団藤保晴の
「インターネットで読み解く!」

第46回「読者交流〜荒れ・読み込み・軍隊」 (98/04/16)

 第42回の読者アンケート特集で予告していた「読者との双方向交流」を、今回初めて試みることにします。パソコン通信でシグオペ経験がある私としては、常設の電子会議室を持つことが一番なのですが、取り上げているテーマが非常に多岐に渡っていること、そのため維持にかかる時間が膨大になる見込みであることなど問題があります。便宜的に交流特集の形で、皆さんの意見、コメント、それに私からのコメント、情報の追補をまとめていきたいと思います。パソコン通信の会議室の面白さを、経験されたことのない方にも少しは味わっていただけるでしょう。今後もWWW上の「ご意見募集」欄や電子メールをご活用下さい。

◆教育現場の新しい『荒れ』と人間の攻撃行動

 第44回「子供たちの新しい『荒れ』」には、いろいろな方からコメントをいただきました。紹介させていただくのはごく一部です。

 「わが国の最大の問題は教育の荒廃(有効な指針のない教育行政)であると考えておりましたので、ご意見は大変参考になりました。また、海外諸国の情報も新鮮でした。最近、テレビで、アメリカの経済アナリストと大物投資家が、日本経済の低迷の根本対策は?と聞かれて、即座に『教育』(とだけ)答えたのを見て、びっくりしたことがあります。外国からみてさえ見えること、しかし国内では見えていないこと、ってあるのですね」(40代、専門・技術職)。自分がいる場所のことだけいくら考えても、他と比べなければ分からないものです。今なら、ちょっと比べてみたいと考えたら、インターネットで「日米欧」などの言葉を入れて検索すれば簡単に引き出せます。

 米国ニューハンプシャーに住まわれて、子供を小学校と幼稚園に通わせている方から、こんな現地報告が届きました。「米国においては地域差は大変大きく、特にニューヨーク、ロサンゼルス等の大都会周辺では、環境の悪さが事実あると思います。しかし、それは全米すべててはなく、さすが米国だなと思わせてくれる地域も沢山存在すると思います。私の感覚では、米国の個人主義ももちろん長所短所あるのですが、何よりも子供一人ひとりの個性を大切にし、その長所をいかにして伸ばしていくか、いかにして自信を付けさせてこれからの人生を歩ませていくか、というところに視点を置いて教育していく姿勢には感心するところが沢山あります。ここでは、日本の教育委員会や文部省のような画一的な指導要綱のようなものはなく、TeacherやSchoolや地域の考え方が全面に出てきます。もちろんそこにも善し悪しがあるのかも知れませんが、私の感じる限り、TeacherやSchoolや地域も本気で子供を育てようとしていることが理解できます。日本の先生が本気でないとは言いませんが、どうしてもカリキュラムの消化が優先で、その先生の考えで真剣にやっているとは思えません」(30代、専門・技術職)。

 コラムでは敢えて取り上げませんでしたが、小学校で授業が成り立たない「学級崩壊」現象があちこちで発生し、場合によっては科目ごとに先生が入れ替わりで授業するところまで来ています。担任を失格してしまう先生には、「勉強のできる、いい子」という非常に単純な価値観でしか子供を見られない人が多いと言われます。加えて、「国際比較調査」が明らかにしている、教科を教えるプロでもないし、子供の心をつかむプロでもない状況です。現場のレベルに止まらない、構造的、体質的な病根の深さに暗澹たる思いがします。

 コラムを書き終えた時点で、米国アーカンソー州の田舎町にある公立中学校では、11歳と13歳の少年による衝撃的な銃の乱射事件が起きました。「銃乱射事件:親子間のきずなを弱めるアメリカ社会」は「一世代より少し前の時代には、子供同士の殺し合いなど、ほとんど考えられない話だった。だが、1960年代後半から1970年代前半にかけて、都心のスラム街にある学校などで、少年の凶悪犯罪が起こるようになったのである。1987年から1991年の間には、殺人容疑による少年の逮捕件数がほぼ倍増し、これまでは主に都心でしか発生しなかった学校での殺人事件が、郊外でも起きるようになった。そして今や、同じ家族が何世代にもわたって住み続け、住人の誰もが顔見知りの静かな田舎町でも、学校で銃乱射事件が起こりかねない時代になってしまった」と、『荒れ』のいっそうの拡大を伝えています。

 どうして、人がこんな暴力をふるうのか、明快な説明はできないのですが、以前、サイエンスネットとニフティサーブ上の私的会議室で、私が過去に書いた記事を引用して、霊長類研究者と対話したやり取りに示唆するものがあります。

 記事は「心のデザイン」・「第6部 働く脳物質」からです。「仲間に対する攻撃は、友情と裏腹の関係にあるとする説もあるが、人間だれでもにひそむ暴力について、現在、脳の科学はほとんど語ってくれない。しかし、動物が攻撃行動する時に、脳内で何が起きているのかを描く力は持ち始めた。乳離れしたばかりのネズミを数週間仲間から離して育てると、かなりの割合で攻撃的な性格になる。普通ならばそんなことをしないシロネズミでも、隔離しておくと同じ檻に入れた小型のハツカネズミをかみ殺してしまう。シロネズミ同士にすると猛然と戦う」「ネズミは、仲間がいるかどうかを嗅覚で見分ける。鼻でとらえた仲間の情報は、まず脳の前部に突き出た嗅球という部分に入り、その後ろにある嗅結節と呼ぶ神経細胞の塊を経て大脳前部に届く。情報が伝わるといっても、神経細胞のつなぎ目にわずかなすき間があり、一方の細胞からいろいろな物質が放出されて、それを次の細胞が受け取ることで信号が伝わっていく。この物質を神経伝達物質と呼ぶ」「隔離ネズミは嗅結節で神経伝達物質が増産され、異常な興奮状態になっている。ネズミは嗅覚を頼りに生きる動物なのに、仲間から離されたために、入ってくるはずのにおいが来ないので、嗅球に『早く情報を送れ』と懸命に催促しているようだ」「情報を総合的に判断する大脳前部も興奮状態にある。また、嗅覚の神経経路や周辺の神経細胞は、情報が来るのを、いまかいまかと待ち構えている。隔離が続くと、この異常な状態が保たれる。そこにハツカネズミや仲間(シロネズミ)が現れると、嗅覚系は新しい刺激で火がついたように活動を始め、普通のネズミに比べて神経伝達物質を2倍も放出する神経が現れる。異常な攻撃行動への暴走である」。

 ネズミから進んで、ニホンザルを隔離する実験が国内では阪大でされていました。「霊長類のサルが仲間を確認するのは、目で見ることと、皮膚の触れ合いだ。『この2つを絶って隔離飼育すると、半数以上は攻撃的になる。人間なら小学校高学年にあたる2、3歳まで隔離し続けると元に戻りにくい。そうしたサルを数匹いっしょにすると、殺し合いを続ける』という。サル以上に高度化した人間でも、仲間と生活するために欠かせぬ感覚情報があるはずだ。荒れる学校などの暴力的な世相をみると、何かを得られぬいらだちが見え隠れする」

 私の結び付け方はジャーナリスト的で、ちょっと強引ですが、さすがに専門家はこんなふうにフォローしてくれました。

 「少し気になったのは、『攻撃』が『異常』であるかのように読み取れるところです。人間の社会では、『暴力』はなくすべきものかもしれません。でも、動物にとってみれば、自分と他人の関係を調整するひとつの手だてです。テナガザルなら、自分のなわばりを維持するのに不可欠なものだし、ニホンザルやチンパンジーなら、集団生活で自分の個性を伸ばすための重要な要素です。だからこそ、そのための武器である『犬歯』が発達しているのです(犬歯は仲間とのけんか用で、食肉類とはちがい、捕食者に対してはほとんど効果がありません)」「攻撃は、社会の仕組みと密接に結びついて機能しているのですから、攻撃だけを社会からえぐり出してしまおうとするのは、むずかしい。攻撃しかしない動物は、共存できません。一方、群れるイワシは、共存しても『けんか』をしません。そのかわり、個性もない。人間が社会的に生きていくためには、『けんか』も必要だと思います。人間は、ぼくの見解では、かなり小さなグループで暮らしてきた長い歴史があって、大きな集団での個体関係を調節する心理的な機構の進化がたち遅れています。そういう意味で、『暴力』をうまく使いこなすことが不得手なように思えます」「ただ、人間は、生物学の原理だけでは生きていない。それが、人間の生物としての欠陥です。もし、生物学の原理が、人間の行動原理より普遍性をもっているなら、人間は滅亡するでしょう」。

◆読み込みの鋭さが電子ネット上の楽しみ

 紙に印刷して大量配布したり、電波で流しきりのマスメディアと違って、電子ネットワークでは自分の発言に返ってくる反応の面白さ、特にそれが鋭い読み込みであったりすると、とても高揚した気持ちになれます。次の節も含めて、そんな読み込みの例をいくつか紹介してみます。

 まず、第38回「脳の研究を睡眠分野から垣間見る」で、国内の研究によって脳内の生理活性物質プロスタグランジン「PGD2」が睡眠に導き、わずかに構造の違う「PGE2」が覚醒を促すと分かった部分についてです。「PGE2とPGDの睡眠との関係の話を読んで、なるほどと思いました。すべての風邪薬が眠気を誘発するのはなんでかな、と思っていたんです。すべての風邪薬には末梢でのPGE2合成を止めるために、非ステロイド性抗炎症薬(COX阻害剤)が入っていますから、その産生を止めてしまうからなんですね。炎症ではPGDはPGE2と比べれば、その産生量は非常に少ないですからね」(20代、専門・技術職)。これは考えてみなかった応用思考。確かに覚醒の中枢の働きを弱めて、相対的に睡眠側にシフトさせる、つまり眠気を誘う可能性は高いと思えます。座布団2枚でしょうか。

 たばこをめぐっては、日本政府はアヘン戦争の清朝政府並みではないかと申し上げた第23回「たばこをめぐる日米の落差」には、米国に留学中の学生の方からメールが来ました。「アメリカのポリティカル・ゲームに気が付かない日本の悲しさか、それとも喫煙は健康の問題でしかないと感じる国民の問題か、このあたりが、タバコが日本で政治問題化しない『問題』と感じます。団藤さんがおっしゃる通り、タバコはアメリカ国内の政治問題です。現政権がタバコ会社にそのまま損失を負担させたり、タバコロビーの選挙票をも失いたいわけがありません。と、いって、保険負担や嫌煙運動者を敵には回せない。そんな時には国外で売却するに限りますよね。日本政府も、アメリカには対米貿易赤字の『借り』があるとすれば、クリントンの片棒を担いでも不思議ではありません」と、現地から見た雰囲気を伝えてくれています。

 第43回「宇宙開発と『地球号』の乗員たち」で日本の衛星打ち上げビジネスが苦境にあることを述べました。それについて友人である読者から、フランスの「打ち上げ費用がロケット・衛星込みで全140億円というのは、いくら何でも安過ぎでしょう。アメリカの1億ドル衛星に対抗しているためですが、フランスではそこまでコストダウンできていないのが実情です。軍事的コスト負担がなければ考えられない価格です。アメリカの衛星の場合は、もっと安く、『軍事の民生転用』とはっきりしています」「元々偵察衛星だった地球観測衛星が軍事用途だけではもったいないので、少し市場に開放しているだけ、との穿った見方もあるそうです。アメリカが分解能0.8mの高解像度商業衛星を打ち上げて、いつも『失敗』しています。つい昨年末も、日本の陸域観測技術衛星ALOS計画の予算復活折衝中に3m分解能衛星を打ち上げ、予算が決まるや否や、太陽電池パネルを逆転する命令を『誤って出したため』電気系統が停止したとのこと。このようなアメリカの動きは、フランスや日本が計画している5m・2.5mクラス分解能の衛星計画を遅らせる魂胆しかない」とコメントが来ました。軍事技術と民間市場とを秤に掛けて虚々実々の駆け引きがあるようです。「軍」を持たないことになっている日本はアウトサイダーなのでしょう。

◆自衛隊について若い読者の誌上討論

 先日の第42回「読者アンケート特集と安保再論」では、読者交流の試行版として、これまでの枠を踏み出し、ヘリ墜落事故現場で傍観していた自衛隊員について、私の経験を語らせていただきました。「旧日本軍からバックボーンを引き継いだ自衛隊を、人間の顔をした軍隊にするのはいかに難しいか、記憶に鮮烈です」と書いたら、自衛隊に関係がある若い世代から強い反応がありました。奇しくもQ&Aになっている、ふたつの「読み込み」を並べて紹介します。

 「『傍観』とか『不気味』って大変一方的な意見だと思いました。現場にいた自衛官が身内の惨状を見て何も感じていない訳は無いでしょう。警察、消防、自衛隊それぞれ役割分担があるのが当然だと思います。現場には命令に従って組織的に処理しなければならない事柄があるはずだし、その為に自衛隊が出動していたのではないのですか? 私の弟は自衛官で、実状も多少聞くことがありますが、非人間的な組織とは感じません。そもそも『人間の顔をした軍隊』って何なんでしょうか? 私にはさっぱり解りません」(20代、大学生・大学院生(理系))。

 「今回の団藤さんのコラムは、一見すると『旧軍のバックボーンを引継いだ、非人間的な軍隊である自衛隊』への非難に見えました。同僚の遺体収容でも手をこまねいていて『傍観を決め込んでいる』と。しかし、読み返してみてそうではない事が分かりました。問題は、『自衛隊にそうさせている状況』そのものなのでしょう。旧軍のバックボーンとは、あの戦争が残したものそのものです。軍への偏見、警戒、恐れ、あるいは軍事を語れない政府、タブー視するマスコミそのものです。自衛隊は、そうした『負の遺産』を抱え込んでしまった軍隊なのです」「彼らだって、事故を知ったら即座に救出に向かいたかったでしょう。同僚のなきがらは自分たちの手で抱いて帰りたかったでしょう。しかし、彼らにはそれが許されない。勝手に出動し、勝手に活動すれば非難される事は目に見えています。マスコミも政治家も、自衛隊叩きは大好きですから。軍隊というのは、もちろん一面で非人間的な組織です。しかし、また一面で人間的な組織でもあります。以前、どこだったかは忘れましたがヨットレースが行なわれ、深夜に遭難信号が出た時、真っ先に信号を傍受したその国の海軍はただちに全力を挙げて救難活動を開始したそうです。しかし、同じ事を海上自衛隊がやればどうなるでしょうか。自衛隊自身が非人間的になりたくてなった訳ではないのです。彼らはそういう態度を取ることを、創設以来強要されてきたのです」

「三等陸尉の友人は、以前こんなことを言いました。『俺達が憲法違反だって言うならそれでもいい。解隊するならしてくれていい。もちろん正式に認知してくれるならそれが一番いいが、そうでなくてもそれが国民の意思なら我々はそれを受け入れる。とにかく、どちらかはっきりしてほしい。現在のような扱いはもう沢山だ。いつまで妾の子みたいな扱いをされればいいんだ』」「沖縄の不幸と自衛隊の不幸は、ある意味で似ているのかも知れません。どちらもはっきりさせる事をずっと怠ってきた。そしてその間彼らはそれを背負い続け、無関係な人々(沖縄の場合は本土、自衛隊の場合は一般国民。そして双方に共通して政府)はそれを当然のように思って、そしてそれが都合がいいし触れると自分たちが危ないので放置しているのです」(20代、自由業)。

 今回は多分野で、やや長くなりましたが、語られたことの密度は相当に高かったと思います。インターネットに、こういうコンテンツを追加できたのは喜びです。



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