第622回「迫るノーベル賞枯渇時代、見えぬ抜本政策転換」
吉野彰さんのノーベル賞で2000年の白川英樹さんから始まった受賞ラッシュは19人目。日本の科学力低下は近年歴然で、年に1人という現状から受賞枯渇が迫りメディアも警鐘を鳴らすものの、政策転換は全く見えません。昨年の本庶佑さん受賞報道に比べて違った点は、どのマスメディアもリチウムイオン電池開発を称える記事の後段に日本の論文数や世界での研究注目度が下がってきた憂慮を盛り込んでいました。昨年は国の科学技術白書が悲痛な叫びをあげていたのに報道側が理解していませんでしたが、ようやく追いついたのです。しかし、財政難を口実に惰性に流れる政府が抜本的に政策を改める気配はありません。
昨年の第593回「本庶ノーベル賞は日本科学力失速で歯止めにならず」をはじめ、一昨年の英ネイチャー誌特集「日本の科学力は失速」を理解しようともしなかった問題を取り上げた第554回「科学技術立国崩壊の共犯に堕したマスメディア」など連載でたびたび論じて来ました。2004年、大きな間違いが始まってしまった国立大学の法人化の出発点では第145回「大学改革は最悪のスタートに」で根本で考え違いありと指摘しました。昨年の第595回「日本科学力をダメにした教員減強要とタコツボ志向」では、それらを踏まえてどうしたら良いのか考えました。
広く行き渡っていた研究費を削減し、「選択と集中」とのお題目で競争的な研究資金ばかり積んで研究者の競争心を煽り、研究の自由度はますます失われています。吉野さんも受賞決定後の記者会見でこのように憂えています。読みやすくするため一部手直ししています。
《私自身も今の大学の状況につきましては、ちょっと危惧しております。私の考えている理想的な大学での研究っていうのは、両輪が必要かと思うんです。ひとつは、完全にある目標に向かってそれを実現するために進める研究ですね。いわゆる、俗にいう役に立つ研究をしなさいってことで、これは当然、必要です。方や誰もが気が付かないような新しい現象を見付ける人も絶対要るんですよね。目的を先に付けちゃいますと、絶対それは出てこないと思います。そんなにお金の掛かる研究ではないと思うんですけど、まさに大学の先生のご自身の好奇心に基づく、あるいは真理の探究、基礎研究をやって、とんでもないものを見付けられる可能性があります。基礎研究と役に立つ研究っていう両輪があって、その二つがバランスしながらいくのが私は理想的だと思ってます。ちょっときつい言い方になるかも知れませんが、今の大学はその真ん中辺りをうろうろしてるなって危惧してます》
「とんでもないもの」こそがノーベル賞に値する仕事になります。2016年の大隅良典さんがその典型です。
日本の行き詰まる現状を端的に知る指標を探して全米科学財団(NSF)のサイトで『科学と工学の指標2018』第5章学術研究開発(英語)に行き当たりました。2006年と2016年の国別科学論文数変動を上位15カ国のグラフにしてみました。 NSFによる統計は学術雑誌以外に会議録や書籍などでも英語のタイトルとサマリーがある研究をカウントしていますから、科学論文数がふだん見ている数字より大きいようです。同じ基準で2006年と2016年を比べて日本だけが論文数を減らしているのが分かりました。10年間で12.6%の減少です。中国は124%、インドは185%の大増加です。米国は6.8%の小幅増だったために中国にトップを奪われました。ドイツ22%増、英国10%増で日本は3位から6位に下がりました。順位はともかく、減少国が日本だけという異常ぶりなのです。科学技術立国とは到底思えません。
この結果として日本の論文数グローバルシェアが2006年の7.0%から2016年には4.2%に低下です。10年でシェア4割減はとても大きいと考えられます。世界の趨勢から浮いています。シェア10%もあった2000年頃から低落傾向にあり、2010年代にはスターから完全に並みのプレーヤーに落ちたと言ってよいでしょう。長期低落傾向が改善される兆候は全くありません。10年後の2030年代にもノーベル賞枯渇時代に入ると見ます。
大学だけではなく企業の研究も質が落ちています。吉野さんは各企業も小さいながら基礎研究はしているはずと語りましたが、長年、科学技術記者をしていてそのようには感じられません。吉野さんは「リチウムイオン電池を開発してから売れなかった数年間が一番辛かった」と回顧されました。いや、半年、四半期で結果を出すよう求める現在なら考えられないほど経営陣の理解があったのであり、インターネット隆盛のタイミングと言い、吉野さんは研究者としてラッキーだったと申し上げます。
企業の研究開発が若々しかった1990年ごろ、京都ベンチャー企業群を相手に大型ルポをした【独走商品の現場・京都】〜新聞とパソコン通信で語る25社の市場開拓型商品開発〜をウェブで公開しています。早く結果を出すために既存の改善・改良に走る現在に比べて、ゼロから全く新しい研究開発に打ち込めた時代を知ってもらえます。
昨年の第593回「本庶ノーベル賞は日本科学力失速で歯止めにならず」をはじめ、一昨年の英ネイチャー誌特集「日本の科学力は失速」を理解しようともしなかった問題を取り上げた第554回「科学技術立国崩壊の共犯に堕したマスメディア」など連載でたびたび論じて来ました。2004年、大きな間違いが始まってしまった国立大学の法人化の出発点では第145回「大学改革は最悪のスタートに」で根本で考え違いありと指摘しました。昨年の第595回「日本科学力をダメにした教員減強要とタコツボ志向」では、それらを踏まえてどうしたら良いのか考えました。
広く行き渡っていた研究費を削減し、「選択と集中」とのお題目で競争的な研究資金ばかり積んで研究者の競争心を煽り、研究の自由度はますます失われています。吉野さんも受賞決定後の記者会見でこのように憂えています。読みやすくするため一部手直ししています。
《私自身も今の大学の状況につきましては、ちょっと危惧しております。私の考えている理想的な大学での研究っていうのは、両輪が必要かと思うんです。ひとつは、完全にある目標に向かってそれを実現するために進める研究ですね。いわゆる、俗にいう役に立つ研究をしなさいってことで、これは当然、必要です。方や誰もが気が付かないような新しい現象を見付ける人も絶対要るんですよね。目的を先に付けちゃいますと、絶対それは出てこないと思います。そんなにお金の掛かる研究ではないと思うんですけど、まさに大学の先生のご自身の好奇心に基づく、あるいは真理の探究、基礎研究をやって、とんでもないものを見付けられる可能性があります。基礎研究と役に立つ研究っていう両輪があって、その二つがバランスしながらいくのが私は理想的だと思ってます。ちょっときつい言い方になるかも知れませんが、今の大学はその真ん中辺りをうろうろしてるなって危惧してます》
「とんでもないもの」こそがノーベル賞に値する仕事になります。2016年の大隅良典さんがその典型です。
日本の行き詰まる現状を端的に知る指標を探して全米科学財団(NSF)のサイトで『科学と工学の指標2018』第5章学術研究開発(英語)に行き当たりました。2006年と2016年の国別科学論文数変動を上位15カ国のグラフにしてみました。 NSFによる統計は学術雑誌以外に会議録や書籍などでも英語のタイトルとサマリーがある研究をカウントしていますから、科学論文数がふだん見ている数字より大きいようです。同じ基準で2006年と2016年を比べて日本だけが論文数を減らしているのが分かりました。10年間で12.6%の減少です。中国は124%、インドは185%の大増加です。米国は6.8%の小幅増だったために中国にトップを奪われました。ドイツ22%増、英国10%増で日本は3位から6位に下がりました。順位はともかく、減少国が日本だけという異常ぶりなのです。科学技術立国とは到底思えません。
この結果として日本の論文数グローバルシェアが2006年の7.0%から2016年には4.2%に低下です。10年でシェア4割減はとても大きいと考えられます。世界の趨勢から浮いています。シェア10%もあった2000年頃から低落傾向にあり、2010年代にはスターから完全に並みのプレーヤーに落ちたと言ってよいでしょう。長期低落傾向が改善される兆候は全くありません。10年後の2030年代にもノーベル賞枯渇時代に入ると見ます。
大学だけではなく企業の研究も質が落ちています。吉野さんは各企業も小さいながら基礎研究はしているはずと語りましたが、長年、科学技術記者をしていてそのようには感じられません。吉野さんは「リチウムイオン電池を開発してから売れなかった数年間が一番辛かった」と回顧されました。いや、半年、四半期で結果を出すよう求める現在なら考えられないほど経営陣の理解があったのであり、インターネット隆盛のタイミングと言い、吉野さんは研究者としてラッキーだったと申し上げます。
企業の研究開発が若々しかった1990年ごろ、京都ベンチャー企業群を相手に大型ルポをした【独走商品の現場・京都】〜新聞とパソコン通信で語る25社の市場開拓型商品開発〜をウェブで公開しています。早く結果を出すために既存の改善・改良に走る現在に比べて、ゼロから全く新しい研究開発に打ち込めた時代を知ってもらえます。