慶応義塾大総合政策学部 2023春・講義録

知識編纂の技法T《「知の編さん」大きな退歩》

 
《はじめに》

 団藤保晴です。ネットジャーナリストを名乗っています。朝日新聞で記事審査委員、科学技術や政治経済などの取材記者をし、公認の副業として1997年からネット上で独自の評論・知的ナビゲーション活動「インターネットで読み解く!」を四半世紀、26年続けています。大学関係では非常勤講師だった関西学院大国際学部での大教室講義録6回分が参照していただけます。立命館大では2019年に《福島原発事故と科学力失速に見る政府依存報道》など大教室講義をしています。

 【略歴】1974年、東京大工学部精密機械工学科でハードディスクとスワッピングできるミニコン、現在のパソコン原型と出会い大学祭用に対戦型麻雀ソフトを書く。1976年、朝日新聞入社し科学部などで政治経済から文化スポーツまで広範な取材を経験。1988年、パソコン通信「サイエンスネット」を立ち上げ、読者と対話。1997年、新聞社に左遷代償で副業を認めさせて検索エンジンを活用した評論コラム「インターネットで読み解く!」をインプレス社「INTERNET Watch」上で執筆、現在までメールマガジンとしても継続。2005年、記事審査委員として当日朝刊の反響をブログから集めて即日社内配布、岩波書店「世界」にブログ時評連載3年。2010年に新聞社退職後は関西学院大国際学部非常勤講師など。

 この半世紀でパーソナルコンピューティングが始まり、ネットを通じて他人と交流する世界が開けました。パソコンの原初形態、パソコン通信、インターネット、そしてブログの始まり、節目に実務家として関り、立ち会う幸運に恵まれた人生でした。49年前の1974年からと思うと感慨深いものがあります。

 パソコン通信時代から30年以上に渡りネットと付き合って、ネットが可能にした「社会的な集合知」こそ人類の宝と思ってきましたが、それが大きく揺らいでいることが今回講義のテーマです。加えて、パソコンを使う上で《日本に生じた特殊かつ深刻な退歩》と《日本の全国紙に終わりが見えた》問題も検討します。その前にネット活用オリエンテーションをします。お仕着せでなく、自分で考え、調べていく上でネット情報はとても有用ですが、ネット利用は検索くらいの方が多く、非常に不十分です。
【「知の編さん」大きな退歩】本編へジャンプ
   【「知の編さん」大きな退歩】
   《ウェブ世界の膨張に検索はギブアップ》
   《日本に生じた特殊かつ深刻な退歩》
   《日本の全国紙に終わりが見えた》


《ネット活用オリエンテーション》

1)ニュースサイト「ヤフー」「グーグル」

 代表的な二つのニュースサイトには決定的な違いがあります。ヤフーには編集部が存在し、契約メディアから提供されたニュースを分類、重み付け、選別して見せています。一方、グーグルはロボットが各メディアのサイトから勝手にニュースを収集し、ニュースとして提供する画面もロボットが編集しています。的確なニュースバリュー判断はヤフーに分があるかもしれないものの契約していないメディアはそもそも対象外であり、ニュースの網羅性ではグーグルが優ります。

 ヤフーは契約媒体にお金を払っていますが、グーグルは米国流の「フェアユース」の考え方を取りロボットが無断で勝手に集めます。ただし、紳士協定があってロボットに対してサイト所有者が全体または特定ページでコンテンツの収集拒否を宣言することが可能です。実際に多くのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)はロボット収集を拒否しています。従ってグーグル検索でもSNSで話題になった話は出て来ません。



2)消えてしまったホームページの検索

 米国にあるNPO「Internet Archive」が1996年以来、世界中のウェブ8200億ページを蓄積しています。昨年の講義で「6800億ページ」と紹介していますから年間で1000億ページ以上増えています。これもフェアユースとして扱われ、日本で同様の企画がありましたが著作権法の下では不可能でした。例としてアップル社(www.apple.com/jp)でiPodやiPhoneが売り出された頃のウェブを呼び出してみましょう。  時系列では《iPodはMac用デジタルオーディオプレーヤーとして2001年10月23日に発表》《iPhoneは2007年1月9日発表、6月29日にアメリカで発売》《MacBook AirはMacworld 2008で2008年1月15日に発表》となっています。iPhonenのタブが現れるのは発売1年後の2008年7月であり、当初は結構苦戦していたことがうかがえます。トヨタやホンダなど自動車メーカーでエポックになった車種の発売時期のウェブを呼び出してみるのも良いでしょう。レポートの作成などで役立てられるはずです。

 また、企業が不祥事を起こして関連するホームページを閉鎖することもよくあります。2007年に科学的知識を装った番組内容捏造が発覚した関西テレビ制作のバラエテイー番組「発掘!あるある大事典」もその一例です。私の第153回「科学をなめている『あるある大事典』捏造」 (2007/01/28)で見せたくなくも消せない過去となった実例として紹介していました。が、検索サイトから昔の事実を削除して欲しいと訴える「忘れられる権利」問題が顕在化して、「Internet Archive」の蓄積データも指定された手順を踏めば削除できるようになりました。現在は「404 NotFound」とエラー表示になりました。



3)便利で膨大な社会データ集のウェブ

 「ひとりシンクタンク」を標榜している「社会実情データ図録」は各種データをグラフ化し、膨大で丹念な更新が特徴です。多種多様な国際ランクから出来た「国際日本データランキング」では多彩な相関分析、国別比較が可能です。

 社会実情データ図録を主宰している本川さんは元は代議士秘書で、国会図書館などから統計データを拾い集めて独自に分析されています。トップページの上の欄にある分野別を開いてみるだけで実に多様な問題意識を持たれているか分かります。例えばキーワード「中国」でサイト内を検索しましょう。「図録 中国の食料消費対世界シェアの推移」「図録 中国人が大問題だと考えていること」「図録 中国とインドの超長期人口推移」「図録 中国の人口ピラミッド」「図録 中国国内の地域格差とその推移(地図等)」「図録 米国・中国・韓国への親近感の推移」などチャーミングなタイトルが並びます。  この中から「図録 中国の食料消費対世界シェアの推移」を開きましょう。人口シェアで世界の2割である中国の巨大な胃袋に、世界の野菜は49.3%、豚肉は45.8%、水産物は34.3%が取り込まれているのです。食品別のシェア推移が描かれています。野菜も豚肉も1980年ごろまでは人口シェアを下回っており、芋類に頼っていました。食の大変革は1978年に改革開放政策が始動した結果であると見て取れます。

 国際日本データランキングは明治大の鈴木さんが主宰しています。前は欧州で教職に就かれていた方で、日本にいると気付きにくい多種多様な統計や社会調査を集めてランキングにまとめています。人口や経済の統計以外に治安、文化、人生などそんな調査があるのかと思えるものが並びます。例えば「スポーツ」の項目を開くだけでも50近い調査があります。

 「フリー相関分析」で2つのデータの相関分析が手軽に出来るのも特長です。例えば説明軸のX軸に「国民経済」から「1人当り国民総生産(GDP、米ドル)」、Y軸に「人口・家族」から「50-54歳で結婚経験がある人の割合」をとれば男女ともにマイナスの相関傾向が現れます。



4)現在を生きるための過去と未来の年表

 年表と聞くと遠い昔の歴史年表が思い浮かびますが、ネット上では広告大手2社が現在と近接した過去・未来の年表を提供しています。電通による「広告景気年表」と博報堂生活総研による「未来年表」です。

 広告景気年表は広告のクライアントの参考にする目的で作成されており、信頼できる内容です。1945年から昨年まで政治経済、10大ニュース、時の商品・新製品、話題のテレビ番組、流行語、流行歌、映画、ベストセラー、マンガ、ファッションから気象まで揃っています。例えば自分が生まれた頃や小学校に入った頃はどんな年だったのか簡単に調べられます。

 一方、未来年表は「○○年ごろにはこんな事柄が実現する」といったメディアの報道を実現年ごとにまとめ直した年表です。医療、宇宙、環境、資源、社会、情報、人口といった分野別でも括っています。2050年の人口分野をみると「世界に占める東アジアの人口シェアが23.0%へと低下する(2000年は30.0%) 」「イスラム圏の人口(中央アジア、南アジア、西アジア)が約29億人に達し、世界人口の32%を占める」などの項目があります。



5)イメージで世界を知る多彩なサイト

 5千年の世界史を90秒で見せるマップス・オブ・ウオーの「History of Religion」、日常品317種の出来るまでを工場見学「THE MAKING」、世界の美術を細部まで拡大鑑賞「Google Art Project」、世界中の風や雨など気象を詳細に見られる――「Windy」

 ユーチューブなどで色々な動画を見ていると思いますが、知っておいて得する質の高いイメージのサイトを紹介します。History of Religionは世界史の知識があると特に面白く感じられます。アジアをテーマにする授業ですからイスラムが東南アジアに広がった過程にも注目して下さい。THE MAKINGは1998年のマヨネーズから2014年のエレベーターまで、身近にある品物のモノづくりを14分間のビデオにまとめています。Google Art Projectではゴッホの「The Starry Night (星月夜)」を検索して実際に部分拡大して見ましょう。

 世界中の風や雨など気象を詳細に見られる――「Windy」はチェコの企業が開発したシステムで世界中の気象を見られます。特に日本付近を拡大してみましょう。ロシア、中国、韓国と一衣帯水の関係を実感できるでしょう。1週間先まで予測表示しますから、台風の時などウオッチしています。  ネットには360度パノラマ写真がありコンテンツが豊富です。富士山頂やエベレスト山頂、ニューヨークの摩天楼、ベルサイユ宮殿、NASA火星探査車などを見てみましょう。マウスで上下左右、自由に操れます。なお、スマホやタブレットは対応していないかもしれません。「panoramas.dk」では、 Curiosity Rover First Colour PanoramaEVEREST 60 YEAR ANNIVERSARYニューヨーク・ビル群ベルサイユ宮殿・鏡の間など。

 近年のYouTubeの充実発展ぶりも見逃せません。内容は玉石混交の極みと言えますが、私も試みに《YouTubeオススメ》を新設しています。



6)検索デスクや訳語ポップアップ辞書など活用例

 私が調べ物や日常の定点観測の出発点にする「検索デスク」は多様なネットサービスを1ページに網羅したすぐれものです。また機械翻訳が未熟な現在、訳語がポップアップする「POP辞書」は有用で英語以外に中国語、韓国語、スペイン語、ドイツ語も使えます。

 検索デスクは大阪にお住まいの浅井さんが1996年から開設されています。新しネットサービスが加わるたびに拡充しており、調べ物やニュースから買い物、グルメまで何でも揃っています。ネットを使えていると思う人ならば、並ぶ項目の中身が何か言えるくらいに知ってほしいものです。

 ブラウザにグーグル・クロームを使っている方は外国語のページを自動的に翻訳してくれるので機械翻訳の実力がお分かりだと思います。まだまだ未熟であり、きちんと内容を詰めるには英語の辞書が要ると思わせます。POP辞書は訳語の候補がポップアップして見える便利な辞書です。しかも日英だけでなく中国語の文章で英語の訳語を付けてくれるので、中国語のサイトまで詳しく取材できるようになりました。「南中国海」を中国の検索サイト「百度」人民日報中国語版で検索してPOP辞書で読んでみましょう。





==「知の編さん」大きな退歩==

 パソコン通信時代から30年以上に渡りネットと付き合って、ネットが可能にした「社会的な集合知」こそ人類の宝と思ってきましたが、それが大きく揺らいでいることが今回講義のテーマです。

 ネットの歴史は常にマスとの戦いでした。玉石入り混じったネットへの発信量は尋常でない速度で膨張を続けてきました。検索エンジンの商業利用が始まったのが1997年、それから間もない1998年にはウェブを検索エンジンがカバーできなくなる事態が起きました。結局は莫大な容量のハードディスク資源を投入したグーグルが独り勝ちをおさめました。  ウェブからブログの時代に移る途中で記憶に残る存在として挙げたいのがブログ検索エンジン「テクノラティ」で、特定の言葉が現れたブログ記事数グラフを可能にしました。2008年米国大統領選でオバマ対マケイン対決の動向が投票直前まで鮮やかに描かれたグラフを掲げます(最終得票率:オバマ52.93%、マケイン45.65%)。このグラフ自体が集合知の一つと言えるでしょう。しかし、その後、テクノラティ社はネットから撤退してしまいました。ブログ数の大膨張はこんな繊細な分析を吹き飛ばしたようです。

 私は検索エンジンを活用することで1997年から非常に広範囲のテーマで評論を書いてきました。最初は質が高いコラムが書けること自体が面白くて夢中になって検索したものですが、ネットで「社会的な集合知」が形成されていく必然性に気付きました。

 グーグル検索は当該ウェブの引用元リストを網羅し、最初は引用数が多い順番にランク付けしました。これを悪用して無意味なウェブを多数作って引用数だけ稼ぐ動きが蔓延すると、引用したウェブの質も評価する手法を開発し、「数と質」の両方から検索リストの有用度ランキングを作成しました。ロボットがウェブから収集し、ロボットが作成する有用度ランクが「社会にある知の最上部分」を浮かび上がらせたのです。

 ところが、2015年になってグーグルは「モバイルフレンドリー」でないウェブは有用度ランクから事実上締め出す政策を打ち出しました。つまりスマートフォンで読めない、読みにくいウェブは、かつては高ランクであったとしても、もはや検索経由で読まれることはなくなりました。

 私の場合なら1カ月にブックマークされる記事が1万から2万件あったものが、現在は2千件程度に減っています。私のウェブは手間をかけてモバイルフレンドリーに改造しましたが、引用してくれていたウェブは多分そのままでしょうから以前の高ランクには戻りません。グーグルの新政策も膨張するマスに押されて古いものは切り捨てたと言えます。検索結果は最近のものばかり、中身が似たようなウェブばかりで、以前のような「素晴らしい発見」がほぼ無くなりました。

 人類がテキストベースで情報発信する意味は大きく、パソコン通信は「知の編さん」プロジェクトの最初の一歩だったと言えます。それからインターネット時代に入って見聞きした事柄を時間が許す範囲でお話ししたいと思います。


 《ウェブ世界の膨張に検索はギブアップ》

 2009年の
第177回「インターネット世界に地殻変動を感じる」で掲げたTechCrunchのグラフをお見せします。  1999年に検索エンジンの破綻危惧と言われた当時でウェブのページ数は世界で8億くらいでした。この年のウェブサイトの増加が590万、翌年は1760万です。一つのサイトが100ページくらいあって当然ですから検索エンジンのデータベースは急膨張で脅かされました。ウェブサイトが減った唯一の年が2002年で、世界でITシステムの売り上げが1割も減った不況の年でした。この後の膨張ぶりはグラフの通りで、2009年には4600万サイト、その大半が中国だったそうで、米国は「Twitter」に急激に流れ込んでいきました。中国政府に不都合な情報サイトをブロックする「金盾(きんじゅん)」は2003年末から稼働し始めます。

 グーグルが本格的動き出すのは2000年で、Yahoo!のサーチエンジンに採用されました。2001年に書いた第103回「検索サイトの常識に変動あり」では検索結果の優秀さを競う状況になっていると説明、「総合順位は1位goo、2位Google、3位Nexearch」と紹介しています。

 この後、さらに膨張する情報マスのへの対応力と上述した検索結果の優秀さをてこに、グーグルは検索エンジンで独り勝ち状態になります。支えているデータセンターは膨大で、2013年にGigazineが《Googleがあらゆるサービスを支えるデータセンターの様子を公開中》でその姿を見せてくれます。巨大さは以下に引用した写真でも想像できます。  グーグルのデータセンターは各地に分散配置されています。その総容量は非公開ながら、2013年にアメリカ国家安全保障局がグーグルに匹敵する容量のデータセンターを建設するとの報道があり、50億テラバイトだそうです。パソコンによく使う1テラバイトのハードディスクを50億個束ねることになります。現在はそれから9年後ですから相当に大きくなっているはずです。2006年から2013年までのグーグルのデータセンター投資は2兆円を超すとの報道もありました。

 これだけの巨大な設備投資をしても膨張するマスの重さには耐え難かったと見ています。先ほど「Internet Archive」の項で指摘したようにウェブが年間で1000億ページ以上増える状況では、検索サイトがギブアップするのも当然でしょう。上述したようにグーグルは2015年に「モバイルフレンドリー」政策を打ち出して、昔のウェブコンテンツは切り捨ててしまいました。インターネット検索が登場して20年、便利なだけでなく市民の集合知で社会の姿を映し出す機能が一気に消えてしまいました。

 ブログもPCかスマホか相手を見て切り替えるレスポンシブデザインを取り入れて新たに作る場合は良いのですが、従来からあるブログは結構複雑な構成ですからモバイルフレンドリーにはならなくてやはり検索から落ちていきました。私が使っていたブログも提供企業がモバイルフレンドリー化を諦めて閉鎖しました。私のウェブは娘がウェブデザイナーだったので書き換えを手伝ってくれました。

 2017年の第555回「社会の鏡インターネット検索、20年目にして危機」の追補で指摘しました。「受信料とか購読料とかを取っていないグーグルが何をしても自由ですよ。しかし、この20年間、暗黙のうちに築かれてきた市民社会的な了解が崩壊していくのを指摘するのが今回記事の目的です。グーグルが『知らぬこと』とうそぶくなら、それまでの企業と了解するまでです。グーグルにとって本業中の本業で声望が地に墜ちます」


 【付記】グーグルスカラーには可能性あり

 グーグル検索の力はますます落ちていると感じます。しかし、仲間である学術文献検索グーグルスカラー(Google Scholar)はなお使いでがある存在です。中国の研究者が日本に来て、中国の年金制度が隠している大欠陥を日本語で論じています。これを参考に中国側から定量的な分析を引き出すべく、グーグルスカラーで色々なトライをしました。

 学術論文は当該分野の今の到達点を示すために過去の仕事を引用して列挙し、その上で自分がした仕事を記して、ここまで進展させたと誇ります。この引用行為は、ネット上でこの記事は良いとリンクする行為と似ています。

 中国年金制度のグーグルスカラー検索結果で得られた論文が引用している中国側の文献をしらみつぶしに当たって、復旦金融評論にあった《定年延長は年金基金にどう響くか》(中国語)に到達しました。そして書けたのが第669回「皇帝習近平は定年延長で民から1424兆円奪えるか」(2022/08/25) です。男性60歳、女性55歳の現在の定年を65歳まで引き上げないで行けば、 2050年までに1736兆円の膨大な赤字になり、定年延長できれば312兆円の赤字で済むと示してありました。早く年金生活に入りたい人が圧倒的に多い中国。民主主義国家なら皆で痛みを分け合おうと議論できますが、中国共産党が善政を敷いている建前の国では痛みの分け合いは簡単ではありません。




 《日本に生じた特殊かつ深刻な退歩》

 日本でのIT教育の在り方には疑問が大きく、新聞紙面を通じても、ネットでの評論でも長らく警鐘を鳴らしてきました。国内事情についてかなり分かっているつもりだったのに2011年に《日本人の4割はパソコン無縁:欧米と大きく乖離 [BM時評]》を書いて、見落としていた死角に唖然としました。  米インテル社の投資家ミーティングで公開されたグラフで当該国のパソコン価格が週給の4〜8倍くらいまで下がるとノートPCの普及が加速する様子が描かれています。100%に迫っている黄色が北米、オレンジが西欧、離れたブルーが日本で「普及率が60%で頭打ちになる国は、日本以外ほとんどない」と言われてしまいました。他の先進国ではパソコンは不可欠の物なのに、日本ではそうではないのです。現時点での日本のPC世帯普及率は7割くらいで、先進国に比べて相変わらず低いままです。

 日本が開発した「iモードケータイ」が世界への普及を目指しながら失敗してしまい、その後で個人のパソコン所有を前提にしたスマートフォンが世界制覇したグローバルIT事情とも無関係ではありません。

 この問題意識は持続したままだったところに、2020年、教育社会学者の舞田敏彦さんによる《世界で唯一、日本の子どものパソコン使用率が低下している》を見てさらにショックを受けました。OECDの国際学力調査「PISA2018」で《日本の子どもはスマホは使うものの、パソコンの使用率は低い。上記調査によると、「自宅にノートパソコンがあり、自分もそれを使う」と答えた生徒の割合は35%でしかない。アメリカ(73%)、イギリス(78%)、果てはデンマーク(94%)とは大きな違いだ。お隣の韓国(63%)とも差が開いている》  引用させていただいたグラフです。学校と自宅でノートパソコンを使う割合がクロスして見えます。先進国はもちろん、メキシコ、ブラジル、モロッコといった途上国よりも見劣りするのです。さらに舞田さんは2009年調査とも比較して、15歳生徒のノートPC使用率が日本以外のどの国も増えているのに、日本だけ13ポイントも下がっていると示しています。つまり「48%→35%」になってしまい、2009年には日本以下だった国に軒並み追い越されてしまいました。政府が深刻な事態を認識していない点を憂慮します。

 学生の皆さんが高校で必修授業として受けた「情報」の味気無さはいかがでしたか。第525回「小学生にプログラミング必修、失敗必至の愚政策」で指摘しているように適切な人材を雇わない、間に合わせ授業は失敗します。今回前半の《ネット活用オリエンテーション》くらいの中身をベースとして教え、各自の好奇心でテーマを見つけて自由研究で何本もレポートを書かせればパソコンの使い方が違ってくると思われませんか?




 《日本の全国紙に終わりが見えた》

 一つの新聞の発行部数が1000万部、800万部など、世界で稀な巨大発行部数を誇った日本の全国紙――その終わりが見えました。企業としての新聞社は貸しビル業などの事業も抱えているため存続するでしょうが、巨大発行部数に依拠してきた影響力は数年で消滅します。2023年1月のABC部数は次の通りです。(カッコ内は前年比)

 朝日新聞:3,795,158(−624,194)
 毎日新聞:1,818,225(−141,883)
 読売新聞:6,527,381(−469,666)
 日経新聞:1,621,092(−174,415)
 産経新聞: 989,199(−54,105)

 長期低落傾向に少しは下げ止まりが見えるとも言われましたが、朝日は年間60万部を超える減少の有様です。さらに今年になって朝日と毎日は1割を超える購読料値上げを発表、一方で読売は1年くらい耐えるようです。部数減少は「この購読料を払って読む価値があるのか」との疑念が読者に広がってきたからと考えています。購読料一覧を掲げてから、これまでの経緯をグラフで見ましょう。

   元の月ぎめ購読料 新しい購読料=朝夕刊セット
 読売新聞   4400円    4400円
 朝日新聞   4400円    4900円
 毎日新聞   4300円    4900円
 日本経済新聞 4900円    4900円
 産経新聞  夕刊なし    3400円

 一般紙の部数減少は2008年ごろから目立ち始めますが、スポーツ紙は先行して2002年には減り始め、どんどん加速して減って行きました。  スポーツ紙は趣味的な報道内容であり、生活に欠かせないものではありません。2018年には半減、2022年には34%まで縮小しました。報道内容が違う一般紙も追随して行き、2000年比で2018年77%、2022年60%の部数縮小率です。

 「スマートフォンの普及に新聞が食われた」との主張がありますが、賛成できません。《「スマホが新聞を殺した」は本当? 部数が減ったわけを考える》で神田大介氏が作成したグラフを引用して、加筆しました。  2010年からのスマホ普及立ち上がりで新聞部数が大きく減ったとは言えません。スマホ普及が減速した2018年以降に年間部数減が200万部を超えるようになります。加筆した2014年の消費税5から8%へのアップ、2017年以降の全国紙・地方紙の値上げに読者が反応したと読み取れます。

 「読む価値があるのか」疑念が根底にあると考える理由は、全国紙が地方紙よりも大きく部数を減らしている状況を説明するからでもあります。  2009年上半期平均と2022年下半期平均の部数比較で、全国紙は55%まで縮小したのに、地方紙は73%で踏みとどまりました。ABC部数2022後期で前年同期比が一覧できますから、参照すれば全国紙の脆さ、地方紙の粘り強さが分かります。冠婚葬祭を含めて地域社会で生きて行くに欠かせない話題「どぶ板情報」がある地方紙の強さが現れたと考えます。これに対して、以前の全国紙は地方ニュースでも地方紙に書けない記事を志向していました。

 私が地方版で貢献した主な記事が以下の二つです。

 1)新人時代の高知版「沈黙の森」シリーズ・・・山青く森深い高知の森林はスギ・ヒノキ林で、小鳥がついばむ木の実や小動物が食べるドングリなどが出来ず、沈黙の森になってしまった――生態系を壊した林野行政への告発。

 2)科学部から京都支局に出て京都版で描いた京都ベンチャーの商品開発「うちのヒット商品」シリーズ26回・・・NHK番組「プロジェクトX」のように「皆して頑張りました」ではなく、科学記者の視点で市場開拓型商品開発成功の急所を究明。頑張って成功しなかった開発は山ほどあります。地元の京都新聞記者が知らない話が毎回でした。保存した連載記事を《大型特集【独走商品の現場・京都】》で公開しています。今でも印象鮮烈なのがイシダの組み合わせ式計量機で、ポテトチップスやウインナソーセージからネジ・ボルトまで大量生産品は何でも世界中でこの方式で計量、袋詰めされています。始まりは高知の農協から頼まれたピーマンの計量でした。

 2015年に久しぶりに高知を訪れて、旧知の女性弁護士から「もう高知版には読む記事が無い」と訴えられました。人減らしされた全国紙地方支局陣容では事件事故と行政・企業発表への対応くらいしかできなくなっています。

 新聞の衰退は米国では早くから言われており、地方紙が15年で2100紙廃刊し、生き残った地方紙も規模が衰え、広告収入が激減しています。チェック機関であるメディアが無くなって行政の不正などがあるとされ「ニュース砂漠」が地域で広がっています。日本の場合は何とか地方紙は残り、全国紙が衰退する状況です。

 東京や大阪など都市部に人的資源を集める全国紙は精気ある報道をしているのでしょうか。この1年はウクライナ戦争に集中して毎日、内外のニュース・文献を読んでいますが、全国紙から冴えた記事に出会えた試しがありません。ニューヨークタイムズやロイター、ウオールストリートジャーナルなど海外メディアは、ネット報道の特性を生かして充実した長編ルポや長編分析を掲載するなど良い仕事をしています。

 全国紙は相変わらず形ばかりの政府・権力批判を続けています。しかし、大きな問題では実は誤った政府依存報道をしてきたのが実態です。立命館大産業社会学部2019年冬学期の講義録《福島原発事故と科学力失速に見る政府依存報道》でその内実を暴いています。

 端的には福島原発事故で炉心溶融が2カ月間も大手メディア報道から消えた問題があります。《世界標準の原発報道から見てあまりにも恥ずかしく、大阪本社から東京本社に専門家のコメントも付けて「炉心溶融している」との原稿が出されましたが、東京本社は政府が認めていないとして握りつぶしたと聞いています》

 5年後の2016年に経緯が明らかになりました。炉心溶融が2カ月間も政府・東電の発表から消えた理由は、東電が溶融の判定根拠を持たなかったからであり、調べると「社内マニュアル上では、炉心損傷割合が5%を超えていれば、炉心溶融と判定することが明記」されていました。このマニュアルは原発運転に携わる者なら必読なのですが、東電の原発事故訓練は誰かがシナリオを書いて参加者全員がお芝居をしていて、事故訓練中にもマニュアルを読む必要が無く、運転員大多数が知らなかったのです。

 この惨状をどの在京メディアも暴けず、自らの報道姿勢と炉心溶融隠蔽の経緯を問題視する事もありませんでした。2011年秋の新聞週間特集紙面で「原子炉は何時間空だきするとどうなるのかなど詳しいデータを知っていたら、もっと的確に記事を書けた」と言って恥じない科学部長がいました。問題意識を持って知らない点を取材する職業意識すらない――日本の全国紙に大きな知的退歩が見られると申し上げます。



 【参照リンク】
《報道自由度、日本は4つ下げ71位に 国境なき記者団》日経新聞2022年5月3日
特設版「小手先の政府とマスコミが科学技術立国壊す:大改革の担い手は無く、日本衰退は決定的に」(2020/10/13)
第532回「隠蔽は東電だけか、在京メディアも責任を取れ」(2016/06/23)
第525回「小学生にプログラミング必修、失敗必至の愚政策」(2016/04/24)
第282回「原発震災報道でマスメディア側の検証は拙劣」(2011/10/15)
第258回「在京メディアの真底堕落と熊取6人組への脚光」(2011/05/11)
評論「ネット接続に群がる日本の光景」(2004/10/10) 
第103回「検索サイトの常識に変動あり」(2001/05/18)
第25回「インターネット検索とこのコラム」(1997/10/30)
サイエンスネット復刻版