で日本がどう推移しているのかグラフにしました。ランキング上位の常連は北欧三国やオランダ、デンマーク、スイスといった国々であり、2019年の日本は67位でした。日本の前後を並べると65位ギリシャ、66位ニジェール、68位マラウイ、69位セーシェルなどです。グラフの通り、日本は東日本大震災と福島原発事故の前年2010年には11位にランクされていました。まずまず座り心地が良いこの位置から2013年に53位、2016年には72位まで墜落した大きな要因は政府発表に過度に依存した「大本営発表」報道であり、取材の基本を忘れた恣意性です。放射線被ばくを恐れて記者に「現場から直ちに引け」と命じつつ紙面には「100ミリシーベルトまでは怖くない」と出す整合しない報道姿勢などでした。
★2カ月間も隠蔽された「炉心溶融」
事故発生の翌3月12日午前段階で福島第一原子力発電所正門の放射線量がぐんぐん上昇し、放射性ヨウ素が見つかるとの報道を知って炉心溶融が起きて間違いなく核燃料の被覆管が損傷したと確信しました。日経新聞は冷却水が減って燃料棒の上半分が露出したと伝えました。ところが「炉心溶融」は新聞紙面、大手メディア報道から消え去ってしまい、5月半ばになって復活します。政府は炉心溶融を口にした原子力安全・保安院の審議官を発表の場から外しましたから、事故を軽く見せようとする意図があったと私は見ました。
これは世界標準の原発報道から見てあまりにも恥ずかしく、大阪本社から東京本社に専門家のコメントも付けて「炉心溶融している」との原稿が出されましたが、東京本社は政府が認めていないとして握りつぶしたと聞いています。真偽にいささか疑問符が付くものの、5年後の2016年に経緯が明らかになりました。炉心溶融が2カ月間も政府・東電の発表から消えた理由は、東電が判断根拠を持たなかったからであり、今になって調べると「社内マニュアル上では、炉心損傷割合が5%を超えていれば、炉心溶融と判定することが明記」されていたので、判断する根拠は備わっていました。大津波4日目には5%を超す損傷が確認されて法令に従った報告書が提出されていたのです。
福島原発事故で炉心溶融が隠蔽された問題の報告を読んで、東電の語るに落ちる無能さが再認識されました。無批判に隠蔽に乗っかった在京メディア各社も他人事のように報道すべきではなく、自らの責任も取るべきです。原発事故に際して公式の発表は福島現地の住民や国民に広く事態の真実を知らせるためにあるのです。その本分を外れて重大事態を軽く見せようとした東電、炉心溶融を口にした原子力安全・保安院の審議官を発表から外した政府も同罪ですし、メディア内部でも疑問の声が握りつぶされていたと聞きます。報道の自由世界ランキングを大幅に下げた国内メディアの覇気の無さはここから始まったのです。
「ネイチャー誌の明快な主張すら理解せず」
「日本だけ研究論文減で世界シェア大幅減」
「大学教員数減らしのための独立法人化だった」
★根が深い大学改革問題をメディアは理解できない
私は朝日賞の選考に長く携わった経験から研究の画期性や評価の在り方について第一線研究者と議論する機会が多くあり、90年代末から文科省による国立大学改革議論の危うさに気付き、2004年、国立大学の独立法人化が過ちであると指摘し、ずっと警鐘を鳴らして来ました。大学関係者の中にも鈴鹿医療科学大学学長の豊田長康さんのように科学技術立国の危機を各種データを分析、咀嚼して訴える方がいらっしゃいます。しかし、数年で担当省庁を交替していく既成メディアの記者には見てもチンプンカンプンな警鐘だったようです。文科省官僚からのリークで記事を書きたいとしか思っていない記者が、「この四半世紀、文科省が執行している政策は亡国の政策だ」と言われて根が深い大学政策の問題に手を出すはずもなかったのです。
世界の二大科学誌である英ネイチャー誌に日本人の論文が載ろうものなら各メディアは競って大きな扱いで書いてきました。そのネイチャーの2017年3月特集が「日本の科学力は失速」と明確に打ち出したのですから、頑迷な既成メディアも目が覚めるだろうと期待しましたが、どの社も正面から受け止めようとしませんでした。この鈍感さにネイチャー誌も驚いたのでしょう、8月には再び社説で科学力失速と対応策を求める再警鐘を鳴らしましたが、政府もマスメディアも反応しませんでした。ネイチャーは特集で丁寧にも日本語プレスリリースを用意してこう述べています。
《世界の全論文数が2005年から2015年にかけて約80%増加しているにもかかわらず、日本からの論文数は14%しか増えておらず、全論文中で日本からの論文が占める割合も7.4%から4.7%へと減少しています》《他の国々は研究開発への支出を大幅に増やしています。この間に日本の政府は、大学が職員の給与に充てる補助金を削減しました》《各大学は長期雇用の職位数を減らし、研究者を短期契約で雇用する方向へと変化したのです》 第554回「科学技術立国崩壊の共犯に堕したマスメディア」(2017/04/21)で作成したグラフです。国立大学法人運営費交付金の削減と世界での論文数シェア減少の相関ぶりがひと目で理解できると思います。犯人探しの議論が起こる中で驚くべきは日経新聞で、政府筋から示唆を受けたのでしょう、日本の科学力失速の元凶は国立大と言わんばかりの論陣を張りました。新潟大教授が明かした教員一人あたりの研究費の推移を紹介しておきます。年間で3万円ではコピー代にしかなりません。
2003年度まで 研究費約40万円 + 出張旅費6万円
2004年度独法化 出張旅費を含めた研究教育費が20万円
2015年度 同上 10万円
2016年度 同上 3万円
★最新のデータで知る「日本は並みの国」
《はじめに》で述べたように2018年6月、科学技術白書が渋々と『日本の科学研究が近年失速、世界で存在感が無くなりつつある』と認めてもメディアは無反応に近かったのです。今年の吉野彰さんノーベル賞受賞から、もうノーベル賞ラッシュは長続きしないでしょうとのお断りが各社記事に付くようになりました。 第622回「迫るノーベル賞枯渇時代、見えぬ抜本政策転換」(2019/10/28)で全米科学財団(NSF)の『科学と工学の指標2018』第5章学術研究開発(英語)を見つけて作成したグラフです。ネイチャーよりも研究論文の範囲をやや広くとっています。2006年と2016年を比べて日本だけが論文数を減らしました。世界シェアが2006年の7.0%から2016年には4.2%に低下です。10年でシェア4割減はとても大きいと考えられます。2000年ごろには10%のシェアで米国に次いで二番手にいたのが今や「並みの国」です。シェア4%台からさらに落ちようとしている日本に輝かしい未来はありません。